ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

大魔神像除幕式、世界妖怪会議そして、『妖怪大戦争 ガーディアンズ」

2021-08-08 13:36:41 | 行事を見たり聴いたり活動


妖怪大戦争 ガーディアンズ        
        8月13日(金)封切り!


世界妖怪会議とは、いかなるものか。


地元市長として、恐る恐る参加した。

が、案ずるなかれ。 日本・世界の妖怪、モンスターが逸話とともに紹介されて、

それを かの荒俣宏さんが、現代から縄文まで、時代を超えて縦横無尽に色付けしてくれる、

いわば旅行記を聞くような楽しい時間であったのだ。

日本からは岩手、鳥取、徳島の知事、副知事が、世界からはタイ、チェコ、フランス、ドイツ、フィリピンの日本語のできる方々が、

それぞれ妖怪と地元を売り込んだ。



タイの妖怪「ナーンナーク」は、戦争から帰郷した夫を、すでに死んでしまった妻が出迎えるという

悲しい話の中の、妻の化身した妖怪である。


それを荒俣さんが

「タイの話は 日本の上田秋成の『雨月物語』の ’’浅茅が宿’ と同じ設定。これは、どちらも中国からの由来です。」

と解説する。




「妖怪は家族を大切にします。」「妖怪は、友達を大事にします。」「妖怪は子どもたちと仲良くします。」

会議ののちに、「妖怪宣言」の役を仰せつかった私だったが、

会議を通して感じたことは、

妖怪と人間がまだ一緒に生きていたころは、自然の中で互いを尊重してうまくやっていた、ということだった。
(今のように人間本位、人間至上主義ではなかった)

感想を求められた私は、

昨今のテレビCMを例に出し「いまは、除菌や殺菌、消臭ばやりだけど」と前置きして

ウィルスの逆襲に苦しむ今の世界を想起しながら、感想をのべた。


ちなみに、東京オリパラで掲げる基本コンセプトの一つも『多様性と調和』であった。



会議を終えて、映画の試写会に臨んだ。

そうしたら、なんと考えさせられることの多いことよ。

子どもに対してだけでなく、実は大人、いや、人類に対するテーゼがそこここに散りばめられていたことに気付き、

私は心揺り動かされ、かつ、唸ってしまった・・・。


なお、大魔神はこの映画の中で 八国山の将軍塚から眠りを覚まされお出ましになる。

それを記念し、サクラタウンともう一か所にも、このたびお出ましとのことである。

まずは、サクラタウン内での除幕式。


もう一か所は、どうぞ探してください! もうSNS上で話題と思いますので。


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俵万智展、大魔神除幕式、世界妖怪会議、そして、「妖怪大戦争 ガーディアンズ」 試写会

2021-08-08 12:33:12 | 行事を見たり聴いたり活動


 
俵万智 の新歌集『未来のサイズ』が 釈迢空賞 を受賞した。


その記念にサクラタウンで俵万智が開かれている。


集中は疲れるけれど夢中なら疲れぬと言い遊びつづける

あと三日で引っ越しをする我が部屋に日常として子ども七人

最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て

子のために切り上げることなくなって一本の紐のような一日

ひとことで私を夏に変えるひと白のブラウスほめられている

らくらくホン持つ老人に内閣の支持率調査の電話はあらず

「前向きな疎開」を検討するという人よ田舎は心が密だよ


この『未来のサイズ』には、俵万智が

平成25年から令和2年まで、石垣島に住んでから宮崎に移っての今まで、子育ての歌からコロナまで、


を詠んだ418首が選歌されている。


展示は、本棚劇場の隣の部屋で行われていて、

文学を立体的に美術として表現してみた、とのこと。

展示の雰囲気が俵さんに似合っているな

と僕は感じた。




 俵万智は学生時代ホームシックで、3日に2日は手紙を書いていたという


さて、

俵さんは、前にも書いたが、私と大学で同級であった。早稲田の第一文学部日本文学専攻。

俵さんは、いつも最前列の席で野田さんという女子と一緒に講義を受けていた。

講義のあとは質問もよくしていた。大講堂でも小さな教室でも、である。



さて、何かの授業で僕は消しゴムを貸したことがある。


ノートは貸したのか、コピーさせてもらったのか。きっとさせてもらったのだろう。

でも、話したことはほとんどない。

一方的にこちらが知っているだけだ。

俵さんが高校教師となり、投稿した短歌が認められ、佐々木幸綱先生により朝日新聞で評された記事を読み、

所沢中学校で教師をしていた私は、その記事を印刷して国語の授業で紹介したものだった。

その後、『サラダ記念日』が発刊され、そこに歌われている大人の世界を知り、私は度肝を抜かれたものだった。

それにしても、話したこともほとんどないのに、なぜ俵さんのことを覚えているのか、

それは彼女が清楚だったからなのか(たしかにそうだった)、

それとも、我が友人の松原君が、藤島高校で俵万智の先輩で(我々は浪人組である)、そういう意味でいろいろ話していたからなのか・・・・

学生時代、「高田馬場~高田馬場~○○○○・・・」 駅のアナウンスも俵さんの声だった。

俵さんが活躍するたび、

いつの間にか自分も、あの怠惰で未知が広がっていた輝くような学生時代に戻って、幸せのおすそ分けをいただいている

そんな気もするのである。

俵さん、いいぞ! 俵さん、がんばれ!

そんなわけで、大魔神除幕以降は次号にて。

 


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