夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

なぜ世界の多くの人たちが、『禁煙』の風潮に導びかされたのか、と私は幾たびか思いながら・・。

2011-02-09 11:38:23 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
1963(昭和38)年の春に大学に入学し、
ワンダーフォーゲル部の夏季の合宿以来、煙草をこよなく愛して、
48年は過ぎている愛煙家のひとりである。


私は定年後、年金生活を始めて、殆ど毎日は買物、散策などの時に、季節のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
このサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとしている。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりし、在宅の多い生活をしている。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。

こうした身過ぎ世過ぎの年金生活で、現役のサラリーマン時代と違って、圧倒的に在宅が多いので、
煙草の喫煙は、こっそりと蛍族に入門して、
テラス、玄関の軒下などで、樹木を眺めたりしながら喫ったりしている。

そして、外出の時は、携帯の灰皿を持ち、指定されている喫煙場所で喫ったりしている。
或いは、遊歩道のベンチなどで喫う場合は、
人さまから少なくとも10メートル以上の離れた場所としている。

こうした中で、何よりも私が険悪するのは、路上に煙草の吸殻を見つけた時、
どなたか解からないが・・煙草を喫う資格がないょ・・
と心の中で怒りと悲しみをまじえて、やむえず私は持参している携帯の灰皿にしまうことも多い。

そして、ときおり世界は20数年前の頃は、
先進国の欧米の人たちの日常生活に於いて、確かに数多くの人々が愛煙していたはずであった、
と私は当時の映画のシーンを思い浮かべながら、微苦笑している。


ときおり私は、世界の多くの人たちが急激に『禁煙』の風潮となったことを思い馳せることもある。

確か私の現役のサラリーマン時代で、たまたま会社が主催した『台湾 社内旅行』に行ったのは、
1993(平成5)年の秋であった。
そして羽田空港から台北空港の往復路の時は、
航空機の離着陸した後の水平飛行になると、
煙草を喫っても良い、とアナウンスされて、私は煙草を喫ったりしたひとりであった。

その後、1998(平成10)年の春に於いても、
会社が主催した『ハワイ 社内旅行』に行ったのであるが、一部の航空会社を除き、
やはり機内で喫煙可能となったりしていた。
私の場合は、日本航空の航空機であったが、たまたま私が煙草を取り出すと、
付近にいたアシスタントの客室乗務員の女性が、灰皿を持ちながら、片膝を床に着くように私に差しだして、
私は恐縮しながら灰皿を受け取ったりしていた。


昨年の初夏に、偶然に本屋で、『愛煙家通信 No.1』と題された単行本を見かけて、
購読したが、
この本には、喫煙の効果、そして禁煙の風潮はどのように発想されたか、
と明記されていたので、私は驚いたり、ため息を重ねたりして、精読したひとりであった。

この時の私の思いは、このサイトに於いて、
【 喫煙文化研究会・編集の『愛煙家通信 No.1』、時代のうつろいを学び・・。 】
と題して、昨年の2010年7月5日に投稿ているが、あえて再掲載をする。

【・・
私は愛煙家のひとりとして、あるサイトに2005(平成17)年の頃、
【 煙草は日本の文化のひとつである 】と題し、
昨今の嫌煙ブームの風潮に憂い、ブログのサイトで綴ったりした身でもある。

この程度のことは、この本の特集のひとつで、
《喫煙は日本の文化だ》と題され、数多くの著名人が綴られていたが、
私なりに学んだが、何よりも驚嘆したのは、
評論家の井尻千男(いじり・かずお)・著の『集団が生き残るための知恵』の寄稿文であった。

この中で氏は、宮澤政権の当時、
宮澤総理の辞令を受けて厚生省の審議委員になり、
毎月一回、禁煙派の医学関係者と論戦をたたかわせた、と述べられていた・・。

《・・
このときの同士は医事評論家の水野肇氏だった。

氏は当時人口に膾炙(かいしゃ)するようになったアルツハイマー病患者が
非喫煙者に多いという統計を挙げて、
自分は脳を病んで人さまに迷惑をかけて死ぬより、
肺ガンで死ぬことを選ぶと勇ましく宣言した。

(略)

その審議会で面白かったのは、
初回こそ10人ほどいた禁煙派が厳しい口調で愛煙家を非難したが、
毎回同じ非難をすることの愚を悟ったのか、
次第に愛煙家の弁に耳を傾けるようになった。

水野委員はもっぱら、
痴呆症になって人さまに迷惑をかけながら、
そのことすら認識できず一日でも長く永生きようとするのか
(タバコの煙の中のなんとかという成分がアルツハイマー病に予防効果のあることを繰り返し)、
それとも肺ガンになっても最期まで明瞭な意識をもって生(せい)をまっとうしょうとするのか。

要は死生観の問題であり、徒(いたずら)に永生きすること自体に意味があるわけではない、
と毎回熱弁をふるった。
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。

この後、井尻千男氏は、
《・・
今日のように禁煙派の差配する文明は、
清潔だけを大事にする衰弱せる文明だと批判しつづけた。

(略)

私は一人でも多くの人に聞いてほしいから審議会の議論を公表してくれと
厚生省側に申し入れたが拒否された。
委員の身を守る(当然愛煙家の命)ためという理由だった。
・・》


私はこうした審議会の禁煙派、喫煙派の真摯な諸兄の討議内容を封印したのは、
時の厚生省が喫煙の風潮を更に増長させた諸因のひとつと確信したのである。


そして禁煙の風潮のはじまりをこの本から、学んだのである。
解剖学者の養老孟司、劇作家の山崎正和の両氏に寄る対談、
『変な国・日本の禁煙原理主義』と題され、初出は『文藝春秋』2007年10月号である。

《・・
山崎正和氏の発言
ベトナム戦争の後、アメリカをまとめていた愛国心やピューリタン的な道徳が根本から揺らぎ、
社会秩序も変った。

同性愛も妊娠中絶も、キリスト教以外の信仰も認めなければならない。
そのことに対して、皆、喉に何か引っかかったままだった。
そこで、誰もが一致して反対できる都合のよい”敵”を探し始めたのです。

あの当時、選択肢は二つありました。
たばこかエイズか。
ちょうどエイズが広まった時期でもありました。
しかし、結局はたばこが選択されました。

なぜなら当時エイズの原因とされていた同性愛を好むのは、
ハリウッドスターとか芸術家とか社会の上流層だけれども、
たばこを吸うのは社会の中流以下が多かったからです。

アメリカ人が大麻に寛容なのもまったく同じ理由です。

・・》
注)原文にあえて改行を多くした。


こうした禁煙の始まりがアメリカで発生し、何かとアメリカの属国の日本に飛び火し、
厚生省の音頭で学界の一部の論を拡大させ、日本の禁煙風潮をあおり、
終局的には世界保健機関の採択した『たばこ規制に関する枠組条約』に基づき、
2004年に日本の国会で可決され、
決定的な嫌煙ブームとなったと私は思いめぐらしたりした。

しかし、大麻、エイズの原因とされる同性愛などは険悪する私は、
ひと様の前では煙草を避けて、玄関の軒下、テラスなどで紫煙を楽しんでいる・・。
そして、あと何年か生きられるか判らないが、痴呆症だけは勘弁してほしいと思ったりしている。
・・】

このように投稿していたが、さきほど私は読み返して、苦笑したしたのである。


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1 コメント

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Unknown (九曜の星)
2011-02-09 11:54:29
こんにちは^^

私も喫煙可の飛行機に1990年代は乗ったことがあります。
快適な旅でした。

日本の嫌煙ブームは異常なものがあると思います。
そこには、寛容さがありません。
まるで、喫煙者を囲い込むような殺気立つものを感じる時があります。
それも島国から来るものなのかもしれませんが・・・


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