夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ブログの世界、私なりの心の発露の表現方法は・・。 

2009-10-06 14:04:22 | 定年後の思い
   序 章

Webの世界の中のひとつとして、ブログサービスがあるが、
ポータルサイト系の【Yahoo! ブログ】、【エキサイトブログ】、【gooブログ】、【livedoor Blog】、【楽天広場ブログ】、【はてなダイアリー】等、
プロバイダ系として【ココログ】、【ブログ人】、【ウェブリブログ】等があり、
或いはブログに準じた簡素なサイトも数多くある。
たまたま私は、ブログサイトとして【gooブログ】に加入し、ブログに準じたサイトは【OCN Cafe】に加入している。

ブログサービス全般の世界も、運営側の方針として、
文字だけ、或いは写真まで、そして動画まで許容するサイトが存在している。

それぞれの方たちは、ご自分でサイトを選定し、
心の発露として、文章、写真、動画の表現をされているのが現状である。

このような思いで、私は5年近く過ぎている。

そして私は、文章による散文で随筆のように投稿し続けているが、
ときおり写真の添付をするか迷う時がある。

最も現在の私としては、自分がデジカメで撮った写真を、ブログ・サイトに掲載させる技量はないが、
そのうちに習得とし、写真掲載をしたならば、私のサイトも大きく変貌すると確信しているが、
果たして良いのか悪くなるのかを迷っているのである。

   
   第一章


私はデジカメに関しては、定年退職の記念のひとつとして、
購入して学んでいるのであるが、技量は初心者程度である。

全般としての思いは、2007年11月20日で、
【 腕は二流であるが、心の思いは一流である』・・♪ 】と題して、投稿している。

【・・
日中、駅前のDPE屋さんに寄り、写真の印刷を依頼した。

過日、家内の母と私達は3人で沖縄本島に8泊9日で訪れたが、
この時のカメラは、家内は簡易カメラの『写ルン』、私は定年退職の記念として購入したデジカメで数多く撮った。

旅行から帰宅後、家内の写真はサービス版とし、
この中から家内の母が見やすいように大判に拡大しょう、と家内と話し合っていた。

私の方は、原則として風景写真しか撮らないが、
たまたま今回の場合は、家内の『写ルン』が撮り終えてしまい、私が母と娘のスナップを撮ったりした。

日頃の私はデジカメの撮り終えた後、記憶媒体のCF(コンパクト・フラッシュ)からパソコンにコピーし、
旅行先名と日付でひとつのファイル名として管理している。

私はプリンターで印刷したこともなく、
今回に限って、CD-Rにコピーして、DPEに持ち込んだのである。

家内の撮った指定の2枚、私が撮ったスナップ2枚を大判に依頼したのである。


引渡しの一時間後まで、ドラック・ストアーで家内からの依頼品を購入した後、
コーヒー・ショップの『ドトール』で煙草を喫いながら、コーヒーを飲んだりした。


この後、DPE屋さんに再び寄り、受付の20歳を過ぎたと思われる女性から、
大判の写真を受け取った。

『こちらで・・間違いはないと・・思いますが・・』
と若き女性は云った。

私はデジカメのスナップは初めてなので、多少の不安はあった・・。
事前にパソコンの画面で確認していても、印画紙の世界は別物である。

滞在したリゾートホテルの正面先の南国の花を背景にした一枚、
メイン・ロビーの中心に結婚式記念撮影などで使用されているホールの一枚、
いずれも母と娘の2人が微笑んでいる・・。

私は二枚のスナップを確認しながら、
『腕は二流であるが・・心の思いは一流です・・』
と私は笑いながら、若き女性に云ったりした。

『お客様・・その心持ちが・・写真では何より重要ですね・・』
と若き女性は微笑みながら私に云った・・。

私の何時もながらの悪い癖で、ひと言、ふた言が多いのである。


私達夫婦は、家内の母は77歳の高齢の身であるので、元気なうちにと思い旅行などに誘っている・・。

身体が弱って外出などに不自由になった時、当時の写真が少なくとも数葉があれば、
のちの想い、としては欠かせない貴重な瞬間でもある。

・・】

以上、こうように綴っていたのである。

以前、私は昨年伊豆の下田で滞在した折、
紫陽花(アジサイ)の寝姿ブルーを賞賛した綴りを投稿した。

その後、心の友として長年に『掲示板』上で交流している凛とした奥方から、
観てみたいわ、と私の『掲示板』に寄せられた。

私は『下田観光ホームページ』などを検索し、わずかに寝姿ブルーが掲載されていたが、
少なくとも私は高校時代に写真部のクラブで風景を専攻した身であるので
余りにも落第点のような幼稚な写真であり、
これではサイト名を明示添付し返信に出来ないと思ったのである。

この後、私はハードディスクに保存している
時系列のファイル化した『下田温泉滞在2007.5.22.~5.28.』を見たのでがあるが、
この中の私が撮った10枚前後の寝姿ブルーが遥かに凌駕しているのである。

このような思いもあり、写真掲載の技量習得も必須かしら、
と気落ちしたりしたこともあったのである・・。

             
               
  第二章

私は東京オリンピックの頃に大学を中退し、ある芸能専門学校でシナリオ科を学びながら、
シナリオの習作をしたり、講師の方がある月刊総合雑誌の記事契約をしていたので、
私は取材、下書きのアルバイトをしたりしていた。

その後、小説の習作をしていたが、
文学賞の新人賞に於いて最終候補の6作には残れず、3度ばかり落選し、
明日の見えない生活を4年ばかり過ごしたのである。

このようなアルバイトをしながら、
映画・文学青年の真似事をしていた折、親戚の叔父さんから、
若い時はいいが、30過ぎた時、きちんと家庭が持てるの、とやんわり叱咤されたのである。

私は独断と偏見の強がりの個性の持ち主であり、
根拠のない感性と独自の感覚を頼りに自信に満ち溢れていたが、
実家に身を寄せ、アルバイトで身のまわりと遊行費まで何とかまかなっていたのが実情で、
30過ぎた時に家庭を持ち、妻子を養うことを想像した時は、さすがの強がりの私は堪(こた)えたのである。

小説はいずれ書くから、と私は安定したサラリーマンを目指して、
大手の民間会社に中途入社する為に、コンピュータの専門学校で1年間学んだ。

そして、何とか大手企業に中途入社出来たのは、25歳の春であった。

まもなくして、企業は甘くなく、企業戦士となれるように徹底的に鍛えられ、
多忙な時となり、小説を書く心の余裕もなくなったのである。



   第三章

私は平成16年(2004年)の秋に、35年ばかり勤めた会社を定年退職を迎え、
残こされた人生を自在に過ごしたく、年金生活に入った。

そして、まもなくブログの世界を知り、それぞれのお方がアクセサリーを付けたり、
写真を掲載されていたので、驚いたりした。
三つばかりブログサービスのサイトに彷徨(さまよ)った後、
この年の11月下旬に【goo簡単ホームページ】に入り、ひとつの決意をしたのである。

文章の散文で日記風でなく、なるべく随筆風に綴り、そして魅了されるサイトを目指した。

この根底には、私なりのひとつの思いがあった。

今は亡き紀行作家の宮脇俊三氏の残された随筆を私なりに心の拠(よ)り所としたのである。

宮脇俊三氏が「ザ・文章設計」第14号で昭和63年(1988年)6月に綴られ、
私は平成7年の頃に随筆集として『旅の自由席』で読み、感銘を受けたひとりであった。

無断であるが、敬愛する宮脇俊三氏に甘え、転記させて頂く。
《・・
   『文章と写真と』    作者・宮脇俊三

「若い精神科医が水産庁の調査船に乗って、アフリカ沖からヨーロッパのほうへ行っている。
筆のたつ人らしい。小説も書いている」

という情報が入ってきた。昭和34年の春のことだった。
当時の私は出版社に勤めていた。
そして、外国旅行は高嶺の花の時代だった。

その「小説も書く若い精神科医」が帰国するのを待ちかまえて、私は航海記の執筆を依頼した。
その際、旅行中のたくさんの写真も見せていただいた。
珍しいものばかりだった。
写真もふんだんに入れた本にしょう、と私は思った。

半年ほどで原稿が完成した。
その出来ばえは期待をはるかに上回っていた。
眼を見はるほど自由闊達で伸びやかな、若い心が躍動するような文章にはユーモアさえ溢れていた。

その文章に魅了された私は、すっかり満足し、写真を挿入することなど念頭から消えてしまった。

翌年の春、写真なしの外国旅行記という当時としては珍しい本が出版された。
が、文章の魅力が読者をとらえ、たちまちベストセラーになった。
北 杜夫・著『どくとるマンボウ航海記』である。


編集者として思わぬ幸運に調子づいた私は、「世界の旅」全10巻というシリーズを企画した。
既刊の外国旅行記を地域別に集めるというシリーズである。
写真も各ページごとに挿入することにした。
旅行記には写真は欠かせないのが編集の常道であった。

第一回の配本は目玉商品として『どくとるマンボウ航海記』を収めた。
こんどは写真が何十枚も本文に割って入った。

ところが、刷り上がった見本に眼を通しているうちに、私は愕然とした。
写真不要、いな邪魔! せっかくの文章の魅力を減殺さえしているのである。

『世界の旅』シリーズに写真を挿入しょうとの編集方針がまちがっていたとは思わない。
しかし、他の収録作品の著者にたいしては失礼にあたるが、
第一級の紀行文には写真など無用にして無縁なのだ。

そういえば、内田百の『阿房列車』に写真はいらない。
『おくのほそ道』に写真を入れたらナンセンスだろう。
文章とは写真などとは次元のちがうところで成立する精神の作用なのだ。

と深く思い知らされた私は現在の職業は「旅行作家」。
すでに20冊もの本を出させていただいたが、写真入りの本は、やむえぬ事情により1冊を除けば他にはない。
文章の作用は写真なんぞ遠く及ばない、という私の心意気なのである。

(略)

・・》
注)著者の原文より、勝手に改行を多くした。


私は深く感銘し、つたない私なりに、
山川草木の季節のうつろいを主軸に投稿をはじめたのである。

そして、お読み頂き、何も心に残らなかった場合は、ひとえに私の文章修行が足りないと思っている。

尚、私はときおり、政治、社会、経済などの不得意な分野を投稿している時は、
読んで頂く方を多くなればという卑(いや)しい面があり、私はまだまだ心貧しいひとりである。



    第四章

私はブログに準じた簡素なサイトの【OCN Cafe】に於いて、
確かな文章の綴りで、映画の評論、思いを表現する人、
或いはときおり桁外れの詩を公表される人、
両氏とも歴然とした切実感に満ち溢れた熱い思いを発露され、
何よりも底知れぬ情熱と切迫感に圧倒され、秘かに優れた人と確信しながら、愛読している人がいる。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/mackychan

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/pikkipikki

或いは、写真を掲載し、四季折々の季節移ろいを確かなその人なりの深い思いで撮り、
綴られる文章は詩情を感じる3人のお方が折、私はため息をしながら感銘したりしている。

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/yukiusagi898

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/aoeiu

http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/yamachnyamatyann

『文章』、或いは『文章と写真』の深い思いのこうしたお方は、
心の発露の表現方法としては、既に世界で独自の表現を完成され、
後はそれぞれのお方が深化させるだけと確信している。

私はこうしたお方の前では、明記しにくいが、せめて私は写真掲載の技量を学び、
紀行文の時、写真の解説書にならないように散文を綴り投稿すれば、
魅了させられるブログ・サイトのひとつになるかしら、と深く考えたりすることもある。


     最終章


私は定年退職後の年金生活を過ごしているので、ともすれば身過ぎ世過ぎの日常となり、
日々に感じたこと、思考、或いは思索していることをあふれた思いを、
心の発露となり、真摯に、ときには楽しく綴ったりしている。

そしてこれまでの私の半生は屈折の多い人生であり、
せめて残された人生は、この世に生を受け生きた証(あかし)として、
たったひとつの歴然とした随筆を遺(のこ)したく、散文修行しているので、
今後も『文章』で心の発露を綴ろうと思っている。



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