備忘録として

タイトルのまま

Kazuo Ishiguro: Nobel Lecture

2017-12-09 21:02:17 | 話の種

ノーベル文学賞の授賞式でのカズオ・イシグロの講演録を読んだ。

 以前、疑問に思った、5歳でイギリスに両親と行った少年がまったく日本語が話せなくなることがあるのだろうか、イギリスの最も伝統的な執事の小説を書く力をどのように培ったのか、日本人としてのアイデンティティーをまだ持っているのだろうか、が知りたかった。

 イギリスに渡り、現地の教育を受けながら家では日本へ帰ることを前提とした生活を送ったこと、日本への思いとフェードアウトする記憶と最初の小説、小説を書くに際して受けたインスピレーションなど、講演は時系列で進む。中でも以下の話に引き付けられた。

Tom Waits『Ruby's Arm』

33歳のとき、ちょうど3番目の小説『日の名残り』を書き終えたころ、Tom Waitsの『Ruby's Arms』を聴いていた。早朝、男が女の部屋を出ていく状況を淡々と歌うTom Waitsのしゃがれた歌声から、男の底知れない悲しみが伝わってきた。言葉での説明はいらない。歌声は計り知れない複雑な感情を表現できる(A human voice in song is capable of expressing an unfathomably complex blend of feelings.)活字に頼らず小説にそのような複雑な感情を表現したいと思っている。

アウシュビッツを訪れたときのこと

1999年、ガス室の廃墟の前で、施設管理者は、廃墟が自然に朽ちていくに任せるか、ドームで保護し後世に残すべきか、大きな葛藤があると説明した。(What should we choose to remember? When is it better to forget and move on?) 第2次世界大戦は父親たちの世代の出来事だが、作品を世に出す戦争を知らない時代の作家としてどうすべきだろうかと自問する。その経験は、『日の名残り』の中で主人がナチスの協力者でありながら執事として何もしなかったことを恥じる箇所に表現されている。大きな歴史の中に生きる個人が、人生を振り返り、暗く恥ずべき記憶と妥協したかを苦悶させる。忘れたい(forgetting)と記憶したい(remembering)のはざまで苦悶する個人の問題を、今度は、社会や国家の問題として書きたいと思っている。

東日本大震災で身内を失くした人の中に、災害遺構を残したいと考える人と壊して早く忘れたい人がいることを思い出す。

Howard Hawks『Twenties Century』

この映画を見て、自分の小説で描く人間の関係性について考える。小説の中の登場人物たちを取り出し、彼らの関係がステレオタイプになっていないか、他の小説の登場人物たちと同じでないか、ダイナミックで感情が共鳴し発展性があるか、説得力のある驚きがあるか、三次元的なキャラクターになっているかを調べ修正を加えたが、自分の作品はそれに失敗している。しかし、映画を見続けるうちに、いい物語は、革新的だろうが伝統的であろうが、結局、重要なのは読者の心を動かし、楽しませ、怒らせ、驚かせるような人間関係を付与できればいいのだということに思い至った。(had to contain relationships that are important to us; that move us, amuse us, anger us, surprise us. )

作家としてのターニングポイントは、『Never Let Me Go』で描いたように、まず中心的な人間関係からスタートし、他の関係を扇のように広げていくというものだった。

分断の時代における文学の役割

 物語とは、結局のところ一人の人間が別の人間に語りかける一対一のものだ。最近の世界は自分を憂鬱にさせる。テロや富と機会の極端な不平等は、国家間に、あるいは国家内にも存在する。極右勢力やナショナリズム、人種差別が幅をきかせる。一方、遺伝子科学、AI、ロボットなど科学技術の発展は有益であると同時に、激しい実力主義と失業の増加をもたらしている。このような変わりゆく時代に対し、疲れた作家である自分は作品を通して全力で議論し戦いを挑むだろう。文学は重要で不確実な世界の将来に重要な役割を果たすだろう。よい作品とよい読者は分断の壁を壊してくれる。Good writing and good reading will break down barriers.

 さて、以前抱いた疑問への答えとして、日本人としてのアイデンティーは、自分のルーツと初期の作品と記憶の話から明瞭だった。日本語能力については、小さいころ日本の祖父から送られた漫画や雑誌を家で読みふけったこと、両親はかなりの年月いつか日本に帰ると考えていたことから、相当の年齢まで日本語を保持したはずであり、ある程度の日本語はできると想像できる。伝統的な執事についての知識については、家の外でイギリス人として育ったとしても、それでイギリスの伝統に精通するとは考えられないので、『日の名残り』を執筆するに際し相当勉強したのだと思う。


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