図書館から連絡が来た。予約していた本が二冊入った、という。
一冊は 順番待ちがすごい本『酒を主食とする人々』、
もう一冊は 他市の図書館から借りられて来た本『都市の緑は誰のものか』である。
どちらも返却は4月3日まで、との条件。
だが、『円いひっぴい』がまだ読み途中である。どうするか?!
そこで 本のトリアージをして、『円いひっぴい』をあきらめ、
人気本の『酒を主食とする人々』(高野秀行著)に取り掛かった。。
冒険家、高野秀行。彼にテレビ局から電話が入る。
クルーが同行し、費用は出しますから、番組としてどこかに行きませんか?
テレビ番組「クレージージャーニー」からの誘いである。
ならばと高野が選んだのは、南エチオピア州にあるという「酒を主食にする民族」への旅であった。
コンソ民族とデラシャ民族、ともに山岳部に住み、平地から追いやられてそこに住み着いた人々。
なぜ、酒なのか。
とれる作物は豊富でないし、発酵物こそ腐らない。火の必要もない。
つまり濁り酒の方が栄養豊富で安全な流動食なのだ。
コンソにある酒はチャガ、デラシャではパルショータと呼ばれる。製法成分も少し違う。
パルショータの方が少し濃く、発酵した酒母ソカテタを育て、それを切らさぬように各家庭で保存している。
日本の味噌と同じだ。
時に水で薄めながら、老いも若きも幼きも妊娠中でも酒を飲むのだった。
それも、アルコール度4~5%のパショータを1日に数リットル。
ヒョウタンを半分に切った器を両手でささげて暇さえあれば飲んでいるのだった。
酒のつくり方は、
①アブラナ科のブランゴの葉と茎を石でつぶす。(これが野菜代わり)
②刻んだブランゴをソルガムという植物の粉で覆い、3日間発酵させる。
③別のソルガム粉を混ぜて1週間発酵させる。
④それを石うすで練りこんでから1か月発酵させる。
こうしてできる緑色の練り物が発酵物「シュッカ」
そのあとは、
⑥シュッカをもとにしてさらにソルガム粉と水を混ぜて練り、ソフトボール大の球にして煮込む(糊化)
⑦煮込んだ後はつぶして、室内で広げ、またソルガムの粉をかける。(この粉にも酵母菌がついている) ⑧それに麦芽をふりかけ「糖化」を促す。
⑨一晩建つと酵母菌が糖分を分解してアルコールを含んだ液体=酒の素=酒母ソカテタができる。
⑩酒母ソカテタに水とソルガム粉のペーストを加え、さらに一晩おく。
⑪それに水を加えるとアルコール パルショータが出来上がる。
特にデラシャの人々は、固形物はほとんど取らず、甘酒のような酒を主食にして一生を送っているのだ。
それでいて、体は大きく筋肉も強い。
日本の味噌も発酵食品、納豆もそうだ。昔の家は 糠床を持っていて、それを切らさぬように保存していた。
2つの民族が酒を飲むのも、日本人が味噌汁を飲むのと同じ意味合いがあるのだろう。
妊婦(左下)も 5歳児(右下)も酒を飲む
本の終わりに添えられた エピローグ がまた考えさせられた。
以下、そのまま記述してみた。
「彼ら(デラシャやコンソの人々)は決して「遅れている」わけではない。「自然と共生している」わけでもない。
コンソ人もデラシャ人も強烈なデベロッパーであり、自然を作り替え、コントロールしようとしていた。
酒を主食とする食生活もやむを得ずそうなってしまったのではなく、意識的につかみ取ったものだろう。
その意味では現代の日本人や西洋人と同じだ。ただし、「進んだ方向が違う」のである。だから、西洋文明が世界基準となってしまった今、「遅れている」ように見えるだけだ。
私は前から西洋文明に席巻される前は他にも進んだ文明があちこちにあったはずだと思っていたが、今回コンソ・デラシャを観たことで確信に変わった。・・・(中略)・・今現在、その反省からか西洋人は「多様性」なる概念を世界に広め、新しい価値観にしようとしているけれど、本当に「多様性」を理解しているのかと、ときどき疑問に駆られる。
その最たるものが昨今の飲酒に対するネガティブな態度だ。2023年にWHOは「アルコールは少量でも健康に有害」と明言した。、(中略)、、、それはおかしいんじゃないか。デラシャの人たちの生活を見たらそうとしか思えない。まず、一言で「飲酒」と言っても、飲酒している人の食生活全体は何も言及されない。もし、飲酒に害があるとしても、それはつまみに塩気の強いものや脂っこいものを摂るせいかもしれない。・・・(中略)・・・だいたい、イスラム圏を長く歩いている私には単純に酒を飲まない生活が健康にいいなどとは到底思えない。イスラム教徒の中には、酒の代わりに頭が痛くなるほど甘いお菓子を食べ、お茶を飲んでいるのか砂糖水を飲んでいるのかわからないようなチャイを一日に十杯以上も飲み、これでもかと油を入れた料理を食べている人が少なくない。私のイラクの友人は「イラク人はだいたい、高血圧か糖尿病で死ぬ」と言っている。・・・(中略)・・・デラシャの人たちは油を摂取しない。砂糖もほとんどとらない。塩分摂取も少ない。もっと言えば、固形物の摂取量が少ない。もし本当に飲酒がよくないとすれば、甘いものや脂っこいものや塩辛いものをたっぷり食べ、肉も魚もたくさん食べ、そのうえで酒を飲むからではないか。そういう「全体」を見る視点が現代科学では決定的に欠けているように思える。・・・(中略)・・・彼らは科学がまだ達していない「未知」の領域にいるのだ。西洋文明の方がこの点ではまだ「遅れている」。
このコメントは確かにそう思った。いろんな価値の中で西洋の価値が世界を席巻しているが、全てがそれで良いわけではないし、それは押し付けかもしれない。今は「多様性」という一途な価値観が強制されているのかも。価値はいつも軍事力と共にやってきて、その土地と人々の心を占領した。
だから、その動きに無批判であったり盲目であってはならないのだと思う。
我が母校、川越高校などの男女別学高校を「多様性(男も女もという思想)」を理由に廃止しようとする動きも思い出される。
追伸:一昨日、所沢市議会が終わったようだが、また、議会として恥ずべき、陰質な仕儀があったようだ。
赤信号 みんなで渡ればこわくない・・・議会を伝えるマスコミがなくなって久しい。 憤りを覚える。