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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

なぜ定年退職した直後から、10年近く毎日ブログの投稿文を書くのか、と我ながら微苦笑して・・。【下】

2014-09-25 18:56:03 | 定年後の思い
しかしながら私は、どうしても表現できないこともあったりした。
このことは私の人格さえも問題視されることで、感情と理性の間を往還しながら、
ためらいながらも結果としては、綴れなかったことがある。

たとえば、皇室の問題であり、天皇陛下、皇后陛下は限りなく敬愛しているが、
肝要の皇太子殿下、妃殿下のご夫妻に憂うことも感じたりしている。

或いは私の勤めた音楽業界のあるレコード会社に35年近くの中で、秘めたる事柄は、
守秘義務もないが、退職後の10年生となった今でも、心の礼節として綴れない。

そして格差の問題は歴然として、この世の中に各分野に露呈している現実があるが、
特に生活保護の難題は、綴れないのである。
          

         
私はこのサイトに於いて、政治、経済、軍事、社会を含めて、
専門知識のない感情だけで吐露(とろ)し、独断と偏見で、直球とかカープで余すことなく
筆力が乏しいまま発露してきたこともあったが、
ここ3年ぐらいは反省をまじえて減少しているが、ときおり余りにも心の節度が欠けた事件に、
いたたまれず投稿する時もある。

        
         
こうした中で、私は投稿文の時に、多くの方に読んで頂きたい自己顕示欲もあり、
投稿文の中では、改行を多くし読みやすいようにしている。

或いは2年近く前から、何とか写真を添付することが出来たので、
乏しい筆力を補(おぎ)いながら、カット代わりに写真を掲載したりしている。

そして私の投稿文の最初の一行に於いては、殆ど私の住んでいる地域を明記している。
このことは私が投稿文の中で、散策、買い物したりする場合、日本のどの地域なのか、
初めて読んで下さる方に理解して頂く為である。

こうしたささやかな思いで、つたない投稿文を繰り返して、早くもブログは10年近くが過ぎている。

          
私はブログを投稿する際、ひとつのテーマを決めて、真摯に、ときには楽しく綴ることもあるが、
恥ずかしながら筆力が乏しいながら、最後までお読み頂けるように試行錯誤をしたりしている。

しかしながら私の投稿文の内容は、あふれた思いを伝わるように熱意ばかりで、、
一気呵成に書き上げてしまい、ときには長き投稿文になったり、
投稿文を送信した後、読み返したする時、つたない綴りが多いので反省することが多い。
                    
       

こうした中で、数多くのお方の投稿文を読ませて頂き、
たとえば日記として綴られている場合は、その人なりの思いをその方ご自身の言葉で、
淡々と綴られているのに、圧倒的に感動を覚(おぼ)えたりしている。

そして日々の日常生活の過ごした方、或いは人生の思いを学び、
こうしたお考えで、この人生を過ごされているのか、と教示されることが多く、
お住まいの地域、これまで綴られたそのお方の人生の軌跡に思い重ねさせて頂きながら、
何よりも生きた人生の教科書、と確信を深め教示されている。

このように読ませて頂きながら、私は秘かに励ましを感じたり、微笑んだりする時もあり、
確かな人生の底知れぬ苦楽の深淵を感じながら年金生活を過ごしたりしている。

          
       
或いはその地域の情景の四季折々の移ろいを背景とし、
デジカメの数葉を掲載され、単なる絵葉書のような観光地の解説でなく、
その方ご自身の言葉で綴られるのに感動させられたりしている。

そして言霊(ことだま)を信愛し、何よりも投稿文で吐露(とろ)しなければ、
この人生を生きて行くことはできない、
このような圧倒的に心の深淵まで描写できる方もいる。

          
こうした中、数多くの方の投稿文を読ませて頂き、感極まって私は、ときおり
そのお方にコメントをしたりしている。
               
      
私はブログを書き始めて、丸9年半が過ぎて、早や10年生であるが、
この広い空の下で、未知のお方に投稿文、或いはコメント上で、めぐり逢えたこと、
秘かに感謝したりしている。

そして偏(ひとえ)に数多くの皆様にささえられて、投稿文が継続できていることも確かな事であり、
何よりも数多くのお方の確かな人生の教科書を学び、
私は人生の励ましを感じたり、ときには微笑んだりして過ごせてきたので、改めて感謝している。
          


こうした中で、数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、
何かと安堵しながら、身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズ、
と知人、友人からの便りを受けたりしてきた・・。

私の長き人生に於いても、60代の期間が何より安楽な時代、と思い重ねたりして享受してきた・・。

そして70代となれば、体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。

このように学んできた私は、果たして認知症にかからず、
心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命を保ちながら、
ブログの投稿文が続けられるかは未定であるが、出来る限り投稿文を重ねて生きていたい、と念願している。
          

余談であるが、私は半年の前の頃、認知症専門医の長谷川嘉哉・医学博士の寄稿文のひとつには、
《・・(略)・・「ずっと脳に与えられてきた刺激が突然途絶えるのも、認知症のトリガー(注・要因)になります。(略)
かように、脳は絶え間ない刺激を求めている。・・(略)・・

読書や映画観賞によっても扁桃核は刺激されますが、重要なのはその刺激をアウトプットすること。
感想を人に話すのもいいですが、ブログに書くのはさらに効果的。

ブログを書くことの利点は、次なるネタ探しのためにインプット用のアンテナが立つことで、
このスパイラルが脳に効くんです。
ツイッターでさらっと流すだけでは、こうはいきませんよ・・(略)・・」》
          
このような《ブログを書くことの利点》を学び、ブログを書き続ければ認知症になりづらい、
と私は解釈して、微笑んだりしてきている。

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なぜ定年退職した直後から、10年近く毎日ブログの投稿文を書くのか、と我ながら微苦笑して・・。【上】

2014-09-25 11:11:39 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の身であるが、
年金生活をしている中のひとつとして、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを心の発露の表現手段として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

私は民間会社の中小業のある会社を35年近く奮戦して、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由により年金生活を始めて、まもなく10年となる中、古希と称される70歳を迎える身である。
          
        

私は定年退職した時、この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げて、
自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを出来うる限り随筆風の散文を綴り、
公開しょうと思案したりしていた。

しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、無名の私が開設・運営した所で果たして、
と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。

この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。

          
そして私はブログの多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
自在に私の生活のことから、専門知識がない私でも、政治、経済、社会などの難題を私なりの思いを発露でき、
何よりホームページより手軽に開設、運営できると感じ、ブログに加入しょうと決意した。
        

そして私は、2004年(平成16年)11月12日にある大手のブログサービスに加入した後、
2つばかりのブログサービスに彷徨(さまよ)った後、
この【gooブログ】に翌年の2005年(平成17年)の1月中旬に加入したので、
これ以来、ほぼ9年半が過ぎている。

      
しかしながら、この後に他のブログサービスに加入して熱中して、2度ばかり中断したが、
2008年(平成20年)の5月以来は継続し、今日に至っている。    
          

  
 
   
このような軌跡で、ブログの世界を知って丸9年半が過ぎ、10年生となっている。
結果としては、パソコンの故障、国内旅行などしない限り、日に少なくとも一通は投稿してきた。

こうした私の根底には、私の幼少時代から年金生活している現在までの生きてきた心の軌跡を発露して、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからであった。

そして年金生活を過ごしている今、日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
          

私は心の思いの表現手段としては、文章で綴ることもひとつと思い、
ブログの世界を知る前に日記形式で綴っていた時もあったしたが、日々継続できず、
きまぐれに綴っていた時期があったりした・・。

若き20代の頃は、原稿用紙のように升目のある分厚い日記帳、
その後は原稿用紙のノート型で綴ったりしていたが、いずれも手書きであった。

やがて40代の頃からは、自宅に備えたワープロで入力し、フロッピー・ディスクに記憶させたりしていた。

これ以前として、私が初めてパソコンを購入したのは、 確か1983年(昭和58年)の頃であったと思われ、
NECのPC8801だったと記憶している。
そしてベーシック言語でプロクラムを書いたりして、この当時はネットの世界が一般の方に普及していなく、
独学の勉強のひとつとして、新古今和歌集を入力したりしていた。

         
やがて1998年〈平成10年〉夏に、会社と自宅で使う為にパソコンを買い改めたりした。
ノートパソコンで『ウィンドウズ 98』の基本ソフトであり、この当時は付属の記憶装置はフロッピーであった。
そして自宅の居間で、表計算ソフトを活用して、会社の資料を作ったり、
或いは『日記』専用のソフトを買い求めて、私自身の日記を書いたりしていた。
                    

しかしながらこの『日記』専用のソフトは、ハードディスクに記憶されて、
無念ながらバックアップの方法は、私は無知であった。
          
こうして3年過ぎた頃、このノートパソコンのハードディスクが壊れて、
修理に出したが、無念ながら修整不能となり、やむなく新品のハード・ディスクに交換した。

この間、私は過ぎ去った日々の思いの散文が消え去ってしまったことに、茫然とした・・。
あの日のあの時の思いを真摯に綴ってきたのに、どうしてくれるのょ、と自身に対して、じくたる思いであったりした。

          
もとより私はハードディスクは故障することもある、と知ったりしていたが、
まさか我が身のノートパソコンが・・と思いで、後悔を重ねたりした。

         
こうした苦い私の出来事があり、インターネットの中に於いてのブログの世界は、
私が数多くの投稿文を重ねても、プログを管理して下さる処理先のサーバーで記憶しているので、
たとえ私のパソコンを買い替えても、投稿文の先のサーバーで保管されているので、簡単に復旧でき安心である。

しかし年に数度は、ネットの世界は不可解な出来事もあり、
プログ管理側のサーバーが万一故障し、修整不能となった場合に備えて、
私は加入ている【gooブログ】のバックアップ機能を活用し、バックアップをしたりしている。

こうした心情の根底には、10数年前に『日記』専用ソフトが消えてしまった苦い体験から、
保険代わりに実施したりしている。
          
         

私の投稿文の殆どの内容は、幼年期からサラリーマン退職時まで、そして年金生活の日々の心情は、
脚色もないありのままの思い、真情を投稿文に認(したた)めたく、
あますことのないように綴ってきた。

私は綴る際は、自身のその時の心に素直に綴るようにし、
あとで振り返った時、あの時はこのような思いで過ごしていたのか、
何より自身に対して、その時の思いの心情が大切にしているひとりである。

従って、数多くの駄文を綴ってきたが、ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
          
しかし誰しも、この人生を歩み中は光と影を有しているので、つたない私でも光と影があり、
特に暗く影のことも、私自身、家庭、或いは生家の事柄に関しも、
このサイトにためらいながら、マイナスと称される影も私は描写してきた。

たとえば、私の小学生の前半に、父や祖父が病死し、残された母や私たち兄妹は、貧乏な生活を一時期を体験したこと。
或いは、亡き母が40代の時代は、私たち兄妹の五人が何とか世間並みの生活にする為に、
ラブホテルのような連れ込み旅館を経営し、睡眠時間を削りながら、孤軍奮闘し、
私たち五人の子供は成人したこと。

又は次兄は自営業で、経済破綻して、自殺と称せられる薬物を飲み自裁して、自室で亡くなったこと。

そして私自身の場合は、大学を中退して映画・文學青年の真似事をして、やがて敗退したことや、
定年の五年前にリストラ烈風の中、無念ながら出向となり、定年時を出向先で迎えたこと。

このように私はこれまでの人生の歩みの中、心のわだかまりを吐露(とろ)しなければ、
この先の人生を生きて行くことはできない、と思い発露してきたのである。

こうした私なりに屈折した出来事を余すことなく投稿してきたが、
小心者の私としては匿名であることで、初めて発露できたことである。
          
          

このような心のうめきごとは、リアルな現実の日常生活では、
たとえ私が言葉にしても、対人の受け止めることに困り果てることもある、と感じたりした。

小説、随筆などは、あくまで間接のワンクションとして読者は受け止めることができるので、
ブログの匿名で公開する内容も、ある意味合いに於いては同じかしら、と思ったりしている。

このような理由も重ねて、私はここ7年、発信名は『夢逢人』と命名したのである。
私の綴ってきたことは、まぎれなく私の知る限り真実を発露してきたので、
リアルな現実でお逢いするのは、私の心の裸身を見られたようで恥ずかしく、
文字通り、夢の世界でお逢いしたいですね、と思いながら命名したりした。
             
                                 《つづく》

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