議会に向かう車の中のラジオが言っていた。
「子育ては大変です。育児ノイローゼも普通のことです。
気分転換も必要です。保育所も必要です。とにかく大変なんです。」
子育てが大変だとすると介護の方はもっと大変だろうな、
と僕は思った。
終わりが見えないし、成長の喜びがないし、
他人であることが多いのだから。
友人が言っていたことがあった。
「今の女性は昔よりきっと弱くなっているんだよ。
だから、子育て支援が必要なんだろうね。・・・」
育児と介護はペアであろう。
ブーメランのように恩讐が返ってくる。
無報酬労働が市場化、金銭化され、家庭の機能が奪われていく・・・。
女性は・・・、というよりけれど、女性だけではないに違いない。
そういえば子どもの体力が低下していると、この数年言われている。
原因はいろいろあろうが、それは置いておいて、
これからは大人の体力はどうなんだか、
調べてみるとおもしろい、
と思った。
きっと低下著しいに違いない。
とすれば、人間の体力がきっと低下しているのだ。
女性は、とか、子どもは、とか言われるときには、
実は人間が
という視点を疑わなくてはいけないのだ。
体力がなけりゃ忍耐もままならぬ。
きっと人間の忍体力ならぬ忍耐力も低下しているのだ。
環境がそうさせている、というのは事実だが、
その環境をせっせと作っているのも我々なんである。
環境整備も無考えの手放しで進めてはいけない気がする。
「都会から来た市民は『自然を守れ、自然を守れ』と
(自分は便利な町に暮らしておきながら、農家に自然生活をすることを強いるようなことを)言うけれど、
自然というのは不自由で不便なものなんだよ。」
と市議会時代の同僚S川さんが言っていたのを思い出す。
無自然な生活をしていると
自由で便利な分、体力も忍耐力も低下するのだ。
神様ではないけれど、
地球にだって限界があるんであります。
我々だって地球に生きる動物であることを
免れることはできません。
足るを知るということでしょうか。
人間に都合良い環境を作るのも思慮深く行きたいものです。
そんなことを考えたのでありました。