ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

言葉を狩る

2009-12-21 13:15:23 | 議会のこと

教育委員会を傍聴した。
初っ端、委員長により陳謝が語られた。
第21回生涯学習フェスティバルがこの10,11月に埼玉県で開催されたのだったが、そのときの様子を
「生きる力もエネルギーも感じられなかった」「なぜこの展示がされているのか、と感じるものもあった」
と前回の教育委員会で触れたことが、新聞に載り、
それが議会の委員会で問題視され、このたびの冒頭陳謝だったらしい。

陳謝は淡々とされたわけで、今まで気にしていなかった者には何で陳謝しているのか、と面食らいものだったのだが、しかし、
陳謝なんかすべきでない!! 
と私は思った。
こうやって日本は立場のある人々の本音を封殺し、言論を封じてしまうのだ。
物事の改革や大切な決断は立場のある人でないとできない仕組み、になっている。だから「ポストにつくまで我慢」「韓信の股くぐり」を人はするのだ。

戦争もこの状況下でこの立場の自分としては(こう言うべき、又は、こう言うしかないな・・・)と現況と周囲と自分との立場ばかりを慮って、決断をし得なかったことで始まったのではないか? 
実はあのとき自分はそうは思っていなかったんだ。でも、状況から仕方なかったんだ・・・と後から言うことになる。じゃあ、誰だったら仕方あったんだ!! 

そういうことが日本には常に充満してはいないか?

前回の教育委員会では「生涯学習推進計画をこれから作る」という報告がなされたのだった。
私の記憶によれば、委員長は
「生涯学習推進計画を作るならよほど実質的な成果を上げるべくがんばらないといけないんだぞ。花火を打ち上げてそれで良しではないんだぞ。上位計画の教育振興基本計画で生きる力と絆を埼玉は強めると決めたんだから、それを強める生涯学習事業でなければいけないのだぞ。」
という趣旨の発言をした。
そのなかで生涯学習フェスティバルが例としてあげられ、たのだった。
そして、「あれを以て県民全体の生きる力やエネルギーが推進されるのか?!」
と問うたのであった。

だが、新聞にはそのような文脈は掲載されなかった。
そして、きっとそれが「大問題」「教育委員長としてあってはならない言葉」として問題視されたのではないか、と想像する。
そういう、事を大げさにし問題化する人は、日本にはたくさんいらっしゃる
ちなみに前回、傍聴していて「この展示が何で?」という発言がされたとき、
実は私も同様に感じていたのを思い出したのだった。
たまたま私が見たブースは開会式が終わって人々がさっと引けてしまって退屈そうにしていたし・・・。でも確かに私も「この団体も生涯学習なのかぁ~」なんて感じたのであった。

この手の発言(地位のある人が危険を冒しかねない発言)を取り上げることは話題性はあるけれど、それってテレビと同じレベルだよ。いや、発言の趣旨を知らせず一部を切り取る、のは、新聞は証拠も残る分、やめて欲しいものだ。
そして、それをおもしろおかしく問題視する人々たちよ。
「見ーちゃたぁ~、見ーちゃったぁ~、アッコの秘密見っちゃたぁ~」
という輩がなんと多いことか。
この件についてはもう少しホームページで考えたい。

コメント (4)
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