夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

武田邦彦・著の『エネルギーと原発のウソをすべて話そう』、読んでみたい本のひとつ・・。

2011-06-22 10:51:37 | 定年後の思い
今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読んでいて、
一番魅せられたのは、4面の最下段にある新刊の本の広告であった・・。

《 電力不足だから原発が必要?
  自然エネルギーで電力は足りる?》

と明示されて、

《 武田先生、
      本当のことを
             教えて!! 》
と大きく明記されていた。

私は微苦笑しながら、ぜひ本屋に行って、購読してみたい本となった。

http://www.sankei-books.co.jp/m2_books/2011/9784819111317.html
☆【産経新聞出版ホームページ】 <==『武田邦彦・著作 エネルギーと原発のウソをすべて話そう』☆


私は武田邦彦(たけだ・くにひこ)氏の著作された本は、
昨年の7月初旬に、たまたま本屋で見かけて、
『偽善エコロジー ~「環境生活」が地球を破壊する~』(幻冬舎新書)を買い求め、
精読したひとりであった。

このわずか一冊しか読んだことはないが、
今でも私の思考を遥かに凌駕していた本であったことを心の片隅に残っている・・。


私はひとつの事件で興味のあることは、テレビのニュース、新聞、雑誌、
ときには単行本、新書などで学ぶこともある。

たとえテレビのニュースさえも、
NHK、アメリカ、イギリス、フランスなどのテレビ局から報じる内容は、
それぞれ異なる場合もあり、こうした角度から見つめると、ひとつの事件でも大幅に違って、
私なりに思索させられ、ひとつの事件を複眼的な思考が養われ、解析できる場合もある。


もとより民主主義の下では、それぞれが利害の対立する事柄でも、
相手方の意見を聞くことが、少なくとも最低限のルールーであり、
公言される内容を抹殺できるのは、独裁政権下だけである。

こうしたことも含めて、
《・・
主な内容
•第1章 原発の後始末もウソばかり
•第2章 原子力と国際社会とエコと核
•第3章 自然エネルギー幻想と石油のウソ
•第4章 もう騙されない福島原発
•第5章 忘れられた地震予知の罪
•第6章 ウソとタテマエと巨大技術
・・》
氏の掲げられた標題を、専門家、関係者の諸兄諸姉は、謙虚に学び必要がある。


作家・曽野綾子さんの何かのエッセイの御著書に於いて、
《・・学者は嘘を公言、学説をされたりしたすると非難されるが、
 作家は本当のことを書くとプライバシー侵害などで訴えられる・・》
とこのような内容を作家・三浦朱門さんが私言されていた、と名言がある。

私は三浦朱門、曽野綾子の両氏を信愛しているので、
この名言を頼りながら、
今回の本書を武田邦彦氏から、多々教示を受けたく、購読の決意をしたのである・・。


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東京郊外は梅雨の間の快晴となり、我が家はエアコンは休眠し、扇風機、団扇(うちわ)が活躍して・・。

2011-06-21 20:37:01 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
今朝、地元の天気情報を見たら、
朝の6時は22度、昼下りは29度前後、夕暮れの6時は27度前後、
朝のうちは小雨が降りますが、次第に回復して午後より快晴となり、
梅雨の間の初夏のような暑さになります、
と報じていた。

私は寒さには強く、暑さに何よりも苦手な身であり、
家内は寒さに弱いが、夏の暑さは32度ぐらいでは平然としている。
こうした風変わりな夫婦なので、
困ったなぁ、と少しばかりため息をしたのである。

午前10時過ぎに陽射しが燦燦と照らし、居間の温度計も29度を指していた。
我が家は網戸越しに、微風は吹いてくるが、私は暑さを感じて、
やむなく私は扇風機で風を強くしたり、
テラスに下り立つ時は、団扇(うちわ)で扇(あお)いだりした。

この後、昼食を頂いている時は、30度を超えていたので、
私は扇風機の風に吹かれて、家内と話したりしていた。

『節電の時世・・確か政府は28度ぐらいの室温に協力を・・と云っていたよねぇ・・』
と私はエアコンの冷気が苦手な家内に云ったりしたのである。

『そうでしたよねぇ・・』
と家内は微笑みながら私に云った。

『確か・・20数年前頃・・主婦連の方たちが、夏のエアコンの最適な温度は、
27度ぐらいが理想的・・と記憶しているが・・』

『あの当時は・・エアコンは冷やすものだと・・
各家庭が寒いぐらいに冷やしていた時代だから・・適温を云ったのよ』
と家内は笑いながら私に云ったのである。

『先ほど、そこにある温度計・・30度を超えていたよ・・
我が家でも、今年初めてのエアコン・・セットしょうか?』

『今頃から・・エアコンのお世話になると、非国民と云われますよ・・』
と家内は私に云ったりしたのである。

『非国民かょ・・XXちゃんも昭和24年生まれなのに・・よく知っているねぇ』
と家内より5歳ばかり齢上の私は苦笑したりした。


私は昼下り、2階の和室で、夏掛け布団を掛けて、横たわり、
扇風機の風を受けながら、本を読みはじめたりしたが、
この先、梅雨明けの後に真夏日の夏を迎えるので、
昨年のような記録的な猛暑が続くのは困惑するばかりであり、
『今年の夏は・・余り熱くならないでねぇ・・』
と私は秘かに呟(つぶや)きながら、天上の気候の神々に祈願した・・。


この後、15分ばかりウトウトした後、
何故かしらイタリアのルネサンス期の政治思想家のマキャヴェリの名言を思いだしたのである。
『・・弱い国家はつねに優柔不断である。決断に手間どることはつねに有害である。』

そして、我が国の現世、肝要な政権与党の民主党の迷走を重ね、確固たる指針もできず、
果たして評価にも値しない政権下で、
この先の日本は・・と無力な私は憂(うれ)いたりしたのである。


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『KARAパラ』を視聴して、齢を重ねた私でも、若き人たちは今年の夏、パラパラ旋風の予感して・・。

2011-06-21 11:40:47 | 時事【社会】
昨日の深夜、私はネットでニュースを見ようと、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、
なぜかしら音楽ニュースを見ていたら、

《 新CMで“KARAパラ”ダンス、「もっと練習しま~す!」》

と題された記事があり、『KARA』に関しては、
現代アジアを中核に世界に向けて最も勢いのあるガールズ・グループである、
ということぐらいは齢を重ねた66歳の私としては、世の中の常識の範囲として知っている。

しかし、無念ながら、『・・パラ』と明記されても私は無知であり、
何事も好奇心を失くしたら、この人生は終わりだ、と信念の私としては、
こっそりと、クリックした。

http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/music/mnews/20110620-OYT8T00830.htm?from=navlk
☆【YOMIURI ONLINE】 <==《 新CMで“KARAパラ”ダンス、「もっと練習しま~す!」》☆

私はNTTドコモ2011夏モデルのスマートフォンのイメージキャラクターに決定し、
都内で行われた発売記念イベントに登場したニュースと解かり、
《KARAおなじみのヒップダンス、ペンギンダンスに続く》、新たなる美麗なダンスが『KARAパラ』である、
と理解したのである。

そして、この記事の下にある公式サイトを開いた・・。

http://www.optimus-kara.jp/
☆【NTTドコモ】<==スマートフォン「Optimus bright(オプティマス ブライト) L-07C」
    <==『KARAパラ スペシャル サイト』☆


私は15分ばかり視聴し、
若き人たちは、夏の海辺に於いて、はじけるような笑顔で青春のひとときを謳歌している情景に、
いいよなぁ、と見惚(みと)れたりしていた・・。

そして今年の夏、日本の若き人たちも、このように躍動感あるひとときを過ごしてほしい、
と私は念願したのである。

今年の3月11日の北日本大震災で、日本の世の中の空気は一変し、
重苦しい沈静化した状況になっている。
こうした風潮を一変するには、
若い人たちの言動が発端となって社会を変えてきたのが、ここ50数年の風潮の流れである。

このようなことをぼんやりと思っていた私、
若き人たちが中核となり、今年の夏、パラパラ旋風の期待しているのである。

余談であるが、私は血液型はB型の上、思想は齢を重ねても真摯な思いで日本の発展を願うひとりで、
表面は明るくさわやかなタイプであり、
これまでの人生に於いて、予感めいたことは、これまで7割方・・的中しているのである。


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『浴衣で城下町散策いかが、女性向け観光プラン』、私は微笑みながら、やがて苦笑し・・。

2011-06-20 20:07:49 | 定年後の思い
私は先ほど、ネットでニュースを見ようと、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、
左側の上段に、若き女性の浴衣姿の写真が掲載されていたので、
齢ばかり重ねた66歳の私でも、瞬時に魅了さ、思わずクリックした・・。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110620-OYT1T00249.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==『浴衣で城下町散策いかが、女性向け観光プラン』☆


私はこの企画をされた方に好感し、
多くの女性の方に、浴衣を召して旅先の街中を散策してほしい、
と思ったりしたのである。


こうした思いのひとつとして、私たち夫婦が城崎温泉で外湯めぐりをして、
散策している時、若き女性の4人の方のささやかな思いでがあった・・。

2007年の6月中旬に、私たち夫婦は、
ある旅行会社の周遊観光ツアーで山陰地方を2泊3日の小旅行に参加した時、
思いでのひとつである。

この小旅行に私はブログの投稿文を綴って、この中の城崎温泉については、
下記のように記載している。

【・・

   第3章  香(かお)りある城崎温泉

陽が高い3時半過ぎに城崎温泉に近づくと、
円山川の水量の多さに私は驚いていた。

私は城崎温泉は初めてであり、
小説家・志賀直哉の『城の崎にて』を若き日々に読んだりしていたが、
内に綴られたことは忘れたが、きのさき、じょうがさき、などと混同している・・。

感覚的なイメージとしては、歌人・吉井 勇が京の祇園で詠まれた、


  かにかくに 祇園はこひし
           寝るときも 枕の下を 水のなかるる


と著名な歌に、どうした想いか分からないが、重ね合わしている・・。


街中の『喜楽』の一室に通されたが、昔からある旅館のたたずまいであった。
畳の井草(いぐさ)の香りが匂い落ち着いた和室で、
和花の名前が部屋名として名付けられていた。

4時過ぎに、私たち夫婦は浴衣と下駄、そして扇子を持ちながら、外湯めぐりに街の中に出た。
日中の熱気が残る中、扇子で扇(あお)ぎながら、街中の店先を眺めたりした・・。

店先の椅子で地ビールを呑める処で、
私はビール、家内は特性あるアイスクリームを頂いた。
この街は、外湯めぐりと称され、
外湯の七箇所がそれぞれ特色ある湯処となっているので、
私達と同様に、浴衣と下駄、草履姿が多く、宿泊している旅館により、浴衣が差異があり、
特に女性の華やいだ浴衣に好感し、私は眺めたりした。

その後、外湯に一軒に入浴後、
家内を外湯の前のベンチで待ったいた時、
花菖蒲(ハナショウブ)の咲いた一角で20代の4人の女性が
お互いに記念撮影をしたりしていた。

そして、この中のひとりが私にシャッターを押して、
と言うしぐさで近寄ってきた。

私はシャツターを押した後、
華やいだ浴衣もさることながら、3人の方は黒髪で、ひとりの方は淡い茶髪であったりし、
携帯電話を持ち合わせていない若き女性の4人に好感を増した・・。

外湯めぐりをしながら、浴衣と草履で街中を散策する時ぐらいは、
せめて日常の携帯電話を持たないで歩いて欲しい、
と思っていたからである。

このことは情緒、情感であり、少なくとも文化の問題と確信している。


夕食後、夜の街を散策し、射的などの遊技場で戯れ、
外湯で入浴し、地ビールの香りと味を甘受け、
浴衣姿の人々を眺めたりした。

その後、家内と散策したら、前から先ほどの4人の女性と偶然に逢い、
若き女性たちは私たちに黙礼をした。

私はほんのひとときであったが、日本の文化も健在であった、
と微笑みながら、黙礼をした。

夜のとばり、街の中を歩く下駄を音を聴きながら、
私は眠りに付いた。
・・】

このような浴衣姿の若き女性のグループに好感したこともあったので、
ささやかな思いとして、こうした情感を蘇(よみがえ)ったりしたのである。

今回、若き女性たちの浴衣姿の写真の一葉を拝見したが、
なぜかしらひとりの女性の髪が金髪に染められていて、私は困惑しながら、苦笑させられたのである。

そして黒髪の美しさを知らなく、ご自分を粗末にした若き女性に、
幼年期の『はしか』と同様かしら、苦笑したのである。


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読書に限りなく魅了されている私、本屋、古本屋などで購入するが、電子書籍には無縁であり・・。

2011-06-20 15:26:26 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
遅ればせながら高校生になってから、突然に読書に目覚めて、
定年後の今でも、読書が第一趣味となっている。

昨今は、小説を読むことは少なくなり、
随筆(エッセイ)、ノンフェクション、近現代史などの本が圧倒的に多いが、
ときには映画、音楽の専門誌も買い求めたりすることもあり、
つたないなりに乱読をしたりしている。

こうした本は、殆どが駅前の本屋で買い求めたり、
或いは古本屋で偶然に魅せられて購入してきた本である。

私は民家、美術など3万円を超える豪華な本だけは、
やむなく図書館で年に一度ぐらい拝見するぐらいで、
通常の本に関しては、若き20歳の前後は、たとえ一食抜いて、お金をためて購入したりし、
その後も読みたい本は、家計の中で優先として購入し、手元に置きたい習性がある。


こうして50年ばかり過ごしているが、具体的に購入する時は、
新聞、総合月刊誌の出版社の新刊本の案内広告を見たり、
或いは本屋、古本屋の陳列棚で、偶然に見かけたりして買い求めたりしている。

一番に困るのは、ある日、突然に魅せられた作品を読み、
この著作者の過去の作品を読みたい場合は、
ここ10数年、本の流通の速度が余りにも速く、駅前の本屋などには皆無となっている。


少なくとも20年数年の頃であったならば、
本屋で注文して、二週間過ぎた頃に手に入れることが風潮であったが、
昨今、『Amazon』などのネットで本を買い求める人たちがいると知り、
遅ればせながら先程、ある作家を検索したら、驚いたのである。

大半の刊行された本が羅列し表示されて折、
本屋の新刊本、旧刊本、そして古本屋でも中々見かけることの出来ない本もあり、
まぎれなく『Amazon』などは、本の集約されたセンターかしら、
と思いながら、その作家の出荷できる本の一覧表を見ていたのである。

これだったならば、もとより本屋で取り寄せの注文で2週間も待たず、
或いは古本屋で探し求める必要はない、と感じたりした。

そして、時代の流れかしら、と思いながら、
本屋で偶然に見かけ購入してきた心の高揚感が失われることもあるが、
しばらくは本屋とネツト購入の二刀流も良い、と思ったりした・・。


しかしながら、私のような本の愛好者が、
こうしたことを利用すると、ますます街の本屋が衰退し、
何よりも本屋で陳列棚で見かける楽しみもなくなるので断念した。
そして私は従来通り、本屋で取り寄せの注文をしている。

ここ30数年、コンビニが全国の各地に進出し、荒利の多い雑誌も店内で並び、
街の従来からの本屋が壊滅的となり、
やがて大型チェーン店の支店しか存続できなくなったことは、
多くの都市部の街中の実態でもある。

私は街中の商店街で、たとえスーパー、コンビニがあっても、
本屋、文房具店、喫茶店、軽食店、居酒屋、理髪店(散髪屋)、美容院など店は、
文化のひとつである、と確信しているひとりである。


尚、昨今に於いて、電子書籍が盛んな話題となっているが、
少なくとも文藝作品に関しては、本は手に取り活字を読み、
著作者の伝えたいことを受け止めながら、
そして行間から著作者の思いを馳せながら深める、
こうした習性が50年ばかりとなっているので、私には論外である。


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『書くことの孤独と不安』、古き新聞記事のひとつにあり、創作者をめざす人々に教訓と覚悟・・・。

2011-06-19 21:42:45 | 定年後の思い
私は新聞記事などで、感銘を受けた記事に関しては、茶色の整理箱に入れる習慣があり、
先ほど、たまたま開いて、一番奥底にあった記事のひとつを読んだりしていた。

そして、これから創作者をめざす人々に、
教訓と覚悟、そして自戒を提示させる名文である、と私は改めて深く感じたりした・・。

2005年8月19日の読売新聞の夕刊に掲載されていた記事であり、
文化部の鵜飼哲夫・記者が綴られている記事で、
『書くことの孤独と不安』と題している。

無断であるが、創作者をめざす人々に学んで頂きたく、あえて転記させて頂く。

《・・
「夫婦で小説を書くなんて、地獄だなあ」
若き日の吉村 昭さんと津村節子さんに、
痛ましそうな表情でそう言ったのは、作家の八木義徳である。

学習院の文藝部時代に知り合い、結婚した二人が、
いずれも作家として芽が出ず、
津村さんが
「書いても書いても波が消し去る砂絵のようにあてどない努力」を
していると感じていたころだった。

吉村さんは、芥川賞を4回落選。
津村さんは、3度直木賞を落ち、
1965年、2度目のノミネートで夫の取れなかった芥川賞を
37歳で受賞する。

夫婦の葛藤がいかなるものだったか。
吉村さんの著作『私の文学漂流』などでいくらか知っていたが、
このほど完結した『津村節子自選作品集』(岩波書店、全6巻)の
最終巻に収録された書下ろし『私の文学的歩み~遙かな光』を読み、
そのすざまじさに改めて息をのんだ。

1961年、津村さんの書く少女小説で、
なんとか生活ができるようになった時、吉村さんが勤めをやめ、
作家専業になった。
未熟児で生まれた娘を抱え、不安はあったが、
津村さんは
<彼の焦慮は、私のものでもあり、反対はできなかった>
と書いている。

しかし、それでも芽が出ぬ夫は2年後、
「俺は君の厄介になるのに疲れた」と、
再び働くと言い出す。

これに対して津村さんは
<疲れたのは、こちらのほうだ、と私は言いたかった。
「女房に稼がせて、悠々と自分の書きたい物を書いている俺を、
腹立たしく思っているのだろう」
彼は私の心の中を見通していて、反論できなかった。
軀の中を、野分が吹き抜けて行く様な気がした>
と書いている。

津村さんの芥川賞の翌年、
吉村さんは太宰治賞を受け、その後は読売文学賞など数々の賞に輝き、
二人は今、芸術院会員である。

しかしこの文章は、功成り名遂げた作家の安隠な回想ではない。
津村さんは、今も無名時代のように、書くことへの不安があるのだ。
<私はよく夜中にうなされてうめき声を出すらしく、
吉村に起こされる。
遙か海面に光が見えている深い海の中にいるような気持ちは、
今も続いている>
と記している。

松本清張も、晩年まで自作の出来を気にし、編集者に、
「面白い?」
と何度も聞く作家だった。

その清張を師と仰ぐ宮部みゆきさんも
「一作、一作ゼロからの出発ですから、不安なんです」
と語る。

書くことの孤独を思う。
それが文章を鍛えていくのだろう。
孤独の深さの中で、彼等が探り当てる日本語は、
読者の心を揺さぶる。
・・》
以上が全文である。

これから創作者をめざす人々には、
これ以上の教訓と覚悟、そして自戒はないと思われる。

私は、創作者もさることながら、
たとえ野球選手の一流バッターでも、
春先になると、昨年まで三割を打てていたのだが、
今年はちゃんと打てるのだろうか、とそのバッターの心境を私は思いめぐらす・・。

私は、若き日々に文学青年の真似事をして、挫折した私は、
改めて、このようなことを深く感じている・・。

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齢ばかり重ねた私は、この2週間ばかり彷徨(さまよい)ながら過ごし、独り微苦笑を重ねて・・。

2011-06-19 11:07:52 | 定年後の思い
私は定年退職後、私は念願の年金生活を始めて、
日常は買物、散策などの時、季節のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりしているので、一日が終るのが早い、と溜息をついたりすることが多い。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。


このような生活をしているが、何故かしら、この2週間は落ち着きを失い、過ごしている。

過日の3日、我が家は遅ればせがら、テレビを『地上デジタル』に対応させた。
私が昨年の秋に魅了されたテレビの改定版の新商品3D機能の50型、
これに対応したハードディスクのあるブルーレイ・レコーダを購入した。

私が悩んでいることは、居間にある映画棚にあるビデオテープのことである。

私は2004年の秋に定年退職した後は、
ゆっくりと映画作品、ノンフィクション作品を鑑賞しようと、
50代の半(なか)ばの頃から、ビデオ販売店で盛んにVCT、DVDを買い求めたり、
或いは『NHK-BS』、5年ぐらい加入した『WOWOW』で、
録画したりしていた結果、専用棚に於いて1000本前後の作品となってしまったのである。

このビテオテープを観るには、
従来から愛用しているビデオテープ・レコーダーを再生専用と配置したが、
これからビデオテープ作品をブルーレイにコーピーして保管するか、
思案しているのである・・。


過ぎし12日、パソコン用の外付けのハードディスクの購入に家電の量販店に行った時、
何気なしにパソコンの新製品の販売コーナーに行き、
洗濯機と同様に耐久商品と確信している家内でも、パソコン買い改めたら、と稀(まれ)な進言もあり、
『ウィンドウズ・セブン』のパソコンを購入することになった。

このパソコンが28日に配達されるので、
私が愛用しているパソコンは『ウィンドウズ XP』であるが、
私はパソコンに関しては、独学で学んできたりしたので、
ときには基本が解からないこともあり、戸惑ったりしながら、苦笑する時もあったりする。

今回、新たなるOSの『ウィンドウズ 7』に際して、
マニアル本を開き、ここは従来の『ウィンドウズ XP』と変っている、と心の中で呟(つぶや)いて、
学び初めたりしている・・。


そして私は愛煙家のひとりであり、煙草(たばこ)をこよなく愛して45年は遥かに超えている。
何故かしら私の脳裏には、煙草が波長に良く、自動車でたとえるならばエンジン・オイルのような役割で、
私には秘かな心身のビタミン剤となっている。

今回の北日本大震災で、煙草(たばこ)の製造主力福島工場も被災となり、
わが愛する『チェリー』の銘柄は、製造中止となり、困惑しているのである。

私は『チェリー』を40年ぐらい愛してきたが、
やむなく煙草販売のする販売店の方と談笑しながら、日本製、外国製のそれぞれの煙草を喫ったりして、
今後の愛煙する銘柄を探し求めているのが、ここ一ヶ月の出来事のひとつである。

私は『定年迷子』には無縁で年金生活を過ごしてきたが、
はからずも『煙草迷子』になるとは、予期しなかったことであり、
苦笑しながら、どの銘柄にすれば私の心身と合致するの、
とため息をすることもある。


このように私は、ここ2週間ぐらいは、平素のペースが崩れている。

昨年まではこの季節になると、下記のように過ごしてきた・・。

雨降る中、紫陽花(アジサイ)、杜若(カキツバタ)と同様に、
下草として植えている雪ノ下(ユキノシタ)が白い花を咲かせる。

この雪ノ下の白い花は、幾つかのかんざしを合わせたかのような可憐な容姿で、
葉は緑色、黄緑色といったように幼い葉は萌黄色の色合いを見せながら、
微風に揺れながらも凛(りん)した気品をたたえている。

主庭の外れに半夏生(ハンゲショウ)を10数本植えているが、
黄緑色した葉の中で、わずか先端の数枚の葉は化粧をしたように白く染めあげられたし、
ほのかな妖艶と感じ受けとめている。

庭の樹木のたわわな葉は、淡い緑色や深緑となり雨粒でしっとりと濡れ、
地表は黒土となり、清々(すがすが)しい情景になる。


我が家では、無念ながら紫陽花(アジサイ)はないので、
買物、散策の時、川沿いの遊歩道の一角、小公園などに立ち寄り、享受したりしている。

淡い紫色、透きとおる青色の色合いが私の好みであり、
小雨が降ったり時、散策の折、偶然に見かけると、
傘を差しながらも、見惚(みと)れてしまい、しばらく独りでたたずんでいる。

この時節、忘れてならない菖蒲の一種の杜若(カキツバタ)は、
底知れぬ美の極致と、思いを寄せたりする。

この梅雨の時節、私なりの散策をしながら、
歴然とした美を享受を受け、齢を重ねるたびに心は深まったりしている。

そして雨の降りしきる中、煙(けむ)るような木立の情景に見惚(みと)れたり、
ここ6年ばかり梅雨の時節は、私なりに秘かに心を寄せている。


この後、少しぼんやりと、水無月に相応しい茶花を思ったりした。
薊(アザミ)、杜若(カキツバタ)、がく紫陽花(ガクアジサイ)等は、
特に魅了される。
そして初夏になると、夏椿(ナツツバキ)、宗旦木槿(ソウタンムクゲ)に待ち焦がれる。

このように私は、この『梅雨』の季節を過ごすことが、平年の習性となっている。


今年はこの季節・・齢ばかり重ねた私は、このように彷徨(さまよい)ながら過ごし、
独り微苦笑をしたりしている。


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曽野綾子・著作の『緑の指』の本から、旧約聖書と新約聖書の相違などを明晰に教示させられて・・。

2011-06-18 12:26:36 | 定年後の思い
昨日の午後3時過ぎより、私は一冊を本を読みだした・・。
曽野綾子・著作の『緑の指 ~ガーデニングの愉しみ~』(PHPエル新書)であり、
2002年4月に発刊され、私は本屋で偶然に見て、購読した一冊であり、
正確には9年過ぎた今、再読となった・・。

本書は、裏カバー紙に、
《 植物を育てる才能のことを英語で「緑の指(グリーン・フィンガーズ)」と言う。
  三浦半島の西海岸の海辺で、畑をする日々を始めた著者。
  トマト、エンドウ、そしてアフリカの木、バオバブ。
  自然と触れることを通して、人生という試練、
  人間として生きる意味を問いかける。》
と明示されている。

著者は多忙の中で、このような日常のひとときを過ごされるのであるが、
カトリック教徒のひとりとして、
《・・毎年、四月の半ばから五月の初めまで、グループで、イスラエルへ行く。
(略)

イスラエルは聖書の舞台である。
新約聖書はマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、という4人の福音史家によって
書かれた四つの福音書を中心になりたっているのだが、
聖地は俗に第五の福音書と言われるほどである。
それほど現地を見ると、聖書が理解し易くなる。

(略)

イスラエルでは舞台は大きく二つに大きく分けられる。
死海を中心とする渇き切った荒野の南部と、
ガリラヤ湖とヨルダン河を中心とする北部の緑の多い地方とである。

(略)

・・死海を中心とする地方は、ところどころオアシスの緑に綴られているが、
つまりユダヤ教徒たちの意識にある「旧約の世界」である。
それは、勧善懲悪を実行する「怒りの神・妬みの神」の支配する世界だ。

しかしイエスという人が現れてから、
それまでの「眼には眼を」の復讐の原則を拒否し、
加害者に対しても愛と許しを基本とする「新約の世界」が生まれた。

ガリラヤ湖とヨルダン河の光景は、まさにその愛と許しの世界の象徴的な風景である。
・・》
注)本書の32ページ~34ページを引用。
  原文にあえて改行を多くした。


私は東京郊外の調布市に住むの66歳の身であり、
生家は数多くの一般家庭にある仏教の一系統の曹洞宗であり、
そして神棚もある家で育ったが、宗教に無関心である。

朝のひとときには、陽射しに向かい、両手を合わせて太陽に感謝した後、
居間のビデオ・ケースの上に立てかけている書家・詩人の相田みつをの『日めくり ひとりしずか』に向い、
氏の遺(のこ)された名言を人生の生きた哲学のように、
ここ15年近く学んでいる。

そして日頃の私は、何かと独断と偏見の多い言動を、
人生の戒(いまし)めとして、反省しながら日々教示されている。

このようなことを殆ど毎朝、私の習性となっている。


私はキリスト教、イスラム教、仏教にも無知であり、
特にヨーロッパの書物、映画、音楽においては、
石の文明が前提であり、その上にキリスト教を抜きにしては理解できない、と解かっていても、
恥ずかしながら聖書を通読して読んだことがない。
そして無知なことを告白すれば、旧約聖書と新約聖書の相違も明確に知らないのである。


今回、本書のこの引用させて頂いた部分を読みながら、
私は二十歳前後に、映画舘で観たアンドレ・カイヤット監督の『眼には眼を』(1957年)の作品をはじめとする
欧米の歴史劇の10数本を思い浮かべながら、
著者の明晰あるイスラエルの風土、そして旧約聖書と新約聖書の相違などを多々教示されたのである。

わずか数ページの著者の綴りから、キリストの世界がおぼろげに判明し、
私にとって読書が何よりの優先する課題であるので、
これも功徳のひとつかしら、と微苦笑さられたりしている。


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齢ばかり重ねた私は、季節のうつろいを友とし、限りなく愛読させられる本は・・。

2011-06-17 10:34:49 | 読書、小説・随筆
私は東京郊外の調布市に住む66歳の高齢者の身であり、
東京郊外で農家の児として生を受けて、
中小業のサラリーマンを35年ばかり勤め、卒業した年金生活の7年生である。

古びた一戸建てに住み、小庭の雑木、草花を眺めたり、
周辺の遊歩道、公園を散策をしたりして、日々季節のうつろいを何よりも教示されている。

ときおり、家内との共通趣味の国内旅行などをして、
各地の四季折々の限りない美に心を留め、齢を重ねるたび愛惜が深まっている。

このように感じ受け止めて日々を過ごしたりしているが、
つたない無知な私は何かと書物で、改めて日本の歳時などを謙虚に学んでいる。

例えば、藤野邦夫・著の『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)、
飯倉春武・著の『日本人のしきたり』(青春出版社)、
朝日新聞社・編の『色の彩時記~目で遊ぶ日本の色』(朝日新聞社)、
講談社・編の『茶花歳時記』(講談社)、
野呂希一、荒井和生・共著の『言葉の風景』(青菁社)、
長谷川 櫂・著の『四季のうた』(中公新書)、
松田 修・著の『古今・新古今集の花』(国際情報社)、
道行めく・著の『美しい日本語帳』(永岡書店)、
山下景子・著の『美人の日本語』(幻冬舎文庫)
などが私の机の横にある小さな本箱にあり、
定年後に幾たびか読み返したり、或いは初めて精読した本もある。

そして齢ばかり重ねた無学な私は、ときおり国語の辞書を置き、
そおっと開いたりしている・・。
久松潜一・監修の『新潮国語辞典 ~現代語・古語~』(新潮社)であるが、
二十歳以来から何かと教示を受け、私の秘かな言霊(ことだま)の恩師となっている。


私は定年退職後に自宅にインターネットを開設した遅れた身であるが、
Webの世界の進化に驚き、ため息をしたひとりである。

そして、まもなく『日本文化いろは事典 ~胸はって、ニッポン人!~』を知り、
ときおり開き、学んでいる。

http://iroha-japan.net/
☆【 日本文化いろは事典 ~胸はって、ニッポン人!~ 】

このサイトを開き、知りたいことを検索し、
こうだったの、と赤面したりしながら学んだりしている。


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『Windows 7( ウィンドウズ・セブン)』、遅ればせながら齢を重ねた私は、学び初めて・・。

2011-06-16 17:47:57 | 定年後の思い
過ぎし12日、私は家内の買物にボディ・カード兼お供、そして散策も兼ねて出かけたが、
途中で私のパソコン用の外付けのハードディスクの購入もあり、
家電の量販店にも寄ることにした。

私はパソコンの故障を幾たびか経験していたので、
データの予備として、外付けのハードディスクの購入を検討していた。
昨今、2TB(テラ・バイト)でも動顚するばかりの低価格となっているので、
年金生活の私でも保有したい、と思っていたのである。

家電販売店で外付けのハードディスクの購入した後、
何気なしにパソコンの販売コーナーに行き、
私たちは、ぼんやりと各メーカーのそれぞれの新製品を観たりしていた。


私が現在使用しているのは、『ウィンドウズ XP』が搭載された富士通のディスクトップであり、
2006(平成18)年の9月下旬に買い改めた機種である。

ディスプレイはこの当時の流行の20.1型のワイド画面のスーパーファインVXのハイビジョン対応であり、
CPUはインテルのデュアルコア、メモリは1GB、
ハードディスクは400GB、ドライブはスーパーマルチ等で、
この当時としてはある程度は最強版となっていた。


このパソコンは、ハードディスクに関しては、Cドライブは実質30GB、
そしてDドライブは実質338GBと分割構成されているが、
問題はシステムを含むCドライブで、私の個人用に使用しているソフトを記憶させたり、
何よりもインターネットで、色々な更新が加わるので満杯近くになっている。

やむなく私は、写真などは、Dドライブに移行させて管理したり、
不必要なファイルの削除をした後、ディスクの圧縮作業のデフラグをしたりした。

昨年の12月は、やむなくハードディスクの再分割作業し、Cドライブを増加させて、
パソコンを日々利用しているが、ネットの世界は益々進化しているか解からないが、
情報の洪水のような今日に至っているのが、ここ数年の世の中となっている。


このような事情を秘めていたので、遅ればせながら、
現代の主流のOSの『Windows 7( ウィンドウズ・セブン)』を搭載した新機種のパソコンを
購入予約した。


これまでの私の『ウィンドウズ・セブン』に関しては、複雑な思いがあり、
このOSが日本で発売された時の心情は、
このサイトでも、一昨年の2009年10月22日に於いて、
【『ウィンドウズ 7』の発売に際し、年金生活の私のパソコンの思惑は・・。】
と題して、投稿している。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の65歳の身であるが、
今朝のNHKのニュース、読売新聞の広告などで、
マイクロソフトのパソコン用基本ソフト(OS)の新製品「ウィンドウズ7(セブン)」が本日、世界同時発売された、
と報じられていた。

《・・
セブンは、2007年1月に発売されたビスタの後継OSであり、
情報の処理速度を上げ、起動時間をビスタの40秒から29秒へ短縮したほか、
画面に触れて操作するタッチパネル機能を盛り込むなど、
使いやすさを向上させたのが特徴だ。
・・》
と読売新聞の記事にも掲載されていた。

私の現在使用しているパソコンのOSは、『ウィンドウズ XP』であり、
ネットで地元の天気情報、【読売新聞】、【日本経済新聞】の基幹ネットのニュースを見たり、
ブログのサイトに加入し、文章を綴ることを生きがいとしているので、ほぼ毎日投稿したりしている。、
そして音楽も好きなので、ときたま【YouTube】で聴いたりしている。

電子メールの活用は、月に10数通程度で、
国内旅行は私達夫婦の共通趣味であるので、ときおり出かけた時にデジカメで撮り、
これをバソコンにファイル名を付けて、ハード・ディスクに収納している。
そして、表計算のソフトを使用して、独自の家計簿なども作成している程度である。
その上、パソコンでテレビ番組を視聴することもないのである。

このような活用しかパソコンを利用していないが、
新たなる基本ソフトの『ウィンドウズ7(セブン)』は気になるので、
一昨日、プリンターのインクを購入にパソコン量販店に寄った時、
新たなる『ウィンドウズ7(セブン)』が搭載されたバソコンを観たりしたのである。

そしてCPU、メインメモリ、ハード・ディスクも増加強化されて、
ブルーレイ・デイスクも付加されている機種もあり、画面なども美麗となり、
パソコンの色合いも各色があり、思わず私は微苦笑させられたのである。


私が現在使用しているのは、『ウィンドウズ XP』が搭載された富士通のディスクトップであり、
2006(平成18)年の9月下旬に買い改めた機種である。

ディスプレイはこの当時の流行の20.1型のワイド画面のスーパーファインVXのハイビジョン対応であり、
CPUはインテルのデュアルコア、メモリは1GB、ハードディスクは400GB、ドライブはスーパーマルチ等で、
ある程度最強版となっている。


これ以前に愛用していた機種は、やはり富士通のディスクトップ(『ウィンドウズ XP』)のタワー型であった。
2001(平成13)年の秋、定年退職時が2004(平成16)年の秋であったので、
定年後の生活に備えてパソコンを一新した。

この頃の時代は、液晶ディスプレイが普及し始めたであったが、
迷ったりしたが安定性を配慮し、19型のフルフラットCRTとした。
ドライブもCD-R/RWとDVD-RAM/Rの2ドライブ、
そしてフロッピー・ディスクも備えたタワー型であったので、
ある程度10年前後は大丈夫かしら、と思ったりしていた。
そしてプリンターも新調し、机、脇机、そして椅子を買い揃え、定年後に備えたりした。


このディスクトップの自宅専用の前に使用していたのは、
富士通のノートパソコン(『ウィンドウズ 98』)を使用していた。
1998(平成10)年の夏に会社と自宅で使うので購入し、それ相応に使い込んでいたが、
下取りとしてこのノートパソコンを手放した。


そして定年後の生活に備えたバソコンは、2006(平成18)年9月中旬に、
心臓部のキャッシュメモリ、メインメモリの一部でわずかな磨耗があり、
部品の交換すると10万円を超えるので、
やむ得ず新製品の購入としたのが、現行機種なのである。

この間に、インターネットの回線は、地元のケーブルテレビ会社のネットから、
NTT東日本の光ファイバーに改定して、現行となっている。


このようなパソコンに関し10年を得てきた私としては、
程ほど安定したOSの基本ソフト、CPU、メインメモリの処理時間、ある程度の記憶容量のハード・ディスク、
そしてネットの送受信の光ファイバーの回線であれば、
現状で良いかしら、と思ったりしたのである。

しかし、つたない私は、思案している。
①Webの世界はたえず進化しているので、
 この中のひとつブログの世界でも、文字情報だけの時代から写真添付の時代、
 そして動画添付の時代と進化している。
 全般のWebのネット環境で、処理負担と処理速度がどこまで要求されるか。

②肝要のOSの基本ソフトの『ウィンドウズ XP』に関して、
 ウィンドウズ社がこの先いつまでセキュリティの保障して下さる期間なのか。

③そして個人的な範囲として、私のパソコンが故障もせずに、いつまで安定しているか。
 現行の私の使用しているパソコンで、今年の6月に画面が消えてしまい、
 修理に依頼したら、液晶画面の寿命と知り、交換して頂いた体験がある。


私は①から③までひとつでも該当があった時、やむえず国内旅行費を削減して、
新たに『ウィンドウズ 7』が搭載されたパソコンに買い換える決意をしたのである。

このような決断は、1969(昭和44)年にコンピュター専門学校に一年間学び、
これを梃子(てこ)にして民間会社に中途入社し、その後20年間ばかり情報畑に勤めた体験かしら、
と年金生活の私は、言い訳をしている。
・・】


このような思いを一昨年の2009年の10月下旬で感じたりしていたが、
私の予測を遥かに超えて、Webの世界はたえず進化し、情報は増加するばかりであり、
私のパソコンからクリックしても、通称バソコンは重いと称されているレスポンス(応答時間)は遅くなっている。

こうした事情とバソコン本体のハード・ディスク、液晶画面の寿命もあるので、
やむなく今回、パソコンを買い改めたのである。


この購買予約した日の翌日13日、
私はキャシュ・カードを持参して、正規購入の手続きをし、配達日を23日とした。

この後、自宅の最寄駅の近くの本屋に寄った。
そして、パソコン・コーナーの棚に行き、
『ウィンドウズ 7』の初級編のマニアル本を買い求めたのである・・。

恥ずかしながら、私は汎用、オフィスのコンピュータのシステム設計、プログラム、そして操作などは、
コンピュータの専門学校、そして会社に勤めて習得していたが、
パソコンに関しては自己流で独学で学んできたので、基本が解からないこともあり、
戸惑ったりしながら、苦笑する時もあったりする。

今回、新たなるOSの『ウィンドウズ 7』に際して、
マニアル本を開き、ここは従来の『ウィンドウズ XP』と変っている、と心の中で呟(つぶや)いて、
学び初めたりしている・・。


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三浦朱門・著作『老年のぜいたく』、この人生の確かな教科書のひとつである、と確信を深めて・・。

2011-06-15 23:38:07 | 読書、小説・随筆
作家・三浦朱門の最新作のエッセイ『老年のぜいたく』(青萠堂)を、
昨日、本屋で偶然に見かけ、購読した。

http://www.seihoudo.com/zeitaku.html
☆【青萠堂ホームページ】<== 三浦朱門(みうら・しゅもん)氏の著作『老年のぜいたく』☆

私は三浦朱門氏の作品は殆ど読んでいなく、
ただ『第三の新人』グループの作家のひとりであることぐらいは知っている。

もとより1953年から1955年頃にかけて文壇に登場した純文学の新人小説家を、
第一次戦後派作家・第二次戦後派作家に続く世代として、『第三の新人』と評論家・山本健吉が命名された。
そして小島信夫(1915年、生まれ)、島尾敏雄(1917年)、小沼丹(1918年)、近藤啓太郎(1920年)、
安岡章太郎(1920年)、阿川弘之(1920年)、庄野潤三(1921年)、遠藤周作(1923年)、
吉行淳之介(1924年)、三浦朱門(1926年)、曽野綾子(1931年)等の作家がいる。

私は東京オリンピックが開催された1964年に、大学を中退し、
映画・文学青年の真似事を4年ばかりした時、
『第三の新人』の作家としては、特に阿川弘之、庄野潤三、遠藤周作、各氏の作品に圧倒的に魅了させられ、
精読したひとりである。
映画・文学青年の真似事を挫折し、これ以降サラリーマンを35年ばかり務めている間も、
この3氏などの作品は愛読者として読んだりしてきた。

三浦朱門氏の作品に関しては、筑摩書房が日本文学のシリーズとして、
『筑摩現代文学大系』の81巻で三浦朱門、三浦哲郎、立原正秋の三氏が収録され、
確か1980年に読んだ記憶がある。

そして三浦朱門、曽野綾子、遠藤周作の三氏に寄る『まず微笑』(PHP文庫、1988年)を最近読んだりしたが、
この作品集の原題は『愛のあけぼの』(読売新聞社、1976年)と記載されている。

ここ10年ぐらいは、氏のエッセイを月刊総合雑誌の『文藝春秋』、
季刊雑誌『文藝春秋SPECIAL』などで読んだりしている。

このように私は、三浦朱門氏の小説、エッセイは、わずかに読んだ程度である。


本書は氏の優(すぐ)れたユーモアを根底に、氏のこれまでの人生の軌跡をくまなく発露され、
そして今日の85歳の心情を綴られたエッセイである。

タイトルに掲げられた『老年のぜいたく』は、
《・・
ゼイタクというのは、物と人を思うさまに使える、といったことでなく、
日常生活の生き方、つまり一切の行動の行き方、つまり一切の行動が自由であり、
一瞬、一瞬を充足して生きることができる、といったことであろう。

老人にはそんな生活が期待できるであろうか。

できる。
・・》
注)本書の11ページ。
  原文にあえて改行を多くした。

このような命題を掲げて、具体的な言動を余すところなく発露される。


私は圧倒的に魅せられた箇所は、
《・・
結婚生活を主とする第二の人生の領域が、第一の人生のそれを圧倒するに及んで、
結婚は第二の人生の中心になる。
その意味で配偶者は生涯の伴侶なのである。

結婚相手の容姿や性愛は、結婚生活の包み紙でしかなく、すぐに棄てられるのだ。
包み紙を問題にして離婚する人は気の毒というより仕方がない。
・・》

注)本書の21ページ。
  原文にあえて改行を多くした。

特にこの中のたった一行、
《 結婚相手の容姿や性愛は、結婚生活の包み紙でしかなく、すぐに棄てられるのだ。》
私は66歳の身であるが、5分ばかり心の中でどよめき、うなった人生のまぎれない哲学である。

こうしたことを初めとして、数多く紹介したいが、後は本書をお読み願いたい。

尚、本書は大人の諸兄諸姉にお読み頂きたく、
特に40歳以上の方たちには、たとえ睡眠時間を削ってでも、
これからの確かな人生の教科書のひとつ、と私は確信を深めている。



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齢ばかり重ねた私、ときには深夜、そして早朝に至福の時を過ごして・・。

2011-06-15 10:13:34 | 定年後の思い
昨日、日中のひとときに駅前で買物を済ませた後、
本屋に寄り、一冊の本を買い求めて帰宅した。

夜のひととき読書中の本を読み終えた私は、夜の10時半過ぎに、
日中に購入してきた本を読み始めて、深夜の1時過ぎになってしまい、やむなく中断した。

今朝、布団の中でぼんやりと目覚めたのは、朝の5時過ぎであり、
家内は洗濯を始めていたが、
『もうしばらく布団の中で、本を読んでいるよ・・』
と私は家内に云ったりした。

そして私は2階の寝室に戻り、雨戸、そしてガラス窓を開けて、
外気を取り入れた。
曇り空で微風が吹き、涼しく心身快適であり、
『夏の早朝の軽井沢・・蓼科のような感じみたい・・』
と私は思わず心の中で呟(つぶや)いたりしたりしながら、微笑んだりした。

そして私は布団にもぐりこんで、早朝のさわやかな冷気を甘受し、
読みかけの本を開いて、1時間ばかり読んだりしたが、
やがて眠りに落ちた・・。

目覚めたのは8時過ぎであり、私は起きだしたりし、
このようなぐうだらな深夜、そして早朝のひととき過ごせるのは、
年金生活の特権のひとつかしら、と微苦笑したりした。

私は読書が何よりも好きであるが、早朝のひとときの読書は年に5回ぐらいで、
日中の予定の時間帯が狂うから極力避けているが、
ときには圧倒的に魅せられた本は、例外としている。

この本は、作家・三浦朱門(みうら・しゅもん)氏の著作『老年のぜいたく』(青萠堂)であり、
2011年6月22日発刊と記載され、
偶然に本屋で見かけた氏の最新単行本かしら、と私は思ったりしている。


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この人生は『七転八起』、確かな銘言である、と高齢者の私でも微苦笑させられ・・。

2011-06-14 17:15:51 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳であり、高齢者2年生のつたない身である。

ときおり、過ぎ去った日々を振り返ることがあり、
あの時に、もしも何かがあったならば、私たち夫婦の今の生活も大幅に狂っていた、
と思う時がある・・。

私は中小業の音楽業界のあるレコード会社を2004年の秋に定年退職後、
まもなくブログの世界を知り、余すことのないように私自身の幼年期から現役時代、
そして年金生活の思い等を綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切なのである。

従って、数多く綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、
と云っても差し支えない。


私は幾たびも綴ってきたが、1944年(昭和19)年の秋に旧家の農家の三男坊として生を受け、
農家の児として幼年期を過ごし、やがて小学生の前期に父、祖父が死去された後は、
大黒柱を失った生家は衰退し、生活に困窮した時期もあった。
その後は、母の孤軍奮闘に寄り、私たち兄妹は何とか世間並みの生活が出来るようになった。

この間の私は、長兄、次兄の優等生であったせいか、
何かしらいじけた劣等生で、地元の小・中学校の時代を過ごした。


高校生になると、長兄、次兄の影響のない都心のある高校であったので、
自縛から解放されたかのように面持ちとなった。
そして初めて勉強も楽しくなり程ほどの成績となり、
読書に目覚めて、熱愛し、やがて小説の習作を始めたりした。

私は小学生の後半から映画に圧倒的に魅せられて、
この後の中学時代を含めて、相変わらず独りで映画館に通ったし、
高校生になると、下校後にたびたび都心の映画館に寄ったりし帰宅していた。

東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋、
映画の脚本家になりたくて大学を中退し、
アルバイトをしながら映画青年の真似事をした。

その後、契約社員などをしながら文学青年の真似事をし、
新人の小説コンクールの最終候補作の6作品の寸前で3度ばかり落選したりしていた。

まもなくして30代に普通の家庭が築けるの、妻子を養っていけるの、
と素朴な叱咤を叔父さんから云われ、
根拠のない自信にばかりの私はうろたえ、はかなくも挫折した。


結果として、やむなく安定した人生航路に軌道修正し、企業に中途入社する為に、
コンピュータの専門学校に1年ほど学んだりした。
その上、幸いご近所に住まわれている大企業の経営陣のお方の助力もあり、
ある大企業に中途入社できたのは、
1970(昭和45)年の春であり、25歳の時であった。

その後、大企業の音楽部門のひとつがレコード会社として独立され、
私は異籍させられて、これ以降は定年まで音楽分野に勤めることになった。


この間は家内と結婚したり、やがて1戸建ての家を構え、
住宅ローンなどが重く苦心惨憺な時期も過ごした。

会社の勤務も数多くのサラリーマンと同様に多忙で、
落伍者になるまいと、それなりに奮闘したのである。

ぎっくり腰で1ヶ月ばかり入院した40代の後半があったり、
レコード会社の合併などで完全外資となり翻弄された時代もあり、
そして音楽業界のピークとなるのは、私が50代のなかばであった。

こうした暗澹たる空気の中、私の勤めていた会社もリストラが行われ、
希望退職優遇制度の名の下で定年前に退職を余儀なくされた人もいたし、
人事異動が盛んに行われ、私のように出向となった人もいた。


こうした時に、私たち夫婦はどのような老後の生活をしたいのか、
と改めて真剣に話し合った。
私たち夫婦は子供も恵まれなかったので、老後も2人だけの家庭となるので、
残された歳月、その後の片割れになった時も配慮したのである。

老後の資金も肝要なので、私は出向先の不馴れな物流情報センターで、
何とか頑張れて、定年退職を迎えることが出来たのである。


そして定年退職後は、予定通り年金生活となり、
程々の貯蓄を取り崩しながら、古びた1戸建てに家内と生活を過ごしている。

ご近所の奥様と立ち話などをした時、
悠々自適な生活で羨ましいわ、と云われたりしているが、
大学を卒業した後、官公庁、大企業などで邁進され栄達したエリートのお方たちと違い、
数多い中小業で35年ばかり勤め、苦楽の激しかったサラリーマン生活であったので、
高収入、高額な退職金には無縁で、程遠い生活実態である。


私の日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりし、ときたま小庭を手入れをしたり、
退職後の年金生活で過ごして今日に至っている・・。

そして青年時代に文章を綴り家庭生活を過ごすが夢であったので、
体力、感性も衰えた今は、もとより小説の習作もままならず、
大幅な変貌してきたが、プログで随筆形式をめざして、毎日投稿し、
生きがいのひとつとなっている。


このように改めて、私の簡略な軌跡を明示してきたが、
この中でひとつでも欠けていたら、私の今の生活は大幅に変更を余儀なくされている、
と思ったりしている。

定年後、念願の年金生活をしているが、
ときおり家内から、働かなくても私たちの生活できるのだから、ありがたいわ、
と云われたりするたびに、
私は拙(つた)ない自分の半生のひとこまが、甦(よみがえ)ったりしている。

古来より、人生は『七転八起』と格言された名言の前、
私は確かにそうですよね、と自身の半生を重ね、微苦笑する時もある。


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外付けのハードディスクを買い求めに行き、何故かしら突然に新たなパソコンを購入予約をして・・。

2011-06-13 21:58:18 | 定年後の思い
昨夜、明日は駅前の数店に買物に行きたいわ、と家内から私は云われたので、
私は家内のボディ・カード兼お供、そして散策も兼ねて、
私たち夫婦は本日の日中に出かけた。

出かける前に、私はパソコン用の外付けのハードディスクの購入を思い立ち、
家内も同意して、家電の量販店にも寄ることにした。

私はパソコンの故障を幾たびか経験していたので、
データの予備として、外付けのハードディスクの購入を検討していた。
昨今、2TB(テラ・バイト)でも動顚するばかりの低価格となっているので、
年金生活の私でも保有したい、と思っていたのである。

家電販売店で外付けのハードディスクの購入した後、
何気なしにパソコンの販売コーナーに行き、
私たちは、ぼんやりと各メーカーのそれぞれの新製品を観たりしていた。


私が現在使用しているのは、『ウィンドウズ XP』が搭載された富士通のディスクトップであり、
2006(平成18)年の9月下旬に買い改めた機種である。

ディスプレイはこの当時の流行の20.1型のワイド画面のスーパーファインVXのハイビジョン対応であり、
CPUはインテルのデュアルコア、メモリは1GB、
ハードディスクは400GB、ドライブはスーパーマルチ等で、
この当時としてはある程度最強版となっていた。


このパソコンは、ハードディスクに関しては、Cドライブは実質30GB、
そしてDドライブは実質338GBと分割構成されているが、
問題はシステムを含むCドライブで、私の個人用に使用しているソフトを記憶させたり、
何よりもインターネットで、色々な更新が加わるので満杯近くになっている。

やむなく私は、写真などは、Dドライブに移行させて管理したり、
不必要なファイルの削除をした後、ディスクの圧縮作業のデフラグをしたりした。

昨年の12月は、やむなくハードディスクの再分割作業し、Cドライブを増加させて、
パソコンを日々利用しているが、ネットの世界は益々進化しているか解からないが、
情報の洪水のような今日に至っているのが、ここ数年の世の中となっている。


今回、遅ればせながら、やむなくOSは『Windows 7( ウィンドウズ7)』とし、
買い換えることを決意した。
このことに関しては、私なりの思いのパソンコンの選定については、
後日に記載する。


家内はパソコンも洗濯機、冷蔵庫と同様に半永久耐久商品と思ったいるので、
昨今の多くの人たちは、5年ごとに買い換える、と私は風の噂で聞いたりし、
苦笑をしたりしてきた。

私たち夫婦は、年金生活の中で、共通趣味の国内旅行が何かと優先している上、
ここ数年は予期せぬ出費もあったりし、
私は何かとパソコンの買い替えは、ためらってきたのも事実であった・・。

本日、何故かしら家内は私の真情を察して、
新しいパソコン必要だったなら、買い改めたら、
と強力な助言の基で、最新のパソコンの購入予約ができたのは、
私にとって望外の喜びかしら、と微苦笑したりしている。


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作家・阿川弘之氏の講演iに於ける発言、文章を綴られる方たちへの銘言、と私は受けとめて・・。

2011-06-12 22:37:24 | 真摯に『文学』を思考する時
先ほど、ネットでニュースを見ようと、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、
たまたま読売新聞が主催される『21世紀活字文化プロジジェクト』と題されたサイトにめぐり逢え、
この中で、『読書教養講座』の特設があり、各著名人が講演をされていた内容の記事が掲載されていた。

この中に於いて、私は敬愛している作家・阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏の講演された内容が掲載され、
思わず私は精読した。

この講演の後で、何か質疑応答の内容も掲載され、
私は読みながら、思わず襟を正したりした・・。

この質疑応答は、作家をめざす方はもとより、
随筆(エッセイ)、コラムを綴られる方たち・・文章を綴られる方の必読内容である、
と私は受けとめたりした。

無断であるが、転載させて頂く。

《・・

【質問】 なぜ小説家になろうと思ったのか。

【阿川】 志賀直哉先生の作品を読んで、自分もこういう優れた物語を作ってみたいという気持ちになった。
     志望者が大勢いて自信はなかったが。
     そのことに打ち込み、一生を棒に振るぐらいの気持ちで取り組んできた。


【質問】 どのように文章を磨いてきたのか。

【阿川】 関係代名詞がないなど日本語にはやっかいなところがある。
     明確に、しかもすっきり美しい文章を書くのは非常に難しく、いまだに悩んでいる。
     やはり優れた古典をよく読み、滋養分を吸収しなければならない。


【質問】 自分自身とは全く違う視点から物語を書きたいのだが。

【阿川】 どんな人でも、一生に一つの長編小説を書ける材料は持っている。
     ところが、ただ観念で作った人物が、いろいろな事件に巻き込まれるという話を書いただけでは、
     通俗小説になる。

     芸術作品を志すなら、チェーホフやトルストイ、あるいは鴎外でも漱石でも、
     立派な作家を手本にして、大変な覚悟で勉強する必要がある。

(2007/01/14)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

http://katsuji.yomiuri.co.jp/kyouyo/entry/20070114.htm
☆【YOMIURI ONLINE】<==『21世紀活字文化プロジジェクト』
     <==、『読書教養講座』 阿川弘之氏の『青春と読書』☆


私は東京オリンピックが開催された1964年に、映画の脚本家になりたくて大学を中退し、
ある養成所の演出科でシナリオの勉学に励んでいた。
こうした授業のひとつに『文学』講座があり、
特別講師として梅田望夫(うめだ・もちお)氏の父上である梅田晴夫(うめだ・はるお)氏から、
私たち生徒は教えを受けたりした。
氏はシナリオ・ライターよりも優れた散文を綴られる随筆家として名をなしていたが、
確か川端康成文学について、私たちは教示された、と今でも記憶がある。

氏はしゃいなで教養に満ち、おしゃれな方で、
たとえ映画の脚本家を志望であっても、
日本文学の作品ぐらいは最低限読んでおきなさい、と遠い廻しに私に言って下さった。

この後、新劇のある長老の方から、
これから映画で生活していくのは益々大変だから、とアドバイスを頂き、
私は高校時代に初めて小説の習作していたので、再びアルバイト、契約社員をしながら、
習作に孤軍奮闘をした。
この間、改めて日本の明治、大正、昭和の作品を精読したりした。

そして、純文学の新人賞の応募に投稿したが、最終予選の寸前で3度ばかり敗退し、
30歳を迎えた時、家庭を持ち妻子を養うことを想像した時、
とても自信がなく、挫折して、やがてサラリーマンの道に転向した。

このように遥か遠い昔に映画、文学青年の真似事をした私は、
今回の阿川弘之氏の質疑応答で発露された言葉の数々は、
たとえ今日であっても、作家をめざす方はもとより、
随筆(エッセイ)、コラムを綴られる方たち・・文章を綴られる方の確かな必読内容である、
と瞬時に感じたりした。

そして、少なからず明治時代からの名作は読まなくては、
人の底知れぬ情念の深淵もない単なるうわべの綴りになるのに、
と余計なことを思ったりしているのである。


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