ガッツ藤本(藤本正人)のきょうのつぶやき

活動日記ほど堅くなく、日々の思いをつぶやきます

続々実現?

2009-02-01 22:49:59 | 議会のこと
12月議会で一般質問する機会を得た。
そのとき提案したこと、ものが
今、どんどん実現している。
県行政にも感謝。
そんなことも含めてホームページも更新中です。
皆様、是非ご覧くださいませませ。
http://www.gutsfujimoto.com/

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新所沢地域福祉活動連絡協議会

2009-02-01 22:22:39 | 行事を見たり聴いたり活動
NPO活動は結構、横の連携がない場合が多い。
新所沢地区で長年福祉活動をされている方々、団体
そして、最近始めた方々、そして団体
連絡を取り合ってお互いの活動を充実させ新所沢のマチを幸せにしていこう、
という願いで
『新所沢地域福祉活動連絡協議会』
が数年越しの準備段階を経て1月30日
遂に発足した。
呼びかけ人は、長年「ふくじゅそう」で活動されてきた
野田芳子さんだ。

今日集まられたメンバーはいくつかの団体に所属している方も多く、
気持ちのある人は
一つ活動にとどまらないということと、
より広く活動の仲間を増やすこともきっと大切、
ということを思った。

自分も発会式にご招待を受けた。
新所沢地区で市議、県議とやってきたことを認めて頂いたようで嬉しかった。

裾野が広がること、連携強化で強くなること、を念じた日であった。

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小学校英語視察その2  2月28日(火)和田小学校

2009-02-01 17:09:08 | 視察関係
衝撃をまた受けた。
指導計画などの資料が手元にないまま思い出したことを元に書くので
正確さを欠くと思うが、記憶を頼りに、書きます。

和田小学校の発表は西部地区の小学校の英語研究の第4回発表会として行われた。
各小学校に1人「中核教師?」と名付けられた英語導入に当たっての中心教師がいるのだが、その先生方が来られていたので、5年生の授業に40人くらいの先生が来られていた。みな、自分の学校に英語をどう導入するかで責任持たされた人なので、真剣そのものであった。

Can you do this? 
Yes, I can.(No,I can`t.)

という場面をテニス(playTennis)だったり口笛(whistle)だったり換えて、AETとクラス担任が児童と掛け合ったり、それをビンゴゲーム形式で行ったり、児童が自慢できること、ものを用意してきて、それを「Can you do this? 」と問い掛け合いながらグループ内の友達に自慢するという形式で授業は進んだ。
子どもたちは5年生なのに、とても素直な反応でノリノリで、トランプや三点倒立など用意してきた自慢をしながらコミュニケートしあっていた。

小学校英語は、小学生の適応力を武器に英語を好きになればよし。また、英語を受け入れ、コミュニケーションすることが好きになればよい、と国はいう。

今日の授業は担任の先生と子どもの信頼関係、AETの先生の良さ、によって十分それらが達成されていた。また、和田小は、別に研究委嘱を受けたのではなく「これから必要だから」と先生方が自発的に取り組んできたのだという。
全職員の態勢にそれが十分感じられ、これも圧倒された。
「一体どうしたらこんなにやる気になるのだろうか?小学校の先生方は英語導入なんて迷惑なんではないのか?!」

授業後の全体会の雰囲気もさらに自分を圧倒した。
みんな英語を「やる気」で「真剣」なのである。

自分が抱いた率直な感想を挙げたい。

基本として、和田小の全先生、集まった先生方の前向きな姿勢と尽力に敬意を表しても仕切れない。
その上で敢えて、危惧したことも混ぜて申し上げたい。

・英語に対する全職員のやる気、一致協力職員態勢がすごい。どうしたらそうなるのか。
・英語でこれだけできるなら、国語でも社会でも子どもに高望みすれば、できるのではないか。教師の態勢いかんで、どの分野でも英才教育ができる。自分なら古典でやってみたい。いや、逆に既存の分野でなぜそれをしなかったか?という問われも生じてしまいそうだ。
・小学校の先生方は、まじめに英語をこの和田小学校のレベルにまで高めねばならないと感じている。しかし、中学校の教員はそうは感じていないだろう。求めるものに齟齬が生じそうだ。間隙をついて塾の進出が危ぶまれる。
・小学校の先生からすると、高学年は「素直さが少なくなっている学年=適応力を失いかけている→低学年から英語を導入しないと満足いくコミュニケーション力はつけてやれない」となってしまうのだ、と知った。中学校の教員からすれば、高学年だって何の何の、なんて素直なんだろう!とただただ感動ものなんだが。

英語をになう小学校の中核教師の先生方は真剣に、
・担任によって温度差があること、市町村によっても温度差があること、を嘆き、危惧している。
・あくまで担任が中心で、共通化された手法で行うべきことを自覚している。
・AETとの連携が取れないことを心配している。
・そして、コミュニケーション力をつけてやるためには高学年からの導入では間に合わず、生活の時間と総合学習の時間を使って準備すべきだが、学習指導要領では5年生からの導入であり、その前の時間の確保、小学校間の扱う時間の差の出現を心配している、
ようである。

その昔、総合的な学習の時間の一つとして「国際理解」もあった。地域に住む外国籍市民、の理解で十分だったはずだ。しかし、今後、英語の導入決定によって、一気に英語を話す人とのコミュニケーションに狭められ、結局英語科としての英才(初期)教育を求めてしまうのではないか、と自分は危惧する。塾も保護者もそこに突き進む。
中学校にはいるまでの助走期間をじっくり取れ英語好きが増えるというのではなく、英語を習うスタート時期が早まったというだけでレベルの高い英語を求め、結局、英語嫌いも早めに現れる、ということにならないようにしなければならない。
また、日本人はまた、英語を話す国々に対し、奴隷根性を増してしまうのではないか。(麻生さんに対する性急で容赦なき批判とオバマさんに対する扱いの差でも自分は感じる。)

具体的には、中核教師の心配されることに加えて、小学校中核教師と中学校英語科教師の授業参観と交流、意思疎通と認識の共通化をさせねばなるまい、と自分は感じた。


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