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ああ、自分も きだみのる のようになりたい! そうつくづく思った。
枠にはまらず、鋭くって大きくて、手強くって熱くって、愛すべき人間、すごい人物。
でも自分には全てが足りないからそれは難しい。 せめて書物の中で、志向しよう。
きだみのる と過ごした数年間を描いた、嵐山光三郎氏による 怪人 きだみのる伝 である。
嵐山光三郎氏は きだみのる氏を例えば、その著書のところどころで こう評している。
「 ・生涯をかけて漂流に身をまかせた怪人、酒飲みで、勇猛な男 威張っていたが、その知力は緻密で不純物がない。
・きだドンは、昆虫の本能を志向する。 なみはずれた食欲、ワイ談を好み、単純生活者といいつつ哲学を語り、幸福論をぶちあげ、堺利彦や大杉栄といったアナキストとの思い出を語る。ギリシャ悲劇の話が出たかと思えばタクアンの漬け方、ブオトコが女にもてる方法、と話はあちこちへ飛び、酔えば帰還を許されない永遠の航海者の物語『オデュッセイア』へ思いをはせるのだった。・・・
・きだドンは放浪者の作法が身についていて、一宿一飯の恩義がある相手には腰を低くしてさからわない。
ときおり、得意の警句を呪文のようにつぶやくのだった。恋愛は男の過失だから、間違えるのならば徹底的に間違えたほうがいいよ。
・きだドンは実務恐怖症であった。実務処理の無能力閣下と自称していた。
・戦後の日本人への失望、と口にするが、もっと根源的な怒りがちらちらと炎になって目に宿っている。
満足するということがない。 徒党を組まずに漂流する意志と、土俗に執着して村の先生になりたいという願望がある。
・・・・・フランス趣味と知識人への嫌悪。 反国家、反警察、反左翼、反文壇で女好き。 果てることのない食い意地。
人間の様々な欲望がからみあった冒険者であった。
たまに会って食事するだけならば、これほど楽しませてくれる人物はいないが、厄介きわまりない。」
こんな感じである。
自由と反権力、人に媚びず、縦横無尽の知力と体力とすべての欲望を引っさげて、土俗に両足をつけて世界を漂流した怪人、きだみのる
こんな魅力的な人がいたのだ。
羨ましくも大変な厳しい人生だったと思う。
そんな豪快な人であったが、最後の著書『人生逃亡者の記録』の終章には、こんなことが書かれているのだそうだ。
「・・・読者よ、長生きをしよう。これは自由な思想者にとって特に望ましい。
長生きすれば人生の見聞はそれだけ広まるし、
新地獄・極楽を説く思想販売人の文句の嘘や間違いも時がわからせてくれるであろうから。
もう一度繰り返そう。 長生きすることだ。
そうすれば、新地獄・極楽の布教者たちのそのときどきの所論の適否、正誤がわかるだろう。
そして現役の人間としてくたばることだ。
そうしたら子供の世話になるという屈辱的な考えを起こさずにすむ。
子供は子供。
親は親だよ。
そうだろう。」
と。
こんなに頑強で豪快な人生を送った人でも、そう思うものなのか。
今まで、その豪快さにワクワクしながら読み進めてきた私にとって、嵐山光三郎が書く9章から成る 『漂流怪人 きだみのる』 の第8章 は、
人生の悲哀を感じさせるものだった。
昭和50年7月、きだみのるは80歳で亡くなった。