備忘録として

タイトルのまま

科学技術と原発

2011-04-17 15:15:25 | 話の種

 昨日は、一日テレビを見ていた。まずは、司馬遼太郎の菜の花忌の討論会で、養老孟司、姜尚中、安藤忠雄、磯田道史(茨城大学准教授で「武士の家計簿」の作者)が「二十一世紀に生きる君たちへ」と「洪庵のたいまつ」をテーマに語り合った。司馬遼太郎が小学校5,6年生の国語教科書向けに書いた文章で、すぐ娘の蔵書の中から本を引っ張り出してきて読んだ。司馬遼太郎は、”二十一世紀を生きる人間は、自分に厳しく、相手にはやさしく。すなおでかしこい自己を確立し、たのもしい人格を持たねばならない。しかし、自己中心ではなく自然に対して謙虚でなければならない。そうすれば、二十一世紀の君たちの上に真夏の太陽が輝く。”ということばを残した。特に地震や津波という自然の前に人間が無力だということを思い知らされた今、司馬が残した次の言葉が心に響く。

”昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。----人間は、自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。”

放射能は、水も空気も土も汚染し、何十年も人も動植物も住めない不毛の地にしてしまう。

”科学と技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。しっかりとした自己が、科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。”

と呼びかける。なんと予言的な言葉だろうか。人間はまだ科学と技術を支配できずにいる。

「洪庵のたいまつ」には、緒方洪庵が適塾の弟子たちに示した訓戒が紹介されている。

”医者がこの世で生活しているのは、人のためであって自分のためではない。決して有名になろうと思うな。また利益を追おうとするな。ただただ自分を捨てよ。そして人を救うことだけを考えよ。”

洪庵は日本の近代化に貢献した大村益次郎や福沢諭吉ら多くの弟子を育て、後世日本の近代を照らすたいまつとなった。

 次は、サンデル教授の特別講義「震災後をどう生きるか」である。日本から東大生とタレント数人、アメリカからハーバード大学生、中国は復旦大学生それぞれ10人ほどによる3元中継だった。震災での日本人の秩序の良さについての議論に始まり、震災時の個人主義や共同体主義に広がっていった。そして、教授から”原発事故に携わる人はどのように選抜されるべきか。”という問いが出された。選抜はボランティアを前提として高い報酬を出すべきだという意見があった。しかし、報酬には見向きもしない、洪庵が要求したような高い使命感を持った人が何人もいることを忘れてはいけないと思う。だいたい、国境なき医師団やNPOに参加する人たちの中に報酬で動く人はいない。また、”不便さをがまんしてでも原発を廃止すべき。という意見をどう思うか。”では、日本の参加者(東大生中心)の大半は廃止派、中国(復旦大学)は推進派が多数、アメリカ(ハーバード大学)は、スリーマイル事故があったにも関わらず100%推進派だった。ヨーロッパでは、イギリスやドイツが原発廃止国であり、フランスは逆に全電力の80%を原発に依存する推進国である。討論後半で、ルソーの、”人は遠隔地で起こった災害をその場の人と同じようにとらえられない。人間の共感と感心は限定的でグローバルにはならない。”という意見についてどう思うかという問いに、ルソーに同意する意見が多い中で、ハーバードの女子学生が、自分は日本の震災に衝撃を受け日本人の取った行動に深く共感できた。人間はグローバル化できると答えた。すばらしい意見だった。

 復興ビジョンを示すための復興構想会議の特別顧問になった梅原猛が、「原発問題を考えずに、この復興会議は意味がない。」と吼えていた。梅原猛は、第1回会議で持論の文明論と原発不要論を展開した。そもそも梅原猛の文明論は、”地球を食いつぶす人間の文明と自然破壊は行き着くところまで来ており、人間の文明を発生の原点に立ち戻って考える必要がある。”というものであり、梅原を会議のメンバーに選んだ時点で、管首相の”原発議論抜き”などありえない話で、本気で原発抜きを条件としたとしたら、梅原猛のことをまったく知らずに選んだとしか思えない。梅原猛の吼える会議の行方には注目しているし期待もしている。

 福島原発事故では、放射能が一度暴走を始めると手に負えなくなるモンスターであることを、改めて思い知らされた。2007年中越沖地震では柏崎刈羽原発直近の活断層を見逃し、建屋1階での観測最大加速度2058galは想定加速度834galを大きく超えたことがわかっている(Wiki)。2008年の岩手宮城内陸地震では活断層とされていなかった断層が5mもずれ観測最大加速度は4000galを超えた。炉心直下で地盤が5mずれたら、どんな耐震設計をしていてももたない。活断層をすべて割り出す技術、5mのずれと4000galを考慮した設計技術はまだないのである。”科学と技術を支配する。”、言い換えれば、技術の過信は慎むべきだという司馬遼太郎の言葉をもう一度噛みしめる時ではないだろうか。すべてのリスクの想定や絶対安全などは夢想にすぎない。リスクの対処法には保有、低減、回避、移転の4種類があって、リスクが大きい場合にはリスクを回避することが最善であると教科書に書いてある。すなわち、”リスクを負わない。原発を造らない。”が今の科学技術では最善の方法なのである。放射能を制御できる新たな科学と技術が確立できるまで新たな原発建設は凍結すべきと思う。新規原発を凍結してもエネルギーの節約と代替エネルギーでまだ対処できるはずである。


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