23日(月)は旅の最終日となり、JALライナーのバスで、
阿寒湖のホテルを出て、釧路湿原の北斗展望台で湿原を一望し、
その後に温根内周辺の湿原の木道を2時間前後散策する。
この時、NPO法人の『釧路湿原やちの会』のガイドさんに案内、解説をして下さる。
その後、釧路の駅前で昼食とし、釧路空港となる周遊コースである。
温根内は環境省の管理下で良く整備されている所だった。
バスを下車すると、我々の20名のグループは、ガイドさんの指示でふた手に別れた。
私達のグループは、40代後半の女性のガイドさんの案内で、
樹林の中ゆるい下り道を歩くと、湿原の中に木道が観えた。
あたり一帯は葦(よし)の枯れた中、木道を歩いていたら、
微風が吹くと、葦の穂はいっせいに首を傾げたようになり、風は通り過ぎていった・・。
『風情ある情景だね・・』と私は家内に軽口をたたいた。
家内は笑い、ガイドさんも微笑んでいた・・。
ガイドさんは、葦の穂を指して、
昔は葦(アシ)と呼ばれていた頃もあったが、あしきこと・・悪き事・・なので、
葦(ヨシ)・・好し・・の方となった。
こうした解説は、私にとっては心の最良の薬となり、
ガイドさんの発露するセンスの好さの言葉に魅了された。
葦の一帯の下草が枯れて、朱色、黄色、薄緑色に染められて、草紅葉となったいた。
そして、この葦の一帯に、落葉を終えた榛の木(ハンノキ)が所々に観られた。
その昔、本州に於いても開墾前はこのような状況で、
たまたま温暖な本州の一部で開墾がすすめられ、水田になったり、
やがて田畑になったりした。
この釧路あたりは余りの寒さで長い歳月放置された結果、
こうした残った・・・。
とガイドさんは教示してくれた。
こうした解説を聴くと、私は目をこらし、日本の原風景を観た・・。
長い歳月・・縄文の頃かしら・・或いは・・と日本のたどってきた風土に思いを馳せた・・。
私は釧路湿原のこうした原風景に魅了された。
帰路、ゆるい昇り坂の脇に、朱色の実を数多くつけた野生の果樹が柔らかな陽射しのあびて、ひっそりとしていた。
『何気なく・・ありますが・・情感を秘めた樹ですね・・』
と私はガイドさんに言った。
『マユミ・・という樹です・・』
とガイドさんは微笑んで言った。
阿寒湖のホテルを出て、釧路湿原の北斗展望台で湿原を一望し、
その後に温根内周辺の湿原の木道を2時間前後散策する。
この時、NPO法人の『釧路湿原やちの会』のガイドさんに案内、解説をして下さる。
その後、釧路の駅前で昼食とし、釧路空港となる周遊コースである。
温根内は環境省の管理下で良く整備されている所だった。
バスを下車すると、我々の20名のグループは、ガイドさんの指示でふた手に別れた。
私達のグループは、40代後半の女性のガイドさんの案内で、
樹林の中ゆるい下り道を歩くと、湿原の中に木道が観えた。
あたり一帯は葦(よし)の枯れた中、木道を歩いていたら、
微風が吹くと、葦の穂はいっせいに首を傾げたようになり、風は通り過ぎていった・・。
『風情ある情景だね・・』と私は家内に軽口をたたいた。
家内は笑い、ガイドさんも微笑んでいた・・。
ガイドさんは、葦の穂を指して、
昔は葦(アシ)と呼ばれていた頃もあったが、あしきこと・・悪き事・・なので、
葦(ヨシ)・・好し・・の方となった。
こうした解説は、私にとっては心の最良の薬となり、
ガイドさんの発露するセンスの好さの言葉に魅了された。
葦の一帯の下草が枯れて、朱色、黄色、薄緑色に染められて、草紅葉となったいた。
そして、この葦の一帯に、落葉を終えた榛の木(ハンノキ)が所々に観られた。
その昔、本州に於いても開墾前はこのような状況で、
たまたま温暖な本州の一部で開墾がすすめられ、水田になったり、
やがて田畑になったりした。
この釧路あたりは余りの寒さで長い歳月放置された結果、
こうした残った・・・。
とガイドさんは教示してくれた。
こうした解説を聴くと、私は目をこらし、日本の原風景を観た・・。
長い歳月・・縄文の頃かしら・・或いは・・と日本のたどってきた風土に思いを馳せた・・。
私は釧路湿原のこうした原風景に魅了された。
帰路、ゆるい昇り坂の脇に、朱色の実を数多くつけた野生の果樹が柔らかな陽射しのあびて、ひっそりとしていた。
『何気なく・・ありますが・・情感を秘めた樹ですね・・』
と私はガイドさんに言った。
『マユミ・・という樹です・・』
とガイドさんは微笑んで言った。