夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京の「府中」のささやかな歴史、大國魂神社「くらやみ祭」、私は学び・・。

2024-05-03 15:42:30 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む79歳の年金生活の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。

 

東京競馬場のお膝元「府中」は奇妙でアートな街だった GWは大國魂神社「くらやみ祭」開催|人生100年時代の歩き方

東京競馬場のお膝元「府中」は奇妙でアートな街だった GWは大國魂神社「くらやみ祭」開催|人生100年時代の歩き方

 GW真っただ中の5月5日(日)に開催されるNHKマイルC。府中市にある東京競馬場はかつて大國魂神社の御供田で、6...

日刊ゲンダイDIGITAL

 


《・・
 GW真っただ中の5月5日(日)に開催されるNHKマイルC。
府中市にある東京競馬場は、かつて大國魂神社の御供田で、
6日に「お田植え祭」という神事が行われていた。

その大國魂神社で4月30日から5月6日にかけ、「くらやみ祭」が行われる。
府中が熱く盛り上がる季節だ。



■なぜ真っ暗な中を神輿で練り歩くの?

江戸時代は、“真っ暗”な中で行われていた「神輿渡御」(神輿の練り歩き)の神事。
くらやみ祭の由縁だが、見えないというだけで、何かミステリアスな雰囲気が漂う。


「神聖な御霊は、人目に触れてはいけないという古来の儀礼から、
昔は町々の明かりを消して、行われたそうです。

ただ、今は時代に合わせて、照明をつけたまま行われます。
期間中は80万人超の人出が予想されますね」(府中市観光協会)


くらやみ祭となってはいるが、現在は外国人観光客も多く、
警備の問題もあって、完全な暗闇はペケなのだろう。


さらに、他にも現代風のアレンジがある。
スタート時間だ。
くらやみ祭のクライマックスとなる「神輿渡御」は、
5月5日の午後6時から9時ごろに行われる。

江戸時代は、町の明かりを消した深夜に始まり、翌日の午前3時ごろに神社に戻っていた。
だから「くらやみ祭」なのだが、1959(昭和34)年からは午後4時スタートに変更。
ただ、これだと競馬レースのお客さんとかぶってしまう。

そのためJRAは、警備上の問題から祭り期間中の東京競馬場開催を自粛していたが、
2003年からは午後6時スタートに再変更。
これでレースとかぶらなくなったため、以降は競馬も行われるようになっている。


つまり、この時期の府中市は、レースも祭りも同時に楽しめるナイスなタイミングなのだ。

 

■なぜお尻丸出しの子どものアートがあるの?

京王線「府中駅」周辺の楽しさは、こればかりではない。
歴史とアートが混在する文化的な薫りにあふれている。


最初に向かったのは、「桜通り広場公園」にある奇妙なパブリックアート作品(①)。
お尻丸出し、なんなら前もモロ出しの子どものブロンズ像が連なっている。


ハテ? どこかで見たように思うのは気のせいか? 
実は、2010年の平城遷都1300年記念事業「せんとくん」でおなじみの作者、
薮内佐斗司氏(元東京芸術大学副学長)が手がけた「童々広場」という名の作品なのだ。


「彫刻のあるまちづくり推進事業で設置されたもので、都市景観とアートを融合させる目的があります。
市民の目線でアートに触れられるよう、美術館ではなく、外に設置しております。
薮内先生が特に府中市にゆかりがあるというわけではありません」(府中市文化スポーツ部担当者)


薮内作品だけあって、仏教的な要素と愛嬌が混在したすてきなアートだ。

ここから右方向(東)に真っすぐ歩くこと5、6分。
こちらは本物の子どもたちが大勢集う「ルミエール府中」(②)。
市立中央図書館が併設されており、5月19日まで特集本コーナーで「紫式部」の特集展示が行われている。

 

■なぜ源義家の像が立っているの?

次に向かったのは、やはり府中の名所としてよく出てくる「ケヤキ並木」。

府中駅の西脇を南北500メートル続く並木道(大國魂神社の参道)で、
源頼義・義家父子が、奥州征伐(前九年の役)の凱旋時に、
ケヤキの苗木1000本を神社に奉納したのが始まり(現在は120本ほど)。

日曜と祝日には、歩行者天国となる馬場大門ケヤキ並木のところには「源義家の像」(③)が建てられている。


八幡太郎の名で知られる義家は、
鎌倉幕府をつくった源頼朝、足利幕府をつくった足利尊氏の先祖でもある。


「西暦645年の大化の改新以降、府中には武蔵国の国府(県庁)が置かれ、
早くから政治、経済、文化の中心地として栄えてきました。

鎌倉時代末期は、合戦の舞台となり、
江戸時代には、甲州街道の宿場町として栄えていたのです」(府中市政策経営部担当者)


とにかく昔は、ここ府中が東京の中心だったのだ。
源頼朝が妻・政子の安産祈願を大國魂神社でしたり、
その頼朝を慕う徳川家康が、江戸入城から神社を保護し、社領として500石を寄進したりしている。

 

文化の薫りといえば、地元府中市民に愛されて150年、
明治元(1868)年創業の老舗洋菓子店「モナムール清風堂本店」(④)もそのひとつ。

1階がカフェ、2階がレストランとなっており、本日のお目当ては1階カフェのケーキ「紫式部」(税込み605円)。
鹿児島県産紫芋を使った甘みを抑えた味わいのケーキだ。


150年前の府中は、どんな感じだったのか・・・、と想像しながら食べてみるのも一興だ。・・ 》

注)記事の原文に、あえて改行など多くした。


コメント
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