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ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

小田実 『冷え物』 『羽なければ』 『ある手紙』 『XYZ』

2025-03-05 21:06:27 | 本・映画など

『ガ島』を読んで、もう少し小田実を読みたいと思った。

『冷え物』は大阪の戦後の庶民の、まだ貧しい生活を描きながら、差別 特に朝鮮人差別を中心に同和差別も含めて

生活の中で、市井の人々は、許されざる「差別」に対し、どう理解し、どう受け止め、どう過ごしてきたのか、

その姿を描き出し、

その中から表面と内面、虚と実を暴いて、えぐるように問うた 
にんげん小説であった、と思う。
(のちに書いた『ある手紙』の中で小田実は 
 『冷え物』のなかで、私が描き出そうとしたことは、・・・さきに述べた「善良な」人たちのあいだにひそむ差別でした。 
と述べている。) 

『冷え物』は1969年に雑誌で発表されたのだが、

小田実だからこその姿勢、あえて明らかにして書く作法は、一方で、差別を助長してしまうかもしれぬ危険性も持つ。

問題とされ糾弾され、べ平連事務所が襲われたりする中で、

小田実自身もその批判を深く受け、差別される側の批判(土方鐵による「『冷え物』への私の批判」)と共に、

考えを表したのが、『ある手紙』であった。

『ある手紙』(1971)において小田実は、

差別の現実に触れないよう距離を置く、の
ではなく、積極的に反差別のための文学を表すべき

と考えを述べ、

それでも、差別される側が何に傷つくのか、もっと真摯であらねばならなかった、と記す。

そして、差別される当事者側としょせん外部の者でしかないものとの差、その懸隔にぶち当たり、逡巡する。

いや、懸隔の存在はとっくに意識ずみだったが、指摘されるとそこでとどまらざるを得ない、ということか。

書けば批判があるやも知らぬ、分かっている中 敢えて書くか、留まるか、

小田実は気質としてやはり前者でしかありえなかった。

そこが小田実の小田実たるゆえんだと 私は思った。

『羽なければ』も、小田実によれば同じテーマの3部作(もう一つは『円いひっぴい』)とのことだったが、

むしろいろいろありの人間だもの という小説に私には思えた。


そして、『XYZ』

1997年の作品だけあって、国連平和維持軍まで登場する。   

主人公の老人は、高級住宅街、芦屋に出たイノシシを撃ちに行って、火縄銃の暴発で大けがをして意識を失う。

意識を失う中で老人は様々な時空をさまようことになる。

東西の対立時代 ナチス時代から冷戦対立まで ベルリンの壁 アウシュビッツ収容所の壁

ギリシャの市民都市国家時代 ポリス国家「アテナイ」の理念とその内実 「メロス」国家の制服

それを「壁」を象徴として出現させ その対立と怪しさを描いている
(前者では「ベルリンの壁」など、後者は「定住外国人」としての市民との「壁」) 

また、
自由とか民主主義とか はたまた平等とか、そういう崇高な理念を掲げ 押し付ける「体制」の傲慢、人間のいい加減を暴く。
(描写の中で東ドイツや西ドイツ、東西対立、そしてアメリカが想起させる。また、日本も登場し、うまく立ち回る。)

でも、なんやかんや言ったって内実は、
結局、[
殺す、さもなければ殺される] のループにはまって、人類はずっと戦争をしてきた、のだ。

そこで小田実は、
その無限ループから抜け出して、「コ・ロ・ス・ナ」(と自身に課す)ことに
しか 道はないのではないか

と コロスナ童子を登場させて、提起するのだった。(日本国憲法)

しかし、こちらは良くて、あちらは悪い、と言って胡坐をかいていれば、その「壁」も安泰ではない。

ギリシャの世の夢から老人が目覚めてみると、そこは戦場であり、日本の国際平和維持派遣軍が戦っていた。

老人は野戦病院にいて、病院に引き取りに来た家族とともに「平和の壁」の向こう側 平和・安泰の地に飛行機で向かったのだが・・・、

頼りにした平和の壁はすでになく、そこも戦場と化していた。
(平和の壁には残念ながら コロスナ ではなく、「この「壁」を外からなかへ入ろうとする者は殺せ」とかいてあった。)

殺すのはダメだ、人間が全うすべきは生老病死を全うすることだ、

と悟った老人であったが、時すでに遅し、黒焦げの躯(むくろ)となった猪たちにかみ殺されてしまったとさ、というお話。
(きっとそのイノシシは老人が撃ち殺したイノシシだろう)

なんか警世の本であった。  警世といえばエンデの『モモ』にも似ていた。


『XYZ』まで小田実の本を読んで、総合して今、感じること。 それはこんなことだ。

混沌(こんとん)、有象無象・・・いろんな言葉があらわせるだろうが、

創成期の、原初の、または、戦後期の 人の社会は、ナンデモアリの、ある意味人間臭い時代だった。

その中から先人は、悩み、考え、葛藤を経て、より「よい」社会を作ろうと苦心惨憺してきた。

そういう繰り返しを経て、 正しくないこと、よくないこと よごれ は整理され、社会から排除され、

社会はより「よく」変化していくものなのだと思う。 キレイになっていくものなのだと思う。

ただ、それは自分で深く考えて自ら悩み、汗かいて葛藤を経て 産み出していくものなのだ。

借り物ではならない。

翻って、現代の社会、

社会がより「よく」なる過程で、そのわけを自分の頭で深く考えなくなり、

キレイだけど浅い社会になってしまってはいないだろうか。 

葛藤を忘れ、油断をすれば 元の木阿弥 そんなことを、『XYZ』まで読んだ後に、私は思った。

(全然違う話ですが、UR(公団)は僕はとっても敬意をもって都市づくりを見ているのですが、今やっているCMだけは
ちょっと引っかかるのです。
更新料が ナシナシ のCM ではなくて、・・・が はきはき(掃き掃き)というCM。
本来は、敷地を掃除するのは住民であるのに、当然のこととして
他人を雇って掃除してもらっていること。
考えてみれば、すべてのマンションもそうなのだが、自分の手を汚さず、人に委託すること。
それでキレイを確保しようとしていること。 金を出して他人(ひと)ごとにする。
いまは社会みんなそうなっているが、こんなことにも社会の危うさを感じるのです。)


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