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夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

東京郊外は、初夏の暑さの日中となり・・♪  《初出2008.5.26.》

2008-06-15 13:03:07 | 読書、小説・随筆
東京の郊外は、一昨日はどんよりとした曇りで夕方から小雨が降り続け、
昨日は霧雨の降る一日であった・・。

今朝は青空の快晴で迎え、急に暑さを増し、
私が昼過ぎに買物に行った時は、
半袖のスポーツ・シャツ、帽子、サングラスとなったが、
熱いくらいに感じたのである。

帰宅後、洗面所で顔を洗ったりした。


私は睡眠不足なのか、或いは急に暑さのためか、
頭が重いようでぼんやりとしていたので、
寝室で布団に横たわり、
川本三郎・著り『向田邦子と昭和の東京』(新潮新書)を読んでいるうちに、
昼寝をした。

先程、目覚め、洗面所で顔を洗った後、玄関庭の軒下で煙草を喫ったりした。

風が樹木の間から吹き、私も受けたりしているが、
日中の暑さが残しているような風である。

私はぼんやりと、昼寝の夢の世界で、
向田邦子・女史との会話、女史のしぐさを思い返したりしている・・。

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竹内一正・著の『グーグルが日本を破壊する』 《初出2008.5.7.》

2008-06-13 08:36:12 | 読書、小説・随筆
過日、本屋の新書コーナーで偶然1冊の本を手にした。

竹内一正・著の『クーグルが日本を破壊する』(PHP新書)である。

http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-69773-4

本の帯には、私たちの世界はどう変わるのか
テレビ、CM業界、新聞、ケータイ、パソコン・・・・。

と大きく明示され、

8章に及び、グーグルが各業界に影響する実態と今後の予測を提示している。


私にとっては、著作者の竹内一正(オフィス・ケイ代表)は未知の人であり、
初めて読む読者のひとりである上、
Webの世界に関し、定年退職後の4年生のまったくの初心者ある。

この3年半でWebのもたらす書物を程々に読んできたが、
特にグーグルに関しては、私のような程度の低い人でも
解かりやすい明示されている本書である。

昨夜、読了したのであるが、
《グークル検索の限界》の章で著作者の優しい明示、
私は最も関心を示したのである。

本の価格は、本体720円(税別)てあり、
現役でビジネスに携わっている男女の諸氏には、
たとえ食事を一食抜いても、或いは睡眠時間を削っても、
お勧めの本の1冊と思っている。

私は山川草木をこよなく愛している年金生活の身であるが、
ときには感動、そして感銘をもたらしてくれた本書でもある。

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されど、文学の評価は・・♪  

2008-06-12 13:57:00 | 読書、小説・随筆
私は総合月刊雑誌の『中央公論』に関し、
今月号は【こんな政治に誰がした】の特集に興味を持ち、購入したのであるが、
別の特集に一番関心を深めたのである・・。

【平成文学の可能性を探る】の特集の中で、
《平成文学・私が選ぶこの10冊》と題して、
それぞれ知識人に寄る3名のお方が掲載されていた。

この中のひとりは、比較文学者・小谷野 敦が、
『文学賞は当てにならない』と副題のような見出しタイトルで掲載されていた。


私は不勉強であるので、このお方はまったく未知の人であるが、
読んでいくうちに、驚き、この広い世界でも、
解かる方もいると、安堵すら感じたのである。

無断であるが、引用させて頂きます。



・・ちっとも評判にはならず、
あとになってたまたま読んで驚いたのが勝目 梓の自伝小説『小説家』である。

セックスとバイオレンスの通俗量産作家の勝目が、
元は純文学志望だったことは知っていたが、
その苦しい青少年時代から、
いくら書いても芽が出ない文学志望の時期を経て、
生活のために、これならやっていけると見極めをつけて
通俗小説に身を投げる過程は、全編に真実が詰まっていて、
2006年度の最高傑作といってもいいくらいなのに、
何一つ文学賞もとらなかったのだから、これまた、
文学賞の当てにならなさを如実に物語っているといえよう。
・・

注・著作者の原文より、勝手に改行を多くした。


私は東京オリンピックの頃から、4年ばかり文学青年の真似事をした身であり、
これ以降はサラリーマンの身に投じ、
定年退職後の年金生活の4年生である。

小説に関しての読書は、
サラリーマンの現役時代は数多くの人たちと同様に多忙であったので、
他の分野の読書となり余り読むことはなく、
昨今の年金生活で私なりに興味を惹かれる本を読んだりしている。

そして、読書の愛好家のひとりとして、ときおり、ブログ系のサイトに投稿したりしている。


2006年12月24日に於いて、
【私の『今年の3冊』・・♪】と題して、投稿していた。


読売新聞に於いて、毎週特集【本のよりうり堂】があるが、
今週は年末恒例として、読書委員23人による注目した本、お薦めの本を選定していた。

そこで私なりに拙(つたな)い読書歴であるが、今年に発刊された本を色々と思考した。

①勝呂 梓『小説家』(講談社、1700円)

②梅田望夫『ウェブ進化論』(ちくま新書、740円)

③ジャック・ウィザーフォード『パックス・モンゴリカ』(NHK出版、2500円=横堀富佐子・訳)

こうした3冊を苦心の上、選定したが、3冊目の『パックス・モンゴリカ』は読書中であるので、
読了後、最大の収穫かも知れない。

一番目の『小説家』は
著作者の今まで発表された小説は苦手な分野であるので、
ほんの数冊を30年前頃に読んだだけである。
今回の作品は自伝書であるが、
ここまで赤裸々に心情、思いを吐露された私小説は、
私の拙(つたな)い読書歴から見当たらない。

純文学の小説家を目指し、
ある二人の出会いに娯楽小説に転換せざるを得ない挫折と屈折感は
痛恨の思いである。

後年、成人した娘が就職の面接時、
父の小説のジャンルの問答には涙を禁じえなかった。
文学青年の方達に、読んでいただきたい必読書とも思っている。

(略)

読書委員の23名の『今年の3冊』を見たが、それぞれの分野の著名な方達であり、
私も未読の本も数多くある。

あくまでその人なりの感性と感覚で選択し、読了の末、選定されているので、
それぞれで良いと思っている。



このような投稿文を振り返り、改めに作品に思いに馳(は)せると、
文学の世界から、作品の評価、文学賞に無視された作家・勝目 梓はお気の毒と思いながら、
解かる人は解かる、と未知の小谷野 敦のお方に共感を深めている。


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雨脚で目覚め・・♪

2008-06-12 13:54:47 | 読書、小説・随筆
東京の郊外に住む私は、今朝は雨が屋根に叩くような強い雨脚で目覚めた・・。

私はぼんやりと枕元の時計を見たら、
4時であった。

枕もとの横には、月刊総合雑誌の『文藝春秋』、『中央公論』があり、
そして佐野眞一・著の『甘粕正彦 乱心の曠野』(新潮社)、
塩野七生・著の『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫)が置いている。

私の読書の優先順位は、
読みかけていた『甘粕正彦 乱心の曠野』を中断し、
やむえず月刊雑誌を読んだりしている。

そして一昨日発売されたこの雑誌の中の記事を
思い返したりしている。

うとうととし、雨脚を聞きながら、
こうしたひとときも好きである。

そして、ここ数日は読書を最優先として大半を過ごし、
この間に買物、散策をしたり、このサイトに投稿したり過ごしているので、
年金生活の自在な身としても忙しいのである。


私は何よりも読書が好きであり、
こうしたことは、このサイトに幾たびか綴っている。

例えば、2005年(平成17年)10月27日に於いては、
【文字・活字文化の日』と私のブログ・・♪】
と題して投稿している。


本日の読売新聞を見ていたら、
本日は『文字・活字文化の日』と綴られていた。
何故、この日がこうして制定されたのか解らないが、
多分、本日から11月9日まで読書週間にちなんで命名したと思う。

私は活字による文字を読む新聞、雑誌、小説、随筆、
教養の歴史学、現代史などを読むのが好きである。

言葉から文字へと人々の営みの中から、
文明が生まれ、その中の一部として、文化が発生している。

創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれの人々が読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
私はこの魔力から高校生の時から愛好している。

私はブログという伝達方法で、文字のみで投稿しているのは、
この理由に他ならない。

写真、飾りを付けられている方が多いが、私は今後も文字のみで表現する手段としたい。
私の綴づった内容が充分に伝わらなかった時は、
私の文章修行が未熟であることに他ならない。



数年前に綴った投稿文のひとつであるが、
少し気負って、つたなく、幼い表現だった、
と微苦笑したりしている。



06:51 編集 ページのトップへ
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齢を重ねた私が、『Web環境』を学ぶ時・・♪ 《初出2008.4.2.》

2008-06-09 13:45:20 | 読書、小説・随筆
私が自宅にインターネットを導入したのは、
定年退職の数ヶ月前であった。


私は1944年に1年間、コンピュータの専門学校でソフト学科を学んだ後、
企業に中途入社したのは25歳の時であった。

現場を一年配属された後、私は本社でコンピュータの専任者となり、
これ以降、20年近く情報部門に所属していたので、
ある程度コンピュータの先端ソフトなどを知っていた。

1990年前後に、私は他部門に異動する前までは、
IBMが開発したパソコンを広く技術公開をしたので、
数多くのパソコン・メーカーに共通のOSとして、
マイクロソフトがMS-DOSを発売し、パソコンの世界を一新させた。

これ以降、特にウィンドウズ95でインターネットが旋風したが、
私の情報部門の専門外であったので、素人なみの知識となった。


定年退職し、インターネットの検索、電子メールなどを盛んに利用していたが、
『ブログ』の世界を知り、私は衝撃を受けて、
『Web環境』を学びはじめた。

専門解説書はもとより、梅田望夫・著の『ウェプ進化論』(ちくま新書)、
佐々木俊尚・著の『次世代ウェブ』(光文社新書)など6冊を読んだりしていた。


今の私は、年齢を重ねた63歳で年金生活の4年生の身であり、
現役時代と違い緊張感を失くし、少しボケた心情であるが、
只今読書中なのは、森 健・著の『グーグル・アマゾン化する社会』(光文社新書)を読んでいる。


http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334033699


私が本屋の店頭で少し立ち読みし、購入したのは、

【・・商品の多様化で利益を得るロングテールは、
その裏返しとして、ヘッドという一極集中を招くのではないか・・】

と著作者の言葉に促(うなが)されて、購読したのである。

読みはじめ、どうしてなの、と私は独り言を云いながら、ボケた頭を振り、
読んでいるのである。

そして、Webの世界はどこまで進むの、
と技量もなく体力を衰えた私は、深くため息をしながら、読んでいる。

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管 英輝・著の『アメリカの世界戦略』 《初出2008.3.31.》

2008-06-09 12:43:45 | 読書、小説・随筆
私は年金生活の4年生の身であるが、
趣味の読書で過ごすことが多い・・。

この一週間は、殆ど一冊の本を読んで過ごしたのである。

管 英輝・著の『アメリカの世界戦略』(中公新書)であり、
副題として、戦争はどう利用されるのか、と明題されていた。

私の読書歴からは、著作者に関しては無知であったが、
略歴を見て、アメリカ政治外交論、国際関係論を専攻する大学教授であったことを知ったのである。

本の帯にある解説に寄れば、

2003年3月、ブッシュ政権は対イラク戦争に踏み切った。
世界の平和と安全を説く国がなぜ先制攻撃を仕掛けるのか。
そこには、冷戦終結後、EUと中国の挑戦を受けるなか、
圧倒的な経済力と軍事力をもとに世界一極支配を目指すアメリカの戦略がある。

本書では朝鮮戦争からヴェトナム戦争、
そして「ブッシュの戦争」に至るアメリカ式戦争の特徴と問題点を
政策決定者たちの証言を交えて分析し、
「帝国」の今後を展望する。


こうした解説を本屋の文庫新書コーナーで私は読んで、
購入し、この1週間を費(つい)やして読んだのである。

              
私は昭和19年に生を受けて、
幼年期、祖父と父が健在の時は、農家の子として育てられていた・・。

私はいじけた可愛げのない子でいたずらをしたりすると、
『そんなに・・いたずらするとマッカーサー(日本占領軍の最高司令官)に・・
やってしまうぞ・・』
と父から怒られ、蔵に入れられたりしていた。

私は中学校に通った頃は、日本映画はもとより欧米の映画を観たりしていた。

高校の一年の6月のある日、『60安保』騒動の影響で、
数日学校が休校となったが、
この頃の私は安保の意義などは無知な少年であった。

この頃、日本史、世界史が好きで、
時の権力者はどうして領土拡張に執念するのか、
と思いはじめ、選択科目の『時事』も学んだりした。
そして『朝日ジャーナル』などを読みはじめ、
時事担当の教師にしばしば質問をして、
困らせたりしていた。

このような時、『キューバー危機』があり、
私は米ソが核ミサイルを互いに発射させ、世界は終ってしまう、
と思い込み震えながら一夜を過ごしたことがある。

そして現代史、歴史書を学びはじめ、
時のアメリカのケネディ大統領が就任した時の演説に魅了されていた。

『・・祖国が貴方に何をしてくれるのかを尋ねてはなりません・・
貴方は祖国の為に何を出来るのか考えて欲しい・・(略)・・』

この言葉に夢中になり、しばらくした時に、
『ケネディ大統領の暗殺』をテレビで観て、
私は長らく落ち込んだ。

その後、『ヴェトナム戦争』が報じられるたび、
巨大国である米ソ中の三国の怜悧な国益を学んだりした。

そして弟のロバート・ケネディが大統領の予備選で勝ち進めていた時、
『暗殺』され、私はひどく気落ちし、
政治の世界に興味を失ったのである。

私は遅ればせながら、1970年の春、25歳の時に企業に中途入社し、
数多くの方と同様に日本を見つめ、世界をみつめても、
熱い思いで眺めることなく、冷めた思考でここ40年を過ごしている。

時の権力者はもとより、私を含めた無名な方まで、
人は光と影を有する者であるが、心の節度がどこまで保てるか
現代史、歴史書から学び、そして私が生きてきた哲学のひとつでもある。


このような思いがあるので、
『アメリカの世界戦略』の著作者に導かれて、
日本の敗戦後からの今日まで、アメリカの視点を通して読み進めるが、
あの時は・・、と思索すると中々次ページに進まないのである。

私はたった一冊の本であるが、私なりの自身のための現代史の検証、
と思ったりし、1週間を要したのである。




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魅了される『週間 日本の歳時記』・・♪  《初出2008.3.26.》

2008-06-09 12:12:02 | 読書、小説・随筆
昨日の読売新聞の朝刊を見ていて、思わず微笑させられた。

新聞の一面で、

【 日本に季節の言葉があってよかった 】

と見出し、和服の女性が目は輝き、少し微笑んでいる美麗な情景であった・・。

私は季節の移ろいを享受することが何よりも好きなので、
微笑みながら下段を見たら、
小学館がウイークリー・ブックとして、
『週間 日本の歳時記』の広告であった・・。

本日創刊に伴い、今後、毎週火曜日に発売され、
全50巻であり、

【 忘れかけていた季節の言葉に、毎週めぐり会える 】

と表示されていたので、日常の友に最適かしら、
と感じたりのである。

http://sgkn.jp/saijiki/

私は齢を重ねた身なので、
『色の彩時記』(朝日新聞社)、『茶花歳時記』(講談社)、
『幸せ暮らしの歳時記』(講談社文庫)、『健康歳時記』(三宝出版)等は、
日頃の友としている。

日本風土の限りない美しさを教示されたり、
日常の散策での光景、旅先での情景が心の中で、
甦(よみがえ)ったりしている・・。


私が若き日で婚約者にいたと仮定したならば、
何よりの贈り物で、その後の新婚生活の日々を彩(いろど)りを増す、
と思ったりしている。

或いは、親子4人のご家庭でも、お子様たちの情操教育の基本となし、
ときにはパパ、ママも読んだり、眺めたりし、
心を確かに豊かにする本かしら、と思ったりしている。


尚、私は小学館とは一切関係のない一介の年金生活の身であり、
ありふれた読書、散策、国内旅行好きのひとりである。


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田 月仙・著の『禁じられた歌 ~朝鮮半島 音楽百年史~』 《初出2008.3.25.》

2008-06-09 12:00:52 | 読書、小説・随筆
昨日の午後、私は一冊に本を読んでいて、
久々に時間が過ぎるのを忘れた・・。

田 月仙(チョン・ウォルソン)・著の『禁じられた歌 ~朝鮮半島 音楽百年史~』(中公新書ラクレ)である。

この著作者に関しては、前作の『海峡のアリア』(小学館)を過日読了し、
感銘を受けた人であったので、新作を店頭で見掛け、購入したのであった。

このお方は声楽家として著名な人であり、
ご両親が朝鮮民族で、北朝鮮・韓国に分断された祖国に熱い思いで綴られている。

声楽の音楽分野を通して文化、歴史を語り、行動される人である。

ご当人自身、兄たちが北朝鮮で不明となり、
北朝鮮から声楽家として招待された後、
劇的に再会できたり、
幼年期から声楽家として国際的に成功される半生記が前作であった。


今回の作品は、『アリラン』、『鳳仙花』、『春香伝』等の歌を通して、
時の権力者に翻弄される朝鮮民族の悲哀をしなやかな視線で表現された作品である。

私は声楽分野に関し、全くの無知なので、
このお方のサイトを明記する。

http://www.wolson.com/japanese

私はこのお方の2冊の作品を読んだだけであるが、
この人の分断された朝鮮民族、祖国への熱き思い、感銘を受け、
ときには涙ぐんだりしたのである。

私は日本人のひとりとして、
敗戦以前の統治した朝鮮半島の歴史、
敗戦後の巨大国の怜悧な国益の中で、翻弄される朝鮮民族の悲哀を、
少なくともこうした事実の集積を学び、思索したりしている。

こうした厳然たる事実を告知させる女史に私は敬意し、
昨今数多い作家がいるが、この女史の燦然な力量の前では、かすませるかしら、
感じたりしている。


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ときには、『健康歳時記』を読めば・・♪   《初出2008.3.9.》

2008-06-08 20:36:08 | 読書、小説・随筆
私は年金生活の4年生の身であり、
机上の右側に色々な歳時記、国語辞書などの本を置いている・・。

この中の一冊が、水野 肇・監修の『健康歳時記』(三宝出版)であるが、
私が現役時代の平成7年に、会社に訪問販売してきた時、
おつきあい程度の気持ちで購入したのであった。

現役時代は本棚に収納したままであったが、
定年退職後、改めて人生の再スタート時に机上に置き、
ときおり読んでいる。

この歳時記は、日毎に『からだの365日』、『お天気歳時記』、『暮らしのカレンダー』、
『自然の雑記帳』、『駅弁の旅』、『健康一日一諺』、『雑学の玉手箱』が掲載され、
健康の歳時記にふさわしい編集となっている。

例えば、本日の3月9日に於いては、
『からだの365日』は、免疫とアレルギーは同じ原理、
『お天気歳時記』は、フェーン現象、
『暮らしのカレンダー』は、デパートに初めてエスカレータが登場したのは、
三越本店で大正3年などと記載されたりしている。

『自然の雑記帳』は、メダカの生態の特集であり、
『駅弁の旅』は、山陽本線の三原駅のたこめしが紹介されている。

『健康一日一諺』は、心配は身の毒、と題して、
心配ごとや悩みごとがあると、気分が沈み、憂鬱になる。
これが昂じると思考力、決断力も低下し、仕事の能力もあがらない。

身体的にも不眠、頭重、肩こり、食欲不振、便秘などの症状が現れ、
典型的な鬱病を示すようになる。

ここまでくると「身の毒」などと呑気な事はいっていられない。
「心配の寿命の毒」である。

このように優しく解説されて、私は微苦笑しながら、
庭に下り立ち、煙草を喫ったりしている。

尚、『雑学の玉手箱』は、潜在意識とは、
命題に基づいて、フロイトの学説を解説されて折、
私は思わず襟を正して、精読したりしている。

たかが本の一冊であるが、されど中味の濃い心身の友でもある。



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ときには、読書も併読となり・・♪  《初出2008.2.26.》

2008-06-06 22:41:06 | 読書、小説・随筆
ここ4日、私は2冊の本を読んでいる。

一冊は佐野眞一・著の『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社)であり、
著作者は日本の高度成長の根源には、敗戦前の満州帝国にあった、
と信念に基づかれ、満州の設立、維持、管理、混迷を描いた力作である。

私は著作者に導かれて、明治時代以降の歴史を思い浮かべながら、
読んでいるので中々次章に進めないのである。

http://www.shinchosha.co.jp/writer/1657/こうした折、30分前後の時間があった時、
嵐山光三郎・著の『人妻魂』(マガジンハウス)を再読しているのである。

http://nifty.bk1.jp/product/02912560

私の敬愛する著作者が各分野で活躍された妻達の群像を、明晰に綴られて折、
私は遅ればせながら、人妻となっている
女性の機微さを学んでいるのである。

私は齢を重ねた63歳の男の子であるが、幾つになっても女性の心の移ろいが、
判ったようで判らないのが実情である。

こうした折、一刀両断で断定される著作者に導かれて、
あの時は・・こうしたお気持ちであったのだった、
と遅ればせながら、ため息を付いたり、
安堵したりしている。

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ふたつの俳句より、人生を教示させられた時 《初出2008.1.31.》

2008-06-05 14:12:43 | 読書、小説・随筆
私は俳句を詠(よ)めない拙(つたな)い身であるが、
ひとさまの詠まれた句を読み、感じるひとときが好きである。

読売新聞に於いて、月刊として【文化 こころのページ】の中で、
角川春樹氏の選評による『魂の一行詩』がある。

1月29日に掲載された俳句の中で、
『特選』として三句を角川春樹氏は選定されて折、
私はこの中の2つの句に頭(こうべ)をたれていた・・。


歳晩や 過ぎゆくものの みなやさし

          作者・鈴木涼水

《講評》
「永遠の今」を命を乗せて詠うことが「魂の一行詩」である。
この句は、正にそうだ。
中七下五の措辞(そじ)は、作者の今の感懐。



枯野より 声あり生きる とは何か

           作者・越前春生

《講評》
文芸の根本は「エロス」と「タナトス(死の本能)」を詠むこと。
魂の共振れする一行詩。


私は前の句を読み、ひとつの人生の人生を奥深く学ばさせて頂き、
そして角川春樹氏の《講評》に真の優しさを感じたりしていた。

こうした作者とであったならば、
弐合徳利を目の前に置き、言葉少なく、
互いに呑みあえる数少ない人、と私は確信できる。

残りの句を詠まれた人は、人生の動静の中、
どなたでも感じ、迷いを的確に表現され、優れた才能のあるお方、と直感している。


私はこのように感じ、そして思いながら一時間ばかり、
このふたつの俳句より、人生を学んでいる。


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この時節、午後は読書となり・・♪ 《初出2008.1.26.》

2008-06-05 13:27:11 | 読書、小説・随筆
私は年金生活の4年生の身であるが、
この寒い時節は、午前中に買物、散策などをした後、
午後の時は読書などをして夕暮れまで過ごすことが多い。

私は小説、随筆に魅せられているが、
ときおり歴史書、現代史なども読み、数多くの思索の源にもなっている。

ここ一週間は、
榊原英資・著の『日本は没落する』(朝日新聞社)の新刊本を読んだりした後、
昨日からは古本屋で偶然に興味を覚えた本を読んでいる。

中西輝政・著の『なぜ国家は衰亡するのか』(PHP新書)であり、
1998年11月に発刊されたものである。

本の帯の内側に内容の紹介がされている。


【文明の衰亡は必然なのか?
衰退から逃れる道はないのか?

本書ではローマ帝国、ビザンチン帝国、大英帝国、アメリカ、中国そして江戸時代の日本などを描き出し、
その「文明衰退の理(ことわり)」を歴史の教訓から導き出す。

史上、外敵の侵入で滅んだ国はない。
衰退はその国の「内なる原因」によってなされたと著者は論ずる。

世界史的・文明史視点から、
日本の衰退と再生を洞察する「衰退学」の集大成である。】


私は著作者の本に関して、少なくとも3冊を読んでいるが、
氏の専攻されている国際政治学、国際関係史、文明史の叡智に発想された論に、
これまで数多く教示を受けている。

まだ序章、第一章、第二章と読んだ途中であるが、
10年前に発刊されたことなど感じさせず、
まぎれなく数多くを学び、私のつたない知識のほころびをつくろっている。

このように教えられることが多く、午後の時間は読書する時間が、
特にこの寒い時節、家で読んだりしている。



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今、読んで見たい佐野眞一・著の『甘粕正彦 乱心の曠野』

2008-06-04 17:30:26 | 読書、小説・随筆
過日、読売新聞の『新潮社の最新刊』の広告として、
私はひとつの本の広告を見ていた・・。

佐野眞一・著の『甘粕正彦 乱心の曠野』であり、

炙り出される「負の近現代史」

”従来の甘粕像”をことごとく覆す、
  衝撃の大河ノンフィクション!


と明示されていた。

私は著作者の佐野眞一氏の愛読者のひとりであるが、
近いうちに駅前に出た時に、買い求める一冊であった。

先程、【YOMIURI】のサイトの文化欄を見ていたら、
偶然に著作者の今回の新刊に寄せる思いが、
少し紹介されていた。


http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20080604bk01.htm

私は著作者の数々の作品より、人の底知れる情念を学び、
怜悧までに真摯な徹底した取材、
そして行間に温かみのある著作者の主人公への思いを、
いつも感じ取りながら、読んだりしている。

現世に数多くのノンフィクション・ライターは存在しているが、
私の知る限り最も力量のある優れた作家と確信している。


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ときには、改めて『東京の昭和』を学び・・♪  《初出2008.1.3.》

2008-06-03 13:00:38 | 読書、小説・随筆
私は齢を重ねた63歳の身であり、
昨年の年の瀬の28日の夕方より、家内の母と私達は共に過ごしている。

炬燵などで、純米酒、ビール、そして煎茶を呑みながら料理などを食べ、
たわいない話をしている。

そして新年のこの三が日も御節料理を食べながら、話したりしているが、
時折、私は2階の寝室に行き、
読書をしたりしている。

昨夜からは、監修・正井泰夫の『東京の昭和』(青春出版社)と題された本を読んでいる。

そして、「地図で暮らしを読む」と副題され、
   「昭和」という激動の時代を
      「東京」はどう刻みつけてきたのか!

と明記されて折、私が過日、偶然に本屋で見つけた本の一冊であった。

少し惚けた私でも、昭和19年に生を受けた身として、
あのころは・・と想いだしながら、脳裏を活動させ、思いを甦(よみが)え、
思索しなければ、
益々老化になるのである。

知らなかった事も多く、改めて私は謙虚に昭和史の側面を学んでいる。


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愛(いと)しき人は、初夢でお逢いし・・♪ 《初出2008.1.2.》

2008-06-03 12:53:55 | 読書、小説・随筆
私は齢を重ねた63歳の身であるが、
日頃から、心に残った時は夢の中でも見ることのできるひとりである。
ときには、思いが強ければ強いほど、
映画の3本立てなどのように夢の続きを見る時もある。

大晦日のひととき、高峰秀子・著の『おいしい人間』(文春文庫)を読み始め、
昨夜の9時過ぎに布団にもぐり、続きを読んだりしたが、
途中で眠ってしまった。

深夜の12時半過ぎに目覚めて、
本を開いて、2時半過ぎに読了したのである。

この間に寝付いている時、著作者の高峰秀子が遠い縁の叔母のように、
夢の中で出て、私なりに少し困惑し、
そして嬉しげに私は逢い、言葉を交わしたりした・・。


私が二十歳の時は、東京オリンピックの開催時であったが、
映画青年の真似事をしていた時期で、
オリンピックには眼中なく、京橋の近代美術館に通っていた。

戦前の邦画名作特集が放映されていたので、
数多くの昭和の20年までの名作を観ることが出来たのである。

この中の作品の中で、山本嘉次郎・監督の『綴方教室』(1938年)、
そして『馬』(1941年)も観て、天才子役、少女と知られた高峰秀子の存在を実感させられた。

私はこの当時の1964年に於いては、
少なくとも木下恵介・監督の『二十四の瞳』(1954年)、
成瀬巳喜男・監督の『浮雲』(1955年)、
木下恵介・監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、
松山善三・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年)等は当然のように鑑賞していた。

そして封切館で松山善三・監督の『われ一粒の麦なれど』(1964年)で観たばかりの年でもあった。

私は女優の高峰秀子の存在は、天上の女神のような存在であり、
『二十四の瞳』と『浮雲』がほぼ同時代に演じたこのお方には、
ただ群を抜いた女優であった。

子役、少女、そして大人としての女優としての存在は、
私のつたない鑑賞歴に於いて、このお方以外は知らない。

その上、脚本家、ときには監督もされた松山善三には、
まぶしいようなあこがれの存在の人であり、
秘かに敬意をしていたのである。

              
高峰秀子が第一線の映画界を引退された頃は、
私は中小企業のサラリーマンに身を投じて、
家庭を持ち、気負いながら世間の空気を吸ったりしていた。

いつの日が忘れてしまったが、本屋の店頭で、
このお方の本にめぐり逢い、数冊の随筆集を購入した・・。

多分、『わたしの渡世日記』、『台所のオーケスラ』、
『にんげんのおへそ』と思われる単行本であったが、
殆ど本の読まない今は亡き家内の父は、
高峰秀子のファンのひとりとして知り、
松竹の蒲田時代のエピソードを教えて頂いたので、
この単行本を差し上げたのである。

このような形でこのお方の随筆集が発刊されるたびに購入し、
そして現代に至っている。


深夜のひとときは、おかしな夢であった。
なぜか私の近くにある程度の高級マンション20数棟があり、
プライベートの庭園が拡がっている・・。

この中の一角の300坪前後にテーブルが10数卓あり、
コックの3人を陣頭指揮をされているのが、
50歳前後の容姿をされている高峰秀子・女史であった。

どうして女史がこの庭園にと思いながら、私は近づいたのである・・。

『あぁ・・あなた・・今、招待した人達のお料理の真っ最中なの・・
うちの旦那・・あちらにいるから・・
手持ちぶたさなので、話相手になってょ・・』
と女史は私に云った。

私は庭の外れの大きな樹木の下で、
退屈そうに椅子に座っている松山善三の姿が判ったが、
私と同年輩の容姿に私は驚いた・・。

テーブルに古伊万里の徳利があり、
備前のぐい呑みのちぐはぐな取り合わせで呑まれていたが、
『あぁ・・よかったょ・・
xxちゃん、こんどのシナリオ・・構成が弱くて・・
聞いてくれる?・・』
と私に話し込むであった。

私は戸惑いながら、椅子に座った・・。


このような夢であった・・。
私は若き映画青年の真似事した時代、
東宝の撮影所で宣伝部の方と話し合っていた時、
たまたま高峰秀子がこちらに向かって来た時があった。

宣伝部の方が飛び出て、
『この青年・・大学を中退し、この世界に・・』
と話されていた・・。

『こんにちは・・でも・・もったいないわ・・大学をお辞(や)めになるなんて・・
でもねぇ・・大変ょ・・この世界は・・』
と大女優は私に云った。

私はこの大女優であった高峰秀子とは、
これが出会いであったが、これ以降、40数年お逢いしたことがなく、
多分、今後も逢えることがないと思われる。

古人から一期一会、と名言があるが、
私のこのお方とのさりげない出会いを今でも人生のひとこまとしながらも、
天上の女神のひとりとして、大切に心に留めている。








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