夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『鏡開きの日』が終え、やがて『女正月』かしら、ぼんやりと75歳の私は、思いを馳せたりして・・。

2020-01-11 09:31:03 | ささやかな古稀からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の75歳の身であるが、
今朝ぼんやりとカレンダーを見ると、11日は確か『鏡開きの日』だったよなぁ、
と思ったりした。

そして数多くの人が3連休を迎えて、ご家族でゆっくりと過ごされ、
家庭を守る主婦たちは『女正月』として、今年初めてのんびりとくつろげる日かしら、
と私は思ったりした・・。

もとより家庭を守るご主婦たちは、昨年の中旬までにお歳暮を済ませた後、
その後は大掃除、年末年始の準備をしたり、御節料理の買物、料理などで多忙な日々を過ごしてきた。

そして新年を迎え、ご家族一同で初詣をしたり、新年会をされたりした後、
6日には仕事始めの一家の主(あるじ)の夫を送りだし、7日の朝食の代わりに『七草がゆ』を頂き、
そして8日にはお子様も三学期の『始業式』となる。

そして本日の11日には、お供えの鏡餅を下ろし、『鏡開き』をして、
小豆(あずき)がゆを食べたり、 何かしら初めてほっとご家族で過ごすことができるのは、
この時節と思ったりした・・。

私たち夫婦は無念ながら子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
叔母、長兄、或いは友人のご家庭を時折見たりしてきたので、
このようなことを長らく思ったりしたのである。

大正時代の頃から日本の多くの人たちは、このように過ごされ、
特にご婦人たちがゆっくりとした気持ちになれるので、『小正月』と命名されたり、
『女正月』とも称せられたりしてきた。

          

私は1944年(昭和19年)の秋に生を受けて、
東京オリンピックが開催されて1964(昭和39)年に大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をし、やがて敗退し、
ある民間会社に何とか中途入社できたのは、1970年(昭和45年)の春であった。

職場で共にした多くは、新卒の団塊の世代であり、妹のふたり、そして家内もこの世代の人である。

そして私たちの先輩たちは、1960年(昭和35年)の前後から、日本の高度成長と共に、
猛烈に社内で働いて、一家の収入の責務を負い、
妻は専業主婦となり、子供の育児などを含めて、家庭内の専守防衛に徹して、夫の後方支援となっていた。

このような先輩たちを学びながら、私達の世代、そして団塊の世代も邁進した。

一家の主(あるじ)が懸命に働ければ、年収は確実に上昇し、
専守防衛の専業主婦に収入を渡すことができ、喜びを共にできた時代であり、
確かに明日に希望を託すことの出来た時代であった・・。

こうした中で、ささやかながら、白黒テレビ、電気冷蔵庫、電気洗濯機など、
その後は自動車、クーラー、カラーテレビなどの耐久商品を少しつづ購入しながら、
住宅を一生の高い買物と思いながら、ローン返済に奮闘したり、
子供の教育にも自分たちの夫婦より、少しでも高いレベルと思いながら、捻出して、
家族それぞれが悦びを共に享受できた時代であった。

         

やがて1989年(平成元年)11月初旬に東ドイツが市民に寄る『ベルリンの壁』が崩壊した後、
やがて米ソの冷戦構造が終結され、
世界の諸国の政治はもとより、外交・軍事・経済そして社会が一変した・・。

世界は社会共産経済も消滅し、世界の主要国は自由経済となり、
日本は東ヨーロッバ、アジアの諸国などの経済競争力に巻き込まれて、経済は低下した。

こうした中で、日本に於いては、1991年(平成3年)にバブル経済の崩壊後は、
日本経済の足かせになってきた企業の《雇用・設備・債務》の過剰問題は、
民間会社の多くは自助努力に基づいて、過酷な程、事業の再編、人員削減を行なってきた。

私は中小業の民間会社に勤めた身であったので、
まともに大波を受けたりし、多くの先輩、同僚たちと別れ、
そして残された私たちは困苦の時期を過ごした体験もある。

この間、数多くの民間会社のサラリーマンはもとより、多くの国民が困惑した時期を送られた、
と私は確信を深めたりした。

          

そして周知の通り、失われた20年の政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化し、
ここ10年は特にたえず短期に成果を問われる勤務となり、
たとえ大企業の正社員であっても、安住できない時代となり、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉の人たちは、このように過酷な状況の中で奮戦している。

もとより私達が30、40代まで昭和の時代と共に過ごし、
やがて昭和の時代が終わった頃から、『昭和妻』と称せられた専業主婦の家庭も激減し、、
数多くの家庭も共稼ぎ時代となったのは、まぎれなく30年近い実態となっている・・。

このように無力な年金生活の私は、時代に翻弄され、明日に希望を託せない閉塞の現世に、
ときおり思い馳せたりすると、涙を浮かべたりする時もある。

          

確か5年前の今頃、たまたま私は家内と買物に出掛けた時、
私の甥っ子である長兄の子供に逢った・・。

長兄の子供といっても、42歳となり、若き奥様を連れ立っていた・・。

『女正月の日だから・・たまには・・のんびりとお2人で・・』
と私は甥夫婦のふたりに云ったりした。

『叔父様・・女正月は昭和妻の名残りだわ・・
叔父様たちには悪いけれど・・当世では昭和妻は死語ですょ・・』
と甥の若お嫁ちゃんは、微苦笑しながら私たち夫婦に云ったりした。

この後まもなくして、私達は別れたが、
甥夫婦の後ろ姿を眺めながら、確かに甥夫婦にしても、
妹の子供ふたりも40代で夫婦共稼ぎをしながら、仲良く堅実に生活している状況に、
私は思い重ねたりし、私たち夫婦が過ごしてきた時代と、
大きく変貌していることに改めて実感させられたりした。

こうした心情を秘めてきた私は、働いて下さる諸兄は多忙の中、せめてこの3連休ぐらいは、
愛する妻と可愛い子供と共に、ご家族でのんびりと過ごされれば・・と無力の私は願ったりしている。


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