夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

夏椿、78歳の私は、この時節に咲く花で好きな花のひとつ・・。

2023-06-07 14:10:02 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

こうした中で、
確か3年前の6月中旬、我が家の近くの住宅街を歩いたら、
夏椿にめぐり逢えて、この御宅の奥様に了解を得て、撮ったりした・・。


          

本日、たまたま我が家の近くに野川が流れているが、
この周辺を散策していたら、
夏椿にめぐり逢えて、私は微笑んで、
見惚(みと)れたりした・・。



私は20代の頃、すっきりした白色の花びらの縁(ふち)には、
こまかいギザギザあり、花の形が椿によく似ていて、夏に開花することから「夏椿」と呼ばれ、
私の生家の近くにある寺院でも、
「沙羅双樹(さらそうじゅ)」と呼ばれてきた。

何かと単細胞の私は、高校時代に習った『平家物語』に於いて、
《・・
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。
・・》、
思いを重ねてきた・・。


もとより夏椿は、朝に咲き、夕方には散り、
私は梅雨の時節に彩ってくれる情景に、こよなく魅了されてきた・・。




そして私は、ぼんやりと雨上がりの夏椿の雨露でぬれた地表を眺めた時、
つたない人生航路を歩んだ私でも、浄土のような世界・・と思い馳せたりした・・。

私は農家の三男坊として、1944年(昭和19年)の秋に生を受けて、
仏教としては、日本で多くの曹洞宗であったりした。

こうした中、春分の日、お盆、秋分の日などで、
僧侶が来宅して、お経の後、歓談したりした。

こうした中で、浄土のことも話をされて、
一切の煩悩や汚れを離れ、仏や菩薩が住まわれる清浄な地・・、

確かこのようなことを心の片隅に残っている。



このような情景を見たりすると、浄土のような世界だ、と私は思い馳せたりした。

つたない人生航路を歩んだ私としては、もとより人生修業も未完成であり、
夢幻のひととき・・と感じた後、空をゆっくりと見上げたりした・・。


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