ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

もう一つ、これまた言われてはっとしたこと

2008-12-24 14:05:17 | かんじたこと、つぶやき

「あそこの空手道場あるでしょ。あそこの館主も大変だと思うンすよ。
だって、子どもを送ったあともいつも奥さん達が見学してるンすよ。」

言われて「何で?」と問い返すと、
あれじゃ、本気で稽古なんてできない、
というのである。

そうか、そういう感覚を僕も昔は持っていたのに、
いつの間にか、机上で考える人間、
になってしまっていた。

「自分の通っていた館では、入門したいものは正座で見学、
ただの見学者なんて許されないですよ。」

いい加減な気持ちのものは、その「場」を汚す。また、真剣な雰囲気も阻害する。

「道」を習うとは、師弟の一対一ののっぴきならない対峙
の中で行われるものなのであった。
そういう瞬間と場が必要なのであった。

しかし、あのように常に習うでも教えるでもない立場の、
つまり、第三者が介在し、その目にさらされていては、
そんな瞬間は作れない、
というのであった。

「奥さん方は帰ればいいんですよ。少ししてからまた迎えに来ればいいんだ。
そのぐらいの気を遣わなきゃいけないンすよ。」
と彼は言った。

言われて、そうだ、と感じ入った。

そういえば、今の習い事は水泳でも野球でもサッカーでも、
かわいいお子様の一挙手一投足に奥さん方が歓声を上げて眺めている。
でも、関心あるのは自分の子どもだけだ。

さて、今の世の中、常に公開、第三者のチェックを入れて、
いつでも説明できる準備をいしておくことが求められている。
でも、そんなところでは、「本物」は生まれないし、生み出しにくい、
のかも知れない。

そういえば、自分も市議会議員の時、
所沢市の個人情報保護条例制定時に学校はその対象外にすべきだ、
と主張したことがあった。
調査書、や指導要録、など指導上必要な文書を※「自己情報コントロール権」を元に、
公開請求されたら開示しなければならなくなる、
だが、公開を前提に書く、というのは指導をゆがめ、記録を形骸化させることになる。
物事は公開されないからこそ真実が語られることもあるのだ、
と主張したのだった。
しかし、執行部の職員方は、
なぜそんなことがあるんだ?
嘘偽りがなければ公開したってなんの問題もないじゃないか、
もしかしたら、公開したら困るようなことがあるんじゃないのか?!
ならば、それこそ公開しなければいけないじゃないか!?
といっこうに理解できない様子。
結局、これは国の流れだったので自分の主張は通らなかった。
http://thd.city.tokorozawa.saitama.jp/kaigiroku/cgi-bin/WWWframeNittei.exe?USR=webusr&PWD=&A=frameNittei&XM=000100000000000&L=1&S=15&Y=%95%bd%90%ac13%94%4e&B=63&T=0&T0=70&O=1&P1=&P2=%93%a1%96%7b%90%b3%90%6c+&P3=&P=0&K=41&N=353&W1=%8c%c2%90%6c%8f%ee%95%f1%95%db%8c%ec&W2=&W3=&W4=&DU=0&WDT=0
そのあと、ことの顛末を報告した議会報告ビラには、
人の心が全てあからさまに公開される世の中になるという皮肉混じりの漫画を
載せたものだった。

男性と女性が初対面で挨拶している場面で、
お互い気を遣って柔らかな挨拶をしているのだけど、
心の中をばらしてしまうマシーンが、
「なんだ変な顔の人!!」みたいなことをしゃべってしまって
関係が悪くなる、という設定だったような気がする。

秘すれば花、言わぬが仏、とか、まあ、あまり関係ないけど、
でも、何でも公開され、深みも潤いもない世の中になってきているような
気がしてならない。

深みのない世の中ではスケールのでかい偉業も
成し遂げられないのではないかなぁ?


おっと、そんなことかいていたら、
県の公文書公開審査会が
全国学力調査の結果を市町村別、学校別に公開すべし、と答申したそうだ。
(12月26日朝刊による)
知らぬがほとけ、なのにほっとけなくて知ろうとしちゃうんだなぁ。
公開しても子どもにどう反映するんだろう!
子どものためになることはないと思うんだけど・・・。

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