ウィトラのつぶやき

コンサルタントのウィトラが日頃感じたことを書いていきます

大学1回生 大阪万博

2008-09-04 06:46:05 | 昔話
私が大学1回生のときに千里ニュータウンで大阪万博が行われた。

万博会場は私の家から徒歩圏だったので延べ100回位は会場に行った。いくら好きでも、普通はそんなにいかないが、私は会場内でアルバイトをしたのだった。ブルガリア間で「クワス」という飲み物を売っていた。いわゆるウェイターである。毎日蝶ネクタイに白いワイシャツで仕事をしていた。味はコーラのような感じの炭酸炭酸飲料である。なんとなく健康に良さそうな味だが薬臭い感じであまり売れなかった。最近はケフィアとか健康志向で珍しいものが売れ始めているので今ならもう少し売れるかもしれない。

おかげで、万博会場はほとんどくまなく見て回った。気に入ったのはインド館だった。展示物よりも、コンパニオンのインド人が美人でエキゾチックな感じが気に入ったのである。松下館などはマルチスクリーンの大画面映像で、見た時の印象は今のデズニーランドとそれほど変わらなかったように思う。

最近大学で1年生に話をするときにこの万博の話をする。当時の夢の技術として挙げられていたものに携帯電話がある。ブースのようなところで使うものだったが夢の電話と言われていた。他には気象コントロールなどが夢の技術として紹介されていた。インターネットやウェブはコンセプトすらなかった。

今の大学生にとってインターネットも携帯電話もない社会は考えられないだろう。電子メールすらなく、通信手段といえば電話かFAX、郵便だった。パソコンも影も形もなく、コンピュータと言えば計算機センターの大型コンピュータだった。当時からもちろん車も新幹線もあった。アポロが月に行って取ってきた月の石も展示されていた。

こう考えると、この35年の情報通信の分野の進歩がいかに目覚ましいかがわかる。他の分野と比べて群を抜いているし、生活への密着度も大変なものである。しかしながら、この分野での日本企業の立場はあまり良くない。世界の中での存在感もあまりないし、利益も低い。80年代くらいまでは調子が良かったのだがその後徐々に落ち目になってきている。最近では学生の人気も低く、電気電子系はレベルの落ち込みが激しいと聞く。

技術自体が飽和してきたのだろうか。そうは思えない。半導体技術だって、インターネット技術だってまだまだ進むだろう。10年後には情報通信技術の社会に及びす影響は今よりさらに大きくなっているのは間違いないだろう。考えてみると、情報通信技術が本当に生活に密着し始めたのは1990年くらいからである。その頃から日本企業は世界の中で存在感をなくしていった。

今、自動車産業が儲かっているからと言って、自動車産業に頼るような国になってよいものだろうか。自動車は進歩するといってもたかが知れている。それでも国は道路を作るのには多額の投資をするが、情報通信産業には投資しない。道路を造るより、携帯の基地局を補助金で大幅に増やす方がはるかに国力をあげるのに効果があるのではないかと私は思っている。世界的にも地域格差を減らすには携帯電話の普及が一番であるといわれている。

日本は携帯電話の普及率が高いとか、ブロードバンドの普及率が高いとか言って宣伝しているが、それは都会での話であって、まだまだ田舎に行くと不便なことが多い。全国の温泉でブロードバンドが使えるところは非常に少なく、世界の先進国の保養地としては相当下位になると思う。また秘湯の温泉などでは携帯電話も通じないところが少なくない。人口の少ないところでは企業は投資しにくい。公的投資をもっと考えるべきだと思う。

今回は、思い出話のつもりで書き始めたが政府への注文のようになってしまった。こういう話は今度まとめて「ウィトラの眼」の方に書こうと思う