私は民間会社を定年退職後、年金生活の5年生の身であり、
大晦日を迎えて朝、何を綴ろうかと思案したりしていた。
やむえず、このサイトを開き、過去の綴った投稿文を読み返していた・・。
定年退職後、直ぐに年金生活に入り、まもなくブログの世界を知り、
初めての年末を迎えた時、平成16年(2004年)に、
あるサイトに投稿した文のひとつである。
【『冬のソナタ』に寄せて・・。】
と題して、投稿しているが、再掲載をする。
【・・
家内と昨日の夕方、駅前に買物に行く。
街は歳末の雑踏だった。
スーパーの一軒に家内が入り、私は入り口に近い所にある、小さめの家電量販店に佇んでいた。
『冬のソナタ』の主題歌が流れてきた・・。
振り向くと、量販店の店頭にテレビ販売のデモとして、『冬のソナタ』のビデオを放映していた。
三人の家族連れで、五十歳前後の奥さんがこの『冬のソナタ』を見て、
二十五歳前後の娘に『あら・・』と見入っていた・・。
主人の方は、『なんで、こんなのがブームになるのか、俺はわかんねえ・・』
と奥さんを急きたてた。
私はこの主人について、
奥さんとコミニューケションを日頃から取っているのかしら、と疑った。
以前、眠りが浅く、深夜目覚めたとき、
何気なしにテレビを点けたら、『冬のソナタ』を放映していた。
一時間半前後、見ていたが、
この監督は岩井俊二・監督の『Love Letter』《中山美穂・主演》の映画に影響を受けている、と直感した。
『冬のソナタ』は甘くせつない作品で、ありふれた作品であり、
ただ切り口が巧いと思えた。
日韓の文化交流の一環として、貢献出来た事は喜ばしい、と感じている。
一部の男は家庭を守る上で、会社人間になり、
妻の従順に甘え、五十歳を過ぎた頃、子供は成長を見て、順風と錯覚しまう。
妻側からして、世間並みの生活が保ってきたが、空虚さを感じ始める・・。
主人に『あたしを見つめて・・』と言いたいが、主人は気づかない・・。
『冬のソナタ』の主演男優に夢中になっている四、五十歳台のご婦人をみると、
このように感じてしまうのである。
若い二十歳前後の女性ならともかく、お気の毒ですね、と思う。
何はともあれ、日韓の交流の一環として、日韓がより一層深まってくれるよう、
切望する次第です。
尚、家内は『冬のソナタ』には、興味を示すことなくはない。
・・】
翌年の大晦日になると、
【 一年を振り返り時・・♪】
と題して、投稿している。
【・・
東京の郊外は、早朝は強い風が吹き、目覚めた・・。
先程まで煎茶を淹れたり、家内のコーヒーを枕元に置いた後、
新聞を読んだりしていた。
先程、玄関庭に出たら、風は微風に変わり、
陽射しが何時ものような情景となった。
穏やかな静寂の大晦日の朝である。
昨夜、家内の母が、予定通り夜の7時過ぎに来宅して、
夕食をしたが、やはり話題は、ここ一年を振り返る話に尽きた・・。
私は弐合徳利をお替りして、数の子、祝い鯛、蒲鉾、ゆずの輪切りを食べながら、
色々と話し込んだ。
しばらくした後、眠くなったので、煎茶を枕元に於いて、
文庫本を持ち込んで数ページ読んだ時、眠りについた・・。
さしずめ、この本は歴史学者のA.L.サッチャー氏の『燃え続けた20世紀』である。
この本は、10回前後、読み返している本である。
社会、政治、外交、軍事、経済、宗教が揺れ動いている現在、
私の脳裏に冷静な思考を保たせる最適な本である。
・・】
そしてこの後の一昨年の大晦日に於いては、
【『除夜の鐘』に寄せて・・♪】
と題して、投稿していた。
【・・
大晦日の夜、日本の各地で除夜の鐘を撞(つ)くが、古来より108回となっている。
知識人・藤野邦夫の解説に寄れば、
【・・仏教で人間の煩悩(ぼんのう)が、108あるとされることによるっている、
と明示されている。
煩悩とは、身体や心の欲望、他人への怒り、ないもののへの執着などとされている。
仏教に於いては、
①生まれてくる苦しみ
②年をとる苦しみ
③病気の苦しみ
④死の苦しみ
4大要素を『四苦(しく)』とし、
⑤欲しくても手には入らない苦しみ
⑥愛する人と別れる苦しみ
⑦いやなことをさせられる苦しみ
⑧その他の色々な苦しみ
『八苦(はっく)』があるとされている。
そして、この『四苦八苦』の四苦(4x9=36)と八苦(8x9=72)を加算すれば、108になる。
108回の来歴については、他にも諸説があるが、
一年の様々な思いをかきたてる除夜の鐘は、
旧年中に107まで撞(つ)き、
最後の1回を新年に撞くのが慣例である。
尚、『除夜の鐘』は、中国の宗(960年~1279年)の時代に始まった風習だと云われて折、
『除夜』とは、旧暦で一年の最後の夜のことである。
・・】
以上、無断であるが、引用させて頂きました。
私は11時過ぎに家を出て、独りで川辺の遊歩道を散策した。
陽射しの中、風もなく、のどかな情景であった。
私にとっての煩悩とは・・しばらく鴨の親子が水面をゆったりと泳いでいるのを見詰めながら考えた。
絣(かすり)の似合う女性で、昭和40年頃までの小説、随筆、映画など知る文学少女かしら、
と思ったりした。
この時代を知る人であったら、さしずめ若くても50代の女性となる。
こうした美女と語り合い、そして弐合徳利、ぐい呑みでお酒を呑みながら、料理を食べたりしたい。
そして別れ際、そおっと手を握り、握手をして去る・・。
こうしたのが私の見果てぬ夢かしら、と思っている。
私はこんな他愛のない、ひとときの夢をみていたが、
いつの間にか煙草を喫ったりしていた。
帰宅したら2時過ぎの昼下り、玄関庭の白梅が陽射しをさんさんと受けていた。
枝先は早くも莟(つぼみ)かしら、と夢幻のひとときを脳裏にかすめた。
・・】
そして昨年は、
【大晦日の昼下りの音楽は・・♪】
と題して、投稿していた。
【・・
家内と家内の母は、年末年始の買物に出かけているので、
先程から音楽を聴いている・・。
最初は、昨夜レコード大賞を受賞されたコブクロに敬意を示し、
『蕾(つぼみ)』を聴き、彼等のメジャー・デビューの前、
9年前から無名の3年間、路上で唄い続けた心情に熱く思いを寄せたりした。
そして、夢はみるものでなく、明日を信じて労苦の言動した日々を思う時、
胸が熱くなるのである。
この後は選曲は少し迷ったけれど、
モーツァルトも好いが、やはりベートーヴェンの『第九』だろうと、
と思いCD棚が取り出した・・。
今回はたまたま小澤征爾に寄るサイトウ・キネン・オーケストラであるが、
大晦日に相応(ふさわ)しいかしら、と微笑んでいる。
・・】
このように年金生活後の一年生から昨年の四年生までの大晦日に綴った1部であるが、
齢ばかり重ね、果たして私の心は深化してきたのだろうか、
と思ったりしたのである。
私は安楽に年金生活を過ごすのは、
何よりの堕落の一歩と思考しているひとりであるので、
深く反省したりしているのである。
そしてこの後は、
中国初唐の詩人である劉廷芝(りゅうていし)が遺されたひとつの詩に
思いを重ねたのである・・。
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
毎年たんたんと美しい花を咲くが、
この花を観賞できる人は変っている・・
私はこのように解釈しながら、人生のはかなさを若き二十歳の時に、
この詩を学び初めて、40数年の歳月が流れている。
そして、果たして昨年、一昨年の今頃はと思い浮かべても、
せんなきことかしら、と微苦笑したりしている。
大晦日を迎えて朝、何を綴ろうかと思案したりしていた。
やむえず、このサイトを開き、過去の綴った投稿文を読み返していた・・。
定年退職後、直ぐに年金生活に入り、まもなくブログの世界を知り、
初めての年末を迎えた時、平成16年(2004年)に、
あるサイトに投稿した文のひとつである。
【『冬のソナタ』に寄せて・・。】
と題して、投稿しているが、再掲載をする。
【・・
家内と昨日の夕方、駅前に買物に行く。
街は歳末の雑踏だった。
スーパーの一軒に家内が入り、私は入り口に近い所にある、小さめの家電量販店に佇んでいた。
『冬のソナタ』の主題歌が流れてきた・・。
振り向くと、量販店の店頭にテレビ販売のデモとして、『冬のソナタ』のビデオを放映していた。
三人の家族連れで、五十歳前後の奥さんがこの『冬のソナタ』を見て、
二十五歳前後の娘に『あら・・』と見入っていた・・。
主人の方は、『なんで、こんなのがブームになるのか、俺はわかんねえ・・』
と奥さんを急きたてた。
私はこの主人について、
奥さんとコミニューケションを日頃から取っているのかしら、と疑った。
以前、眠りが浅く、深夜目覚めたとき、
何気なしにテレビを点けたら、『冬のソナタ』を放映していた。
一時間半前後、見ていたが、
この監督は岩井俊二・監督の『Love Letter』《中山美穂・主演》の映画に影響を受けている、と直感した。
『冬のソナタ』は甘くせつない作品で、ありふれた作品であり、
ただ切り口が巧いと思えた。
日韓の文化交流の一環として、貢献出来た事は喜ばしい、と感じている。
一部の男は家庭を守る上で、会社人間になり、
妻の従順に甘え、五十歳を過ぎた頃、子供は成長を見て、順風と錯覚しまう。
妻側からして、世間並みの生活が保ってきたが、空虚さを感じ始める・・。
主人に『あたしを見つめて・・』と言いたいが、主人は気づかない・・。
『冬のソナタ』の主演男優に夢中になっている四、五十歳台のご婦人をみると、
このように感じてしまうのである。
若い二十歳前後の女性ならともかく、お気の毒ですね、と思う。
何はともあれ、日韓の交流の一環として、日韓がより一層深まってくれるよう、
切望する次第です。
尚、家内は『冬のソナタ』には、興味を示すことなくはない。
・・】
翌年の大晦日になると、
【 一年を振り返り時・・♪】
と題して、投稿している。
【・・
東京の郊外は、早朝は強い風が吹き、目覚めた・・。
先程まで煎茶を淹れたり、家内のコーヒーを枕元に置いた後、
新聞を読んだりしていた。
先程、玄関庭に出たら、風は微風に変わり、
陽射しが何時ものような情景となった。
穏やかな静寂の大晦日の朝である。
昨夜、家内の母が、予定通り夜の7時過ぎに来宅して、
夕食をしたが、やはり話題は、ここ一年を振り返る話に尽きた・・。
私は弐合徳利をお替りして、数の子、祝い鯛、蒲鉾、ゆずの輪切りを食べながら、
色々と話し込んだ。
しばらくした後、眠くなったので、煎茶を枕元に於いて、
文庫本を持ち込んで数ページ読んだ時、眠りについた・・。
さしずめ、この本は歴史学者のA.L.サッチャー氏の『燃え続けた20世紀』である。
この本は、10回前後、読み返している本である。
社会、政治、外交、軍事、経済、宗教が揺れ動いている現在、
私の脳裏に冷静な思考を保たせる最適な本である。
・・】
そしてこの後の一昨年の大晦日に於いては、
【『除夜の鐘』に寄せて・・♪】
と題して、投稿していた。
【・・
大晦日の夜、日本の各地で除夜の鐘を撞(つ)くが、古来より108回となっている。
知識人・藤野邦夫の解説に寄れば、
【・・仏教で人間の煩悩(ぼんのう)が、108あるとされることによるっている、
と明示されている。
煩悩とは、身体や心の欲望、他人への怒り、ないもののへの執着などとされている。
仏教に於いては、
①生まれてくる苦しみ
②年をとる苦しみ
③病気の苦しみ
④死の苦しみ
4大要素を『四苦(しく)』とし、
⑤欲しくても手には入らない苦しみ
⑥愛する人と別れる苦しみ
⑦いやなことをさせられる苦しみ
⑧その他の色々な苦しみ
『八苦(はっく)』があるとされている。
そして、この『四苦八苦』の四苦(4x9=36)と八苦(8x9=72)を加算すれば、108になる。
108回の来歴については、他にも諸説があるが、
一年の様々な思いをかきたてる除夜の鐘は、
旧年中に107まで撞(つ)き、
最後の1回を新年に撞くのが慣例である。
尚、『除夜の鐘』は、中国の宗(960年~1279年)の時代に始まった風習だと云われて折、
『除夜』とは、旧暦で一年の最後の夜のことである。
・・】
以上、無断であるが、引用させて頂きました。
私は11時過ぎに家を出て、独りで川辺の遊歩道を散策した。
陽射しの中、風もなく、のどかな情景であった。
私にとっての煩悩とは・・しばらく鴨の親子が水面をゆったりと泳いでいるのを見詰めながら考えた。
絣(かすり)の似合う女性で、昭和40年頃までの小説、随筆、映画など知る文学少女かしら、
と思ったりした。
この時代を知る人であったら、さしずめ若くても50代の女性となる。
こうした美女と語り合い、そして弐合徳利、ぐい呑みでお酒を呑みながら、料理を食べたりしたい。
そして別れ際、そおっと手を握り、握手をして去る・・。
こうしたのが私の見果てぬ夢かしら、と思っている。
私はこんな他愛のない、ひとときの夢をみていたが、
いつの間にか煙草を喫ったりしていた。
帰宅したら2時過ぎの昼下り、玄関庭の白梅が陽射しをさんさんと受けていた。
枝先は早くも莟(つぼみ)かしら、と夢幻のひとときを脳裏にかすめた。
・・】
そして昨年は、
【大晦日の昼下りの音楽は・・♪】
と題して、投稿していた。
【・・
家内と家内の母は、年末年始の買物に出かけているので、
先程から音楽を聴いている・・。
最初は、昨夜レコード大賞を受賞されたコブクロに敬意を示し、
『蕾(つぼみ)』を聴き、彼等のメジャー・デビューの前、
9年前から無名の3年間、路上で唄い続けた心情に熱く思いを寄せたりした。
そして、夢はみるものでなく、明日を信じて労苦の言動した日々を思う時、
胸が熱くなるのである。
この後は選曲は少し迷ったけれど、
モーツァルトも好いが、やはりベートーヴェンの『第九』だろうと、
と思いCD棚が取り出した・・。
今回はたまたま小澤征爾に寄るサイトウ・キネン・オーケストラであるが、
大晦日に相応(ふさわ)しいかしら、と微笑んでいる。
・・】
このように年金生活後の一年生から昨年の四年生までの大晦日に綴った1部であるが、
齢ばかり重ね、果たして私の心は深化してきたのだろうか、
と思ったりしたのである。
私は安楽に年金生活を過ごすのは、
何よりの堕落の一歩と思考しているひとりであるので、
深く反省したりしているのである。
そしてこの後は、
中国初唐の詩人である劉廷芝(りゅうていし)が遺されたひとつの詩に
思いを重ねたのである・・。
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
毎年たんたんと美しい花を咲くが、
この花を観賞できる人は変っている・・
私はこのように解釈しながら、人生のはかなさを若き二十歳の時に、
この詩を学び初めて、40数年の歳月が流れている。
そして、果たして昨年、一昨年の今頃はと思い浮かべても、
せんなきことかしら、と微苦笑したりしている。