『一流の人は空気を読まない』という書物が目に飛び込んできた。
あぁ、そうだった。
だから俺はだめなんだ。
やはり、言うべきことは言わねばいけなかったのだ。
そう、つくづく感じた。
昨日の一般質問、知事の言葉、そして、教育長答弁に、
自分はやはり再質問で糾さねばならなかったのだ。
が、
今日は基本的に一回でやめておこう、と最初から思っていたし、
答弁が終了した時点で1時間20分たっていたので、
これ以上質問したらブーイングだろうな、と議場の空気を読んで、
大人に、なってしまったのだ。
言いかえさずに終えてしまったから、学校の先生方が聞いていたら
さぞ落胆しただろう、と
昨日からずっと頭の中が渦巻いている。
本当はこういわねばならなかった。
(教育に予算をかけることに関して)
「知事、子どもは減った、先生はあまり減らない、
昔の先生に比べ今の先生の方が一人あたりの負担は
少なくなっているはずだ。 なのに世界の学力テストでは
昔は1位だったのに5位に甘んじている。
不登校も増えた。いじめも増えた・・・・まだがんばりが足りない
ようなことを、おっしゃいましたね。
でも、環境が違うんですよ。
100mを昔は10秒で走った。今は15秒もかかっている、
といっても地面が今は沼地みたいになっていたら、
単純に比較はできないでしょ。
昔は、子どもが悪いことしたらお尻を叩いて、しっかりしろ!!
で解決したんですよ。
それで、子どもが親に言ったら「おまえが悪いんだ!!」で浴びせかけて終わり。
昔は社会全体が子どもに対して教育的でいたんですよ。
でも、今は違うでしょ。
また、学力だって、昔は週6日教えてあげられたんです。
週5日になっても日本は5位でよく健闘してる方なんですよ。
上位はみんな台湾や韓国シンガポールという受験勉強ばりばりの
小国なんです。
経済大国はみんな病んでアメリカでも20なん位、フランスだってそのくらい。
実は先進国で日本だけが踏ん張っているんですよ。
それに、教えなければならないことが環境だ、福祉だ、食育だ、キャリアだ・・・
と増えた。校長先生なんて開かれた学校で営業マンになることも求めれているじゃないですか。知事は数字で見える化するのが好きだけど、
間違って使われちゃ困るんです。」
そして教育長には
(小中学校での携帯電話の使用に関しルールを作ることについて)
「聞きたいのは県教育委員会としては原則どうなのか、ということです。
どっちにもとれるような言い方では、権利だなんだの意見が入ってきて
学校が迷惑するだけなんですよ。
『教委としては原則こうです』それだけでいいんです。
後はつべこべ言わない。
後は個別に対処する問題で、原則なんですから原則こうです、
それだけでいいんですよ。
どっちなんですか!」
とこう言いたかった。
すべては後の祭りである。犬の遠吠え、である。
一流の人は空気を読まない、のだ。
堀紘一著
『一流の人は空気を読まない』 http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200805000494
県議の本会議での質問と教育長答弁を http://dvlsv.skipcity.jp/saitamaken/2.html で拝見しました。
ケータイと向き合いことに関しては、基本は親がケータイ使用を通じて子育てにどう向き合うか、という視点が欠かせないと思います。
そこで教育長の答弁を見ると、簡単に言えば、現場に任せるが県は指導の名の下に口も挟む、ということになり、県民としては疑問を感じると同時に、原則を求める県議の姿勢は正しいと思います。
ただ、ネットやケータイで子ども達なりの社会を作っている現実から、取り上げる・禁止するでは、問題の先送りや逃避にもなりかねないので、学校においては「教育活動に支障を来たすか」の一点で考え、いかに大人の目が届くようにしておくか、が大切なんだろうと思います。
それ程までに浸透したネット・ケータイ社会に、子育てをする親として、買い与えるまでに何をすべきか、何ができるか、考えさせられる日々です。
という点で考えれば答えは簡単なんですね。
それで学校の方針は決定されればよいだけですね。
色々考えると迷ってしまうけど
そう考えるのがすっきりしているのだと、
コメントをいただいてわかりました。
ありがとうございます!