備忘録として

タイトルのまま

大晦日

2005-12-31 12:07:33 | 徳島
シンガポールで迎える大晦日は今年で何回目だろうか。15回は超えているはずだ。ここでの大晦日はNHKの海外放送で紅白と行く年来る年が見られるようになってから随分と大晦日らしくなったが、以前はなんとも侘しいものだった。華人国家の通例として中国正月(旧正月)を盛大に祝うため、1月1日は祝日のひとつに過ぎず、大晦日も三が日もない。だから正月気分を出すために、大掃除、お雑煮、おせち料理、年越しそば、かるたなどで一生懸命正月をする。
記憶に残っている最も古い大晦日の記憶は、やはり紅白で、柳家金五郎が幕間に出てきて頭巾を取り、ピカピカの禿げ頭を見せて初日の出というギャグを飛ばすものだ。今では親父ギャグとか言って一笑にも付されない程度のものだが一家全員大爆笑したのどかな時代だった。小学校2、3年生(昭和37,38年)のことと思うのだが定かでない。どこの家も同じだったと思うが紅白のあとは静寂のなかに除夜の鐘を聞く”行く年来る年”を見た。子供心には、華やかな紅白の後の行く年来る年は厳かに新年を祝うとか決意を新たにするという感じではなく、祭りの後の虚脱感をいや増すもので嫌いだった。
行く年来る年の後は四国放送で古い映画が2本ほど流され、ジョンフォードの”駅馬車”を見たのもこの時だ。”駅馬車”は最近DVDを買って久しぶりに見たのだが、終盤アパッチが駅馬車を追いかける場面などは小学生のときの興奮のままの迫力で、昨今のCGが胡散臭く感じられる。先日見たリメイク版”キングコング”のオリジナルを見たのもその頃の正月映画だったと思う。
中学生になると、紅白の後は友達の家に集まりゲームをして遊んだり、眉山へ登り初日の出を見るようになり、家族で年末年始を過ごすことが少なくなっていった。

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