夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

沖藤典子さん夫の介護、常に「良妻」求める世間が重圧だったと学び、男性の71歳の私は涙ぐみ・・。

2015-10-11 12:38:03 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
今朝、いつもように読売新聞の朝刊を読んでいる中で、17ページの【くらし・健康】面を見た時、
『ケアノート』と題され、それぞれ分野で活躍している女性のケアの実態が連載されている。

そして男性の71歳の私でも、毎週読みながら、多々学んだりしてきた。

今回は、《常に「良妻」求める世間・・プレッシャーだった夫の介護》
と見出しを私は見て、つたない感性の私は心揺さぶられた・・。

そしてノンフィクション作家の沖藤典子(おきふじ・ のりこ)さんが、
今回のケアの実態した記事と知り、驚いたりした。

私は沖藤典子さんが上梓された作品は、確か35年前の頃、『女が職場を去る日』(新潮社)を購読し、
鮮明に記憶されたが、この後は介護問題、人生行路全般など読む機会がなかったが、
沖藤典子さんの著作された御本は、本屋で、数多く私は見掛けてきたので、
長らく第一線のノンフィクション作家である。

こうしたお方でも、ご主人の介護をされる中、常に「良妻」求める世間が重圧(プレッシャー)だった、
と初めて知り、驚かされたであった。

そして読みながら、私は沖藤典子さんがご主人の介護をされる中、
葛藤された心情に涙を浮かべたりした、

シニアの女性、そして男性に参照さればと思いながら、この記事を無断ながら、
長文であるが、転記させて頂く。

《・・ノンフィクション作家の沖藤典子さん(77歳)は昨年10月、
閉塞性動脈硬化症を患った夫の明さんを80歳で亡くしました。
2年間の闘病生活の間、「妻が夫を介護するのは当然」という世間のプレッシャーに苦しんだといいます。
          

◆30代で実父も

私は30代の頃、実父の介護を経験しました。
まだ介護保険もない時代で、夫は単身赴任中。私は働きながら2人の子どもを育てており、
仕事と介護、育児の両立に苦しみました。

結局会社は辞めましたが、その経験をつづった著書「女が職場を去る日」がきっかけとなり、
1979年からノンフィクション作家として活動してきました。

そして、70代で迎えたのが夫の介護。
介護保険の制度が整い、子育ても終わって、仕事は自分で調節できる立場。
でも、今回は精神的な葛藤が大きかったのです。

明さんが最初に体の異変を訴えたのは2011年夏。明さんの喜寿を記念した、
夫婦と次女一家とのハンガリー旅行でだった。

夫は「左脚のもも辺りが痛い」と言い、歩くのも休み休み。
帰国後、近くの総合病院の整形外科を受診し、「腰椎すべり症」と診断されました。

1年以上通院しましたが、一向に良くなりません。
別の病院の整形外科で診てもらったら、血管外科を紹介され、12年10月、
「閉塞性動脈硬化症」との診断が出ました。

その時点では軽症と言われましたが、翌13年春頃から脚の痛みが強くなり、
家の階段もお尻をついて一段一段下りる状態に。
次の診察日に受診すると、即入院。

脚の血管があちこち詰まり、左の足先は壊死(えし)していて、
「最悪の場合、膝上での切断が必要になるかもしれない」とのこと。
ほかに、腎機能の低下と狭心症の疑いも指摘されました。

長女は海外在住、近くに住む次女は幼子を抱えており、夫に付き添えるのは私だけです。
仕事の合間に車で30分ほどの病院へ通い、夫を励ます。
看護師への不満があれば伝える。

手術や検査の度に医師の説明を受けたり、膨大な内容の説明・同意書を読んだりして、
治療方針を決定し、サインするのも私の役目です。

入院2か月後、右脚の静脈2本のうち1本を左脚に移植するバイパス手術を受けました。
左脚は、かかとを残して足先を切断するだけで済みました。
          

◆積年の恨み

明さんは大手建設会社の管理職だったが、毎晩のように泥酔して深夜に帰宅。
定年後も友人と外出しては深酒をする生活を続けた。

病気は、長年のツケが回ったのだと思いました。
ところが、世間は「夫の病気は妻のせい」という目で私を見ます。

同年代の女友達からも「あなたが仕事なんかしているせいよ」と言われました。

それでなくても、こうした時には、長い人生で積もり積もった夫婦間の感情が
一気に噴き出てきます。

家庭を顧みなかった夫に積年の恨みつらみがあり、
私を頼ってくる夫を拒否したい気持ちがどうしても消えない。

でも、医師や世間からは「良妻」であることを要求され、夫の世話をするのが当然と見られる。
一方で、医師の前で良妻ぶって振る舞う自分にも嫌気が差す。

最初の1年ぐらいは、そうした葛藤が続きました。
ようやく楽になってきたのは、自分との問答の中で
「私にも悪いところがあった。夫ばかりを責められない」と思えるようになってからでしょうか。

また、そんな私の胸の内を分かってくれる女友達も、中にはいました。
彼女らに時折電話で話を聞いてもらうことが、私の助けになりました。

13年12月、医療療養型の病院に転院しましたが、そこは寝たきりの高齢者ばかり。
早く退院させようと、義足を作り、介護保険の認定を受けました。要介護度は「3」。

夫は医療処置が必要なので、看護師資格を持つケアマネジャーを探し、
自宅2階の夫の部屋に介護ベッドを置くため、階段昇降機も設置しました。

夫は昨年10月8日に退院しました。
週2回のデイケアと週1回のデイサービスに通う生活で、ホームヘルパーさんには週3回来てもらい、
夕食介助をお願いしました。

父の介護の時は、こうした専門家はいません。今は多くの方が在宅介護を支えてくれる。
私が長年夢に見た光景でした。

          
◆つらさを語って

退院から約3週間後の10月30日夜。明さんがベッドから起き上がろうとした姿勢で
倒れているのを発見した。
救急車で大学病院に運んだが、亡くなった。急性心不全だった。

その数時間前に、夫と「リハビリで筋肉がついてきたよ」
「春にはお花見に行けるね」と話したばかりでした。

あまりに短かった在宅介護生活。病院にいた方が良かったかもとの思いは消えません。

私と同年代の妻の中には、私と同じように、夫に対する過去の感情の整理ができない中で、
世間からのプレッシャーを受けて、つらい介護をしている方が少なくないと思います。

彼女たちには「良妻ぶらずにつらさを語って」と伝えたい。
そうすれば、必ず同じ思いの人と出会え、少しでも楽になれると思います。(聞き手・森谷直子)・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          

私たち夫婦はお互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中、私たち夫婦は幸運にも大病に遭遇せず、今日に至っている。
しかしながら命ながらえば、やがていつの日にか、介護を受ける身となる。
          
私たち夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であり、
もとより子供に介護などは頼ることは出来ないので、いつの日にか介護を要する身となった時は、
介護施設に入居することなどを漠然と思ったりしている。
          

ここ数年、私が何よりも恐れていることは、痴呆症となり、自身が正常に自覚をできないことである。
私は親戚の方、知人の方とか、本などで痴呆症の悲惨さを少しばかり学んだりし、
たとえば私が痴呆症となり、介護をしてくれる家内の身を案じるとたまらないのである。
或いは逆に家内は痴呆症となり、私が看病する場合も同様である。

痴呆症の本人は介護して下さる方も解らず、
何よりも介護する方は、看病する張り合いがないと思われるからである。

このような私の思いから、痴呆症になる前に、ポックリとこの世と別れを告げたい、と思ったりしている。
         
或いはいつの日にか身体の変調を感じて、自宅で寝ていて数日し、悪化する中、
布団の中でオシッコを一度だけ漏らしたりして、死去後のことなどを家内に伝言する。

やがて救急車で病院に運ばれて、入院して数日後に死去する。
そしてこの間に家内からは
『あなたとの生活・・楽しかったわ・・』
と心の中で感じてくれれば充分である。

このように70代か80代のいつの日にか末期となると思われるが、
こうした私の念願は、果たして・・どのようになるか、今の所は漠然としている。

このような意味合いのことを、高校以来の悪友と語り合えば、
楽観プラス思考だよなぁ、と親の介護をしている悪友から私は言われたりしている。
          

今回の沖藤典子さんがご主人の介護をされる中、葛藤された心情に涙を浮かべたりし、
多々教示された。

そしてインタビューされた森谷直子さんが、『取材を終えて』に於いて、
《・・沖藤さんは仕事柄、著名人や一般の人の介護体験記を読む機会もよくあるが、
「介護した相手が亡くなった後、しばらくしてから書かれた体験記は信用できない」と話す。

時がたつと美しい思い出だけが残り、恨みつらみや葛藤が描かれないからだという。
「介護にはそれまでの夫婦関係が表れる」という沖藤さんの率直な話に、
私が夫を介護する立場になったらどう思うだろうかと、思わず我が夫婦関係を振り返った。・・》

こうした中で、《・・時がたつと美しい思い出だけが残り、恨みつらみや葛藤が描かれない・・》
この沖藤典子さんの思い、やはり人生を怜悧な視線で見つめる作家の確かな深情に、
私は降参します、と圧倒的に教示されたりした。

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