一昨年の2008年のこの日の朝の10時前に於いては、
【 私が愛用している日常のタオルは・・♪ 】
と題して、たわむれに楽しげに投稿していた。
【・・
我家で私が日頃使うタオルは、
国内旅行で宿泊先の観光ホテルで頂いたタオルを愛用している。
観光ホテルで宿泊する際、浴衣と袢纏、タオルがセットで置いたあり、
タオルは観光ホテル名が明記されている極く普通のタオルである。
タオルに関し、私は一晩でサヨナラをするのは、
もったいない、と感じて、我家に持ち帰ってくるのである。
そして私は、朝の洗面時、入浴の時、パジャマ姿の時は首周りなどで、
こよなく使用しているのである。
色合いは、白が多いが、ときには黄緑色、ピンクなどもある。
北海道だけでも層雲峡、網走、知床のウトロ、阿寒湖、帯広、定山渓、
函館等の周辺の観光ホテル名が入ったタオルがある。
『XXちゃん・・今宵は阿寒湖なの・・』
と私は家内に云いながら、私達が阿寒湖に訪れた時の思い出を家内に話しかけている。
家内に関しては、日頃からデパートで良質のタオルを使用して貰っている。
やはり女性の身なので、たかがタオルでもひとつの美麗となすので、
私はさりげなく厳命している。
尚、私が観光ホテルのタオルからデパートのタオルに昇格するのは、
我家に来宅するお客様の時に限っている。
そして私は年金生活の身であるので、こうした日常生活が相応しい、
と観光ホテルの名前の入っているタオルを見つめながら微笑んでいる。
・・】
この日の夜の6時過ぎには、
【 過ぎ去り日々は、はかなく懐かしく・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
私は定年退職後の年金生活をして4年生であるが、
読書は第一趣味であるが、文章を綴ることが好きである。
このような身なので、殆ど毎日、この時に思考したり感じたことを、
朝に一通、夕方に一通を投稿している。
そして、ときおり昨年の今頃は、どのような思いで過ごしていたのだろうか、
このサイトを読み返しているときもある。
先程も一昨年、昨年のこの時節の投稿を読んだりしていた・・。
昨年の今頃は、
1月12日【時は過ぎてゆく・・♪】
【ときには、夢のひとときを・・♪】
1月13日【母の命日・・♪】
【ときには、お墓参り・・♪】
1月14日【人生の教科書・・♪】
【早春の淡い香りに・・♪】
【炬燵の中で、読書そして昼寝・・♪】
1月15日【されど、イチゴ・・♪】
【『世代を超えて、歌い継ぎたい歌』・・♪】
1月16日【『歌会始』を拝読して・・♪】
【『千の風になって』・・♪】
1月17日【ときには、学友と語り合えば・・♪】
【あの時、あなたは・・!?】
このように投稿していたのを読み返していたが、
読書、音楽、映画の選定と同じ様に、私なりの好み趣旨のことが多いが、
過ぎ去った日々は、はかなくも限りなく懐かしい、と想い返したりしている。
・・】
2007年のこの日の午後6時半過ぎには、
【 『世代を超えて、歌い継ぎたい歌』・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
昨夜、インターネットでニュースを検索していたら、
文化庁が《~親から子、子から孫へ~ 親子が歌いつごう 日本の歌百選 》の結果ニュースを読んだりした。
私はこうした行事には無知であったが、
河合・文化庁長官(休職中)が、
少年犯罪の報道を見るたびに、世代間の断絶や人間関係の希薄化などの風潮を憂い、
発案されたらしい・・。
文化庁としては、この発案に適応し、世代を超えて歌い継ぎたい歌として、
国民から広く募集をした結果のニュースであった。
私は101選となった歌を思いうかべ、
日本語の美しさ、叙情、情緒を若い方達に学びとって欲しい、と切実に思っている。
こうした歌からは、古来の日本人のそれぞれの生活の営みが感じられ、
昨今の社会問題などは、ある一面に於いて解消させる力も秘めている・・。
私は選定された歌をときたま聴いたりしている。
昨年の今頃に聴いたりして、私はこのサイトに綴っている。
【 『冬景色』を聴くとき・・♪ 】
と題して、昨年の2006年1月26日に投稿していた。
【・・
私は、ときたま唱歌を聴くときがある。
冬の季節には、『冬景色』は私の好きな唱歌のひとつである。
作詞はどなたが創られたかは不明であるので、《文部省唱歌》となっている。
♪さ霧消ゆる みなとえの
舟に白し 朝の霜
ただ水鳥の 声はして
いまださめず 岸の家
こうしたのを聴いたりすると、どなたが歌っても、私はときたま涙ぐんでしまう時がある・・。
遠い幼年期を想いださせるのか、
或いは失ってしまった純粋な心を甦(よみがえ)させようとする
もうひとりの自分に哀歓を寄せているのかは解からない。
何より、この作詞の日本語は、はかなく美しい。
私は詩の世界は理解する素養はないが、
声により唄いつながれて行く言葉の結晶である作詞の世界は解かるつもりである。
・・】
こうした綴りを昨年のこの時節に綴ったりしている。
今朝、たまたま読み返したが、
私なりにこうした名曲は、心の隅に何時も宿っている、と思ったりしている。
・・】
2006年のこの日の朝の8時過ぎに、
【 春めいた朝のひととき・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
東京の郊外は、昨日の昼の1時頃から本降りの雨となった。
このような本降りは、昨年の11月以来だった。
乾気につつまれた情景が、樹木、草花が洗い流されたかのように、
潤いを取り戻した・・。
数時間を過ぎると、しっとりした樹木の枝葉、そして地面は黒土を見せて、
私は小躍りしながら、庭先を見詰めた・・。
夜の八時過ぎには、雨は止んだが、微風が心地良い・・。
今朝、何時ものように六時に目覚め、薄暗い庭先に立った。
暖かな空気につつまれ、樹木を見詰めた後、
新聞を取り込み、居間に戻ると、温度計を見ると、8度を指していた。
その後、ガス・ファンヒーターを点けると、直ぐに居間は15度を超えた。
煎茶を呑みながら、新聞を読み終えた後、日の出の時間となったので、戸を開けた。
しばらくすると、朝陽が居間に差し込んできた。
私は家内に
『梅一輪の季節が、通り過ぎてしまったょ・・』
と私は微笑みながら家内に云ったりした。
・・】
この日の夕方の4時半過ぎには、
【 風は、甘く・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
朝の10時過ぎに、玄関庭の陽射しの中は、春めいて暖かさであった。
微風が少しあるが、風は甘く感じ、樹木の間を通り過ぎて行った・・。
風の甘さに、1972(昭和47)年の頃が想い出された。
この頃の私は、勤務場所が六本木で、同資本系の会社と、共同システムをしていたので、
打ち合わせに原宿にある会社に週三回、午後の時間を通っていた。
六本木から恵比寿を通り、原宿で降りて、表参道へ向うゆるい下りの大通りを歩いた。
確か3月の下旬頃だった。
風が微風であったが、春の季節であったので、風は甘く感じた・・。
都会の華やいだ洋装店が数多くあり、時折、洒落た喫茶店、個性ある料理店もあり、
歩いている人も春に相応しい容姿で、
華やいだ大通りとなっていた。
私のようなスーツ姿は少なく、フリーな洋装を男女問わず、身につけていた。
歩いている人は圧倒的に10代、20代であり、丸の内、神田のビジネス街とは一変していた。
私はレコード会社でコンピュータの専門職をし、独身の身であり、
時代の先端の空気を満喫していると、気負っていた・・。
今、煙草を喫いながら、思い返しているが、
恥ずかしくもなく、若き27歳前後の私に苦笑いを浮かべた・・。
門扉に近い椿が、春めいた暖かさで蕾が膨らんだように観えた・・。
・・】
《つづく》
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【 私が愛用している日常のタオルは・・♪ 】
と題して、たわむれに楽しげに投稿していた。
【・・
我家で私が日頃使うタオルは、
国内旅行で宿泊先の観光ホテルで頂いたタオルを愛用している。
観光ホテルで宿泊する際、浴衣と袢纏、タオルがセットで置いたあり、
タオルは観光ホテル名が明記されている極く普通のタオルである。
タオルに関し、私は一晩でサヨナラをするのは、
もったいない、と感じて、我家に持ち帰ってくるのである。
そして私は、朝の洗面時、入浴の時、パジャマ姿の時は首周りなどで、
こよなく使用しているのである。
色合いは、白が多いが、ときには黄緑色、ピンクなどもある。
北海道だけでも層雲峡、網走、知床のウトロ、阿寒湖、帯広、定山渓、
函館等の周辺の観光ホテル名が入ったタオルがある。
『XXちゃん・・今宵は阿寒湖なの・・』
と私は家内に云いながら、私達が阿寒湖に訪れた時の思い出を家内に話しかけている。
家内に関しては、日頃からデパートで良質のタオルを使用して貰っている。
やはり女性の身なので、たかがタオルでもひとつの美麗となすので、
私はさりげなく厳命している。
尚、私が観光ホテルのタオルからデパートのタオルに昇格するのは、
我家に来宅するお客様の時に限っている。
そして私は年金生活の身であるので、こうした日常生活が相応しい、
と観光ホテルの名前の入っているタオルを見つめながら微笑んでいる。
・・】
この日の夜の6時過ぎには、
【 過ぎ去り日々は、はかなく懐かしく・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
私は定年退職後の年金生活をして4年生であるが、
読書は第一趣味であるが、文章を綴ることが好きである。
このような身なので、殆ど毎日、この時に思考したり感じたことを、
朝に一通、夕方に一通を投稿している。
そして、ときおり昨年の今頃は、どのような思いで過ごしていたのだろうか、
このサイトを読み返しているときもある。
先程も一昨年、昨年のこの時節の投稿を読んだりしていた・・。
昨年の今頃は、
1月12日【時は過ぎてゆく・・♪】
【ときには、夢のひとときを・・♪】
1月13日【母の命日・・♪】
【ときには、お墓参り・・♪】
1月14日【人生の教科書・・♪】
【早春の淡い香りに・・♪】
【炬燵の中で、読書そして昼寝・・♪】
1月15日【されど、イチゴ・・♪】
【『世代を超えて、歌い継ぎたい歌』・・♪】
1月16日【『歌会始』を拝読して・・♪】
【『千の風になって』・・♪】
1月17日【ときには、学友と語り合えば・・♪】
【あの時、あなたは・・!?】
このように投稿していたのを読み返していたが、
読書、音楽、映画の選定と同じ様に、私なりの好み趣旨のことが多いが、
過ぎ去った日々は、はかなくも限りなく懐かしい、と想い返したりしている。
・・】
2007年のこの日の午後6時半過ぎには、
【 『世代を超えて、歌い継ぎたい歌』・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
昨夜、インターネットでニュースを検索していたら、
文化庁が《~親から子、子から孫へ~ 親子が歌いつごう 日本の歌百選 》の結果ニュースを読んだりした。
私はこうした行事には無知であったが、
河合・文化庁長官(休職中)が、
少年犯罪の報道を見るたびに、世代間の断絶や人間関係の希薄化などの風潮を憂い、
発案されたらしい・・。
文化庁としては、この発案に適応し、世代を超えて歌い継ぎたい歌として、
国民から広く募集をした結果のニュースであった。
私は101選となった歌を思いうかべ、
日本語の美しさ、叙情、情緒を若い方達に学びとって欲しい、と切実に思っている。
こうした歌からは、古来の日本人のそれぞれの生活の営みが感じられ、
昨今の社会問題などは、ある一面に於いて解消させる力も秘めている・・。
私は選定された歌をときたま聴いたりしている。
昨年の今頃に聴いたりして、私はこのサイトに綴っている。
【 『冬景色』を聴くとき・・♪ 】
と題して、昨年の2006年1月26日に投稿していた。
【・・
私は、ときたま唱歌を聴くときがある。
冬の季節には、『冬景色』は私の好きな唱歌のひとつである。
作詞はどなたが創られたかは不明であるので、《文部省唱歌》となっている。
♪さ霧消ゆる みなとえの
舟に白し 朝の霜
ただ水鳥の 声はして
いまださめず 岸の家
こうしたのを聴いたりすると、どなたが歌っても、私はときたま涙ぐんでしまう時がある・・。
遠い幼年期を想いださせるのか、
或いは失ってしまった純粋な心を甦(よみがえ)させようとする
もうひとりの自分に哀歓を寄せているのかは解からない。
何より、この作詞の日本語は、はかなく美しい。
私は詩の世界は理解する素養はないが、
声により唄いつながれて行く言葉の結晶である作詞の世界は解かるつもりである。
・・】
こうした綴りを昨年のこの時節に綴ったりしている。
今朝、たまたま読み返したが、
私なりにこうした名曲は、心の隅に何時も宿っている、と思ったりしている。
・・】
2006年のこの日の朝の8時過ぎに、
【 春めいた朝のひととき・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
東京の郊外は、昨日の昼の1時頃から本降りの雨となった。
このような本降りは、昨年の11月以来だった。
乾気につつまれた情景が、樹木、草花が洗い流されたかのように、
潤いを取り戻した・・。
数時間を過ぎると、しっとりした樹木の枝葉、そして地面は黒土を見せて、
私は小躍りしながら、庭先を見詰めた・・。
夜の八時過ぎには、雨は止んだが、微風が心地良い・・。
今朝、何時ものように六時に目覚め、薄暗い庭先に立った。
暖かな空気につつまれ、樹木を見詰めた後、
新聞を取り込み、居間に戻ると、温度計を見ると、8度を指していた。
その後、ガス・ファンヒーターを点けると、直ぐに居間は15度を超えた。
煎茶を呑みながら、新聞を読み終えた後、日の出の時間となったので、戸を開けた。
しばらくすると、朝陽が居間に差し込んできた。
私は家内に
『梅一輪の季節が、通り過ぎてしまったょ・・』
と私は微笑みながら家内に云ったりした。
・・】
この日の夕方の4時半過ぎには、
【 風は、甘く・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
朝の10時過ぎに、玄関庭の陽射しの中は、春めいて暖かさであった。
微風が少しあるが、風は甘く感じ、樹木の間を通り過ぎて行った・・。
風の甘さに、1972(昭和47)年の頃が想い出された。
この頃の私は、勤務場所が六本木で、同資本系の会社と、共同システムをしていたので、
打ち合わせに原宿にある会社に週三回、午後の時間を通っていた。
六本木から恵比寿を通り、原宿で降りて、表参道へ向うゆるい下りの大通りを歩いた。
確か3月の下旬頃だった。
風が微風であったが、春の季節であったので、風は甘く感じた・・。
都会の華やいだ洋装店が数多くあり、時折、洒落た喫茶店、個性ある料理店もあり、
歩いている人も春に相応しい容姿で、
華やいだ大通りとなっていた。
私のようなスーツ姿は少なく、フリーな洋装を男女問わず、身につけていた。
歩いている人は圧倒的に10代、20代であり、丸の内、神田のビジネス街とは一変していた。
私はレコード会社でコンピュータの専門職をし、独身の身であり、
時代の先端の空気を満喫していると、気負っていた・・。
今、煙草を喫いながら、思い返しているが、
恥ずかしくもなく、若き27歳前後の私に苦笑いを浮かべた・・。
門扉に近い椿が、春めいた暖かさで蕾が膨らんだように観えた・・。
・・】
《つづく》
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