夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

終戦記念日、戦争を知らない私でも国民の責務として、朝のひととき皇居に向かい、黙祷を終えて・・。

2011-08-15 07:38:34 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
快晴の朝の陽差しを迎え、洗面した後、主庭のテラスに下り立ったのは、朝の6時半過ぎであった。

そして襟を正して、
皇居の方面に向かい、手を合わせながら黙祷した・・。

私は過ぎし6月23日の沖縄戦が事実上集結した『沖縄慰霊の日』には沖縄に向かい、
8月6日のアメリカが人類史上初めて広島に原子爆弾が投下された『広島被爆』には広島に、
そして9日、長崎に原子爆弾が投下された『長崎被爆』には長崎に、
本日の15日の敗戦なのに『終戦記念日』称しているこの日には皇居に向かい、
この日には、手を合わせながら黙祷をして、少なくとも35年になる。

私は1944(昭和19)年9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
敗戦となった8月15日からは、ほぼ一年前になるので、
戦争を知らない世代となるが、国民の責務のひとりとして、
かの大戦で余りにも多くの方たちが亡くなわれた人々に哀悼の意を表して、
黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。

そして私は、皇居に向って黙祷をする真情は、
かの大戦の当時の国民風潮として、
『天皇陛下の御為と国の為に死ぬ事が日本人の美徳と教えられ、
戦死したら靖国神社に神として祀(まつ)られ、
崇(あが)められると信じて疑わない殆どの国民がいた・・』
と当時の風潮に生き、亡くなわれた人々に哀悼の意を表しているに他ならない。

そして私はいつも感じることは、若き10、20代の少なくとも日本の国民の方には、
こうした現実が過去の日本にあった、と認識して欲しい、
固く願っているひとりである。


そして、私はここ5年に於いては、
都心の千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑の碑に刻まれた両陛下の詠まれた歌を重ねたりしている。


   国のため いのちささげし
      人々の ことを思えば 胸せまりくる         

                       昭和天皇

   戦なき 世を歩みきて
      思ひ出づ かの難き日を 生きし人々

                       平成天皇


私はこの歌を深く拝読するたびに、思わず胸が熱くし、
その時代の歳月に思いを馳せ、鎮魂曲のような感じている。

この昭和天皇の歌の思いは、
靖国神社から程近い所にある千鳥ケ淵戦没者墓苑は、
訪れる人も少なく、この季節は蝉時雨が響き渡る情景の中、
詠まれた伝えられている。

平成天皇の歌は、戦後60年の年の歌会始の儀で詠まれた、
と報じられていた。

そして昭和天皇の御製の碑と向き合う形で、
2005年(平成17)年の9月に平成天皇の御製の碑が完成した、
と確か読売新聞で読んだりし、私はつたない身ながら学び、思いを馳せたりしているのである。


私は毎年、『全国戦没者追悼式』が執り行われている中、
私はテレビを視聴していて、『黙祷・・!』の声を聴くと、
思わず襟を正し、黙祷をした後、しばらくするとこのふたつの歌を思い重ねている。


尚、私は8月15日は、『終戦記念日』と、どなたが名付けたかは無知であるが、
国際間の主要国の怜悧な視線からは、まぎれなく敗戦であり、
都合よく『終戦』と命名された方たちは、
国際各国から観た場合は、国家としての信義にかかわることなのである。

そして、命名された方たちは、余りにも恥知らずと思ったりしながら、
私は無念ながら『敗戦記念日』と確信しているひとりである。


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