夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

御節(おせち)料理、我が家も時代と共に変貌を重ねて・・。

2012-12-27 18:40:40 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

昨日の朝、新聞が配達された中に数多くの折込チラシがあり、
こうした中に最寄りのスーパー、駅前のスーパーで、
《 26日(水)の本日より、おせち全品 販売となります 》
このような内容が多く、チラシの中に、かまぼこ、伊達巻、栗きんとん、黒豆、田作り、昆布巻などの単品、
おせちセットの三種類が掲載されて、私は見ながら微苦笑したりした。

そして、この日の日中、家内の指示に基づいて、私は家内のボディ・ガード、荷物持ち、お供となり、
最寄りのスーパーを始め、最寄駅前のスーパーなど、私たち夫婦は日中の大半を買い物をしたりした。
御節(おせち)料理の素材とか単品の完成品を買い求めたのであるが、
家内は少なくとも『鮮度』、『味付け』、『お値段』などの三拍子を懸案するので、
なかなか妥協点に達しせず、あちらの店へと移ったりして、無知に私は苦笑するばかりであった。

そして深夜、私は居間でぼんやりと若き30代の頃からの御節(おせち)料理に関して、
思いを馳せたりした・・。


私が東京郊外の調布市の長兄宅の実家から離れたのは1972(昭和47)年で、
神奈川県・川崎市の登戸でアパート経営をしながら住んでいる母の宅に同居した後、
千葉県・市川市の国府台で賃貸マンションで新婚生活を2年ばかり過ごし、
実家の近くに一軒屋を構えたのは1978(昭和53)年の春であった。

家内は中学生の時から茶事を学んできたので、私は33歳の若さで世間知らず、
気負いもあり住居の中で茶室を設けたりした。
しかし作庭費用に困り果て、やむえず雑木主体の庭とした。
何より困窮したのは、色々な面で想定した価格より遥かに高く、すべてのローンは多額の借金となり、
月々、ボーナス時の返済は、私が孤軍奮闘しても赤字が多かったのである。

まもなく家内は、パート、契約社員などで、3年ぐらい援軍を受けたりした。

そしてクリスマスの頃になると、家内は御節(おせち)料理の素材を付近の専門店、スーパーなどで買い求めていた。
栗、黒豆、田作りなどの素材であり、
たとえば栗は丹波の栗、といったように家内は茶事で学んだ体験を生かし、
程ほど高価な品を選定していた。

家内は大掃除、御節(おせち)などで奮闘し、茶室の床飾りとして『結び柳』などをし、
私は28日頃に仕事納めをした後、翌日頃から我が家の庭の手入れをしていた。

大晦日の昼過ぎ、家内が御節(おせち)料理の完成を私に告げた後、
独り住まいの母用に、三段のお重に風呂敷でしっかりと結び、
私は家内から受取り、独りで母の所に届けたのである。

http://www.kibun.co.jp/enter/osechi/shogatu/tume/index.html
☆【紀文公式ホームページ】<==《お重詰め豆知識》☆
        注)三段のお重の状況を拝借致したく、掲載させて頂きました。

そして、途中で私は酒屋に寄り、地酒の四合瓶を買い求め、母の所に行ったりした。
その後、母の宅で、出前のお寿司を食べながら、私は持参した地酒を呑み、
母とふたりだけで他愛のない話を数時間を過ごしたのである。

こうしたことは、母の亡くなる1998(平成10)年の新春の前の年まで、
20年間続けた。

こうした中で、新年の2日の私の実家の長兄宅の『新年の祝い』に於いて、
家内は9時前に長兄宅に行き、長兄の奥方と共に、料理の仕上げ、席の準備などをしたり、
私は新年会の始まる30分前頃まで長兄宅に行き、
長兄の家族はもとより、叔父、叔母さんなどに新年の挨拶をしたりした。
この間、母、次兄、妹の家族も加わり、11時頃から新年会となった。

そして、3時頃に散会し、家内は長兄の奥方と共に後片づけをしたりしている間、
長兄、長兄の子供らと私は茶の間で談笑したりした。

こうした長兄宅での新年会は、母の亡くなる前の年まで続いた。


私たち夫婦が1978(昭和53)年の春に新居を構えた後、
1980(昭和55)年の大晦日に家内の両親に来宅して貰い、『お年取り』を復活させた。
私は家内の父と心身の波長が合うので、程々に遠慮なく、食べたり、呑んだりし、
私たち4人ながら心身盛り上がったりした。

そして宿泊して頂き、元旦の新年を迎え、殆ど昼下りに家内の両親は帰宅されたりした。
その後、家内の弟が加わったり、家内の妹夫婦に宿泊してもらったりし、
家内の父の体調が悪化するまで、20年ぐらい続いたのである。
                           

1998(平成10)年の新春に私の母は死去した後、
晩秋に喪中の葉書を関係者に送付したりした。

年末年始、喪に服するのは戸惑いを覚え、
何よりも母親の死去で失墜感、空虚感が私の根底にあった・・。。
世間の人々の多くに残された息子は、
幾つになっても父親の死より、母親の死の方が心痛と聞いたりしていたが、
私の場合は父は小学2年に病死され、もとより母、そして父の妹の叔母に育てられたので、
50歳を過ぎた私でも心は重かったのである・・。

このような私の感情を家内は察して、
『年末年始・・どちらかに旅行に行きましょう・・』
と私に言った。

そして私たち夫婦は、私の定年退職する2004〈平成16〉年の前年まで、
年末年始の休暇を利用して、国内旅行に行ったりしていたので、
もとより御節(おせち)料理は我が家では、お休みとなった。


家内の父が2004(平成16)年の秋、私の定年退職時の直前に病死し、
家内の母は独り住まいとなったので、
私たち夫婦は年末年始の期間は我が家で共に新年を迎えよう、と誘い、
この年から恒例のようなこととなっている。

ほぼ毎年、28日の夕方に来宅して貰い、年末を過ごし、
新年を迎え、3日か4日の午前中に帰宅する。

我が家の年末年始の情景は、居間の17畳ばかりの一角に6人用の炬燵で設置し、
家内の母には、奥の6畳の和室で休んで頂く。

こうした中で、居間の炬燵で、それぞれの好みの御節料理の単品の数々を頂いたりし、
談笑するか、テレビを視聴したりして過ごすことが多くなっている。

こうしてお互いに齢を重ねてきたので、御節料理は簡略となっている。
駅前、最寄りのスーパーで単品を買い求め品が多く、
里芋、くわい、蓮(ハス)などの農作物は、家内は相変わらず料理をしている。
このように私の母が生前した時のように、家内は黒豆などを吟味して買い求めて、
3日ぐらいで仕上げるようなことは略している。

昨日も私たち夫婦はスーパーで単品を選定する前の時、
紀文のメーカーの品であったら充分だょ、と無知な私は家内に言ったりして、
家内に微苦笑されたりしている。

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2 コメント

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Unknown (yasukon)
2012-12-28 14:41:07
こんにちは!
昔 祖母や母が作ってくれた素朴なおせちがいま 懐かしく思われます。
今は豪華になって 私など手が出ませんが(料理上手ではないので・・)祖母の味(母より祖母です・・笑)で煮しめなど作ってみたくなります。
今までのこと丁寧に記されて凄いですね!!
今日もお忙しいことでしょう。
返信する
『煮しめ』は昨今の家庭料理でも、基軸と思ったりしています♪ (夢逢人)
2012-12-28 17:23:01
yasukonさま。

お便り嬉しく読ませて頂きました。

>昔 祖母や母が作ってくれた素朴なおせちがいま 懐かしく思われます。
>今は豪華になって・・祖母の味(母より祖母です・・笑)で煮しめなど作ってみたくなります。

私の亡くなった母(大正9年生まれ)は、都心から農家に嫁いだ為か、
農作物の煮物も、年末に父の妹の叔母と共にしていました。
煮しめの椎茸で陣笠椎茸、豆腐で楯豆腐、コンニャクを手綱こんにゃく、くわいを芽出しくわい、
ハスで花蓮根、或いは親イモを八ツ頭にしたりして、子イモを煮たりして里芋の料理をしたりしていました。

確か昭和30年の頃まで、御節(おせち)料理は、各家庭で作られて、
それぞれの家庭の味がありましたので、懐かしいですね。

私たち子供はこうした煮しめを食べる機会が多かったので、
人の多くの味の基本は幼年期の食べ物で決定される、と言われたりしていますので、
私は母の素朴な家庭料理で育ちましたので、懐かしく、
ときおり家内に里芋などを煮てもらいますが、少し上品すぎて微苦笑したりしています。

>今までのこと丁寧に記されて凄いですね!!

私はブログの投稿文を綴る時は、できうる限りストリー風にしなければ、
読んで下さる方が途中で中断されることを危惧して、随筆風に努力して綴っています(笑)

寒さを実感する昨今、貴女様はもとより、ご主人さま共々、お身体をご自愛をして下さい。
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