夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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『憲法記念日』、憲法改正「賛成」が61%と学び、無力な私は微苦笑して・・。

2023-05-03 14:14:57 | 喜寿の頃からの思い

今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、
『憲法記念日』と朱記で明示されて、私は微苦笑したりした・・。

やがて配達された読売新聞の朝刊を見ると、
『 憲法改正「賛成」が61%
       露
侵略・コロナ影響
              本社世論調査 』
このような大きな見出しとなっていた。



私は1944年(昭和19年)9月下旬、
今住んでいる東京の調布市の近くある実家で、
農家の三男坊として生を受けたりした。

そして翌年の1945年(昭和20年)8月15日に、
日本は連合国に降伏し、敗戦となった時、
一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代のひとりである。

もとより
日本国憲法は、第二次世界大戦後、
日本を占領していた連合軍の総司令部であるGHQの監修下で、
「国民主権」、「平和主義」、「基本的人権の尊重」の三原則が制定され、
特に「平和主義」は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという強い決意のもとで、
「戦争放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を定められた、
と後年、学んだりしてきた。

そして1946年(昭和21年)の「11月3日」に公布され、
1947年(昭和22年)の「5月3日」に施行となった、
と知ったりした。



私は地元の小・中学校を学んだあと、1960年(昭和35年)の4月、
都心にある高校に入学した。

そして小・中学校は通信簿『3』の多い劣等生だった私は、
初めて授業の楽しさを覚えてたりした。

こうした中で、読書にも目覚めて、岩波、新潮社の文庫本を愛読したりした・・。
しかしながら、6月中旬『新安保条約』阻止、自然成立の頃、
世の中の動きに無関心で、学校が休学となり、私は家で島崎藤村の『夜明け前』を読んでいた、
と記憶している。

まもなく私は、時事に関心を深めて、『朝日ジャーナル』なども愛読して、
1962年(昭和37年)10月の『キューバ危機』の時、
この世が終わってしまう・・と震えながら布団にもぐり、
やがて寝付いてしまった・・、記憶の片隅に残っている。

この後、ベトナム戦争、ケネディ大統領の暗殺、
やがて弟のロバート・ケネディも暗殺され、政治の社会の怜悧に震撼させられたりした。
この後、ベトナムの終末の頃から、政治への関心が薄れてしまった。



やがてアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、中国など
の主要国の歴史を書物で学んだり、

映画、テレビ番組、音楽からも多々教示されてきた・・。

こうした中で、主要大国は、政治、経済、軍事、社会、文化など歴然と保有して、
もとより国益を何よりも優先して、ときには衝突しても、互いに傷つくので、
出来る限り回避してきた。

しかし外交が破綻してしまうと、最悪の場合、戦争になってきた、と学んだりしてきた。

このようなことを漠然と、思い馳せたりした・・。



今回、日本に於いては、今回の読売新聞の世論調査に於いては、
憲法改正「賛成」が61%、と無力な私は学び、ただ微苦笑ばかりしている・・。


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