2004年(平成16年)の秋に定年退職後の年金生活を始めた直後、
私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、
銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。
こうした中、健康保険に関して定年退職後も、勤めていた企業の所属する健康機関に継続していたが、
支払い請求額の通知を受けて、少し高いなぁ、とため息をついたりした。
現役の企業の諸兄諸姉が所属していた健康機関なので、
何かしら病気とか万一の病死などは手厚く保障されていたが、
私の現役サラリーマン時代は給与から毎月差し引かれていたので、高いとも低いとも感じていなかった。
私は定年後に年金生活に入ったが、昭和19年9月生まれであるので、
年金満額支給は62歳になってからであり、それまでの2年間は年金支給額は、ほぼ半額程度であった。
このような収入時期の時代で、やはり企業の所属する健康機関は手厚く保障されていたが、
支払う毎月の保険料も高かった、と遅ればせながら気付いたりした。
やむなく私は、健康保険を企業の所属していた健康機関から国民健康保険に切り替え後、
最初の『国民健康保険料』の夫婦合算の請求支払額が余りにも激少したので、微苦笑したりした。
もとより国民健康保険料は、前年度の収入に基づいて、
家族構成、お住まい地域の自治体により差は発生するが、算出されている。
この後、保険関係をすべて見直して、
現役サラリーマン時代より生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険は、ほぼ半減に修正し、
火災保険、家財保険だけは従来通りとした。

こうした中、東京都の住民である私は、わずかな掛け捨てで、交通災害保険を知り、加入した。
何かしら 『ちょこっと共済』と称された可愛らしい名称で、
自動車、電車、船舶、航空機などの交通機関で、万一交通事故に遭われた時、
わずかであるが保証される保険である。
年金生活を私が始めた当時、大通りの歩道を自転車で疾走する下校時の学生、
買物の主婦など、中には携帯電話を話したり、見たりする方たちがいて、
何かと前方を不注意の方も見かけたりした。
或いは、我が家の近くの大通り、そして住宅街でも、
特に高齢者の方が覚束ない自動車を運転される方たちを見かけたりしてきた。
こうした状況を見かけて危惧してきた私は、万一、交通事故に事故に遭遇した時の用心として、
この後に、『ちょこっと共済』加入した。
私たち夫婦は、それぞれが毎年1000円ほどの掛け捨て保険をして、
確かに若き時代よりも、身体は衰え、少しボケてきたと感じる時もあり、
外出の時の『お守り』代わりに加入して、早や9年を迎えている。
この間、『ちょこっと共済』の『お守り』の効力の為か、
幸いにして私たち夫婦は交通事故に遭遇しないで、無事に今日に至っている。

この間、私は高齢者入門の65歳になり、介護保険証を受けたりした。
そして2011年(平成23年)10月初旬に、
家内は家内の父の命日に際して、家内の母と妹の三人で、
墓参を兼ねて1泊2日の短き慰安旅行に行った時に、何かの話題の後に、年金生活の保険金の話題になったらしい。
この時に、程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』、『介護保険』もあり、
高額治療になった場合は、程ほどの自己負担で済むから、
『医療保険』などはなくても大丈夫よ、と家内は教えらた、と家内の帰宅後に私は聞いたりした。
この後、何かと愚図の私は、現行の長期にわたって自己負担する高額な医療費について調べたりした。
そして私は厚生労働省の公式サイトのひとつ『高額療養費制度を利用される皆さまへ』を視たりした結果、
公的の『国民健康保険』と『介護保険』さえ加入していれば、
我が家としては、『死亡保険』、『医療保険』、『傷害保険』は、年間として少なくとも約30万円を支払ってきたが、
我が家としては不要かしら、と私たち夫婦は結論した。
そして、私は解約の手続きを開始したのは、私たち夫婦は年金生活を7年過ぎた頃であった。
こうした中、家内は年30万円で7年だから、210万円・・無駄だったかしら、と苦笑したりした。
『でもねぇ・・先の見えない漠然とした年金生活を始めて・・無事に病気することなく、
旅行に行けたし・・こうして8年を迎えられたのであるから・・良かったじゃないの・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりした。
そして我が家は、私は国民健康保険、介護保険さえあればと思いながら、
生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約したりした・・。

《つづく》
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私たち夫婦は齢を重ねるとボケたことを配慮して、
銀行、郵便局、生命保険等を出来うる限り集約したりした。
こうした中、健康保険に関して定年退職後も、勤めていた企業の所属する健康機関に継続していたが、
支払い請求額の通知を受けて、少し高いなぁ、とため息をついたりした。
現役の企業の諸兄諸姉が所属していた健康機関なので、
何かしら病気とか万一の病死などは手厚く保障されていたが、
私の現役サラリーマン時代は給与から毎月差し引かれていたので、高いとも低いとも感じていなかった。
私は定年後に年金生活に入ったが、昭和19年9月生まれであるので、
年金満額支給は62歳になってからであり、それまでの2年間は年金支給額は、ほぼ半額程度であった。
このような収入時期の時代で、やはり企業の所属する健康機関は手厚く保障されていたが、
支払う毎月の保険料も高かった、と遅ればせながら気付いたりした。
やむなく私は、健康保険を企業の所属していた健康機関から国民健康保険に切り替え後、
最初の『国民健康保険料』の夫婦合算の請求支払額が余りにも激少したので、微苦笑したりした。
もとより国民健康保険料は、前年度の収入に基づいて、
家族構成、お住まい地域の自治体により差は発生するが、算出されている。
この後、保険関係をすべて見直して、
現役サラリーマン時代より生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険は、ほぼ半減に修正し、
火災保険、家財保険だけは従来通りとした。

こうした中、東京都の住民である私は、わずかな掛け捨てで、交通災害保険を知り、加入した。
何かしら 『ちょこっと共済』と称された可愛らしい名称で、
自動車、電車、船舶、航空機などの交通機関で、万一交通事故に遭われた時、
わずかであるが保証される保険である。
年金生活を私が始めた当時、大通りの歩道を自転車で疾走する下校時の学生、
買物の主婦など、中には携帯電話を話したり、見たりする方たちがいて、
何かと前方を不注意の方も見かけたりした。
或いは、我が家の近くの大通り、そして住宅街でも、
特に高齢者の方が覚束ない自動車を運転される方たちを見かけたりしてきた。
こうした状況を見かけて危惧してきた私は、万一、交通事故に事故に遭遇した時の用心として、
この後に、『ちょこっと共済』加入した。
私たち夫婦は、それぞれが毎年1000円ほどの掛け捨て保険をして、
確かに若き時代よりも、身体は衰え、少しボケてきたと感じる時もあり、
外出の時の『お守り』代わりに加入して、早や9年を迎えている。
この間、『ちょこっと共済』の『お守り』の効力の為か、
幸いにして私たち夫婦は交通事故に遭遇しないで、無事に今日に至っている。

この間、私は高齢者入門の65歳になり、介護保険証を受けたりした。
そして2011年(平成23年)10月初旬に、
家内は家内の父の命日に際して、家内の母と妹の三人で、
墓参を兼ねて1泊2日の短き慰安旅行に行った時に、何かの話題の後に、年金生活の保険金の話題になったらしい。
この時に、程ほどの貯金があれば、『国民健康保険』、『介護保険』もあり、
高額治療になった場合は、程ほどの自己負担で済むから、
『医療保険』などはなくても大丈夫よ、と家内は教えらた、と家内の帰宅後に私は聞いたりした。
この後、何かと愚図の私は、現行の長期にわたって自己負担する高額な医療費について調べたりした。
そして私は厚生労働省の公式サイトのひとつ『高額療養費制度を利用される皆さまへ』を視たりした結果、
公的の『国民健康保険』と『介護保険』さえ加入していれば、
我が家としては、『死亡保険』、『医療保険』、『傷害保険』は、年間として少なくとも約30万円を支払ってきたが、
我が家としては不要かしら、と私たち夫婦は結論した。
そして、私は解約の手続きを開始したのは、私たち夫婦は年金生活を7年過ぎた頃であった。
こうした中、家内は年30万円で7年だから、210万円・・無駄だったかしら、と苦笑したりした。
『でもねぇ・・先の見えない漠然とした年金生活を始めて・・無事に病気することなく、
旅行に行けたし・・こうして8年を迎えられたのであるから・・良かったじゃないの・・』
と私は微苦笑しながら、家内に言ったりした。
そして我が家は、私は国民健康保険、介護保険さえあればと思いながら、
生命保険、死亡保険、医療保険、傷害保険を解約したりした・・。

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