備忘録として

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伝馬町牢獄

2015-05-30 13:45:57 | 江戸

5月中旬、仕事で小伝馬町へ行く用事があり、松陰が最期をむかえた伝馬町の牢屋跡地へ行った。牢屋跡は地下鉄小伝馬町駅からほど近い十思公園という公園になっていて、写真の案内板が立ち、公園内には吉田松陰の辞世を刻んだ句碑が立っていた。

 案内板に伝馬町牢の様子が記されている。牢屋敷の敷地は2618坪とあるので92mx92m程度の広さである。牢屋は囚人の身分に応じて、旗本の揚座敷、御家人の揚屋、浪人や町人の大牢、百姓牢、女牢に別けられていた。伝馬町牢獄は、江戸を題材にした時代劇や時代小説には必ず出てくる。藤沢周平の『獄医立花登手控え』は伝馬町牢獄が舞台だった。そこでは、積み上げた畳に座る牢名主というボスが出てくるが、牢内では牢役人の権限の及ばない囚人たちによる自治が行われ、身分制度が敷かれていたという。

安政の大獄では、吉田松陰に加え、高野長英、橋本佐内、頼三樹三郎らが収容された。大獄以前、平賀源内は殺傷事件を起こし伝馬町牢に収容され、破傷風にかかり牢内で死んだという。

2012年に牢屋敷遺構が発掘された(下の写真・2014年6月24日朝日新聞デジタル版より)。上水道の木で組んだ樋が縦横に走り、井戸があり、石垣の前には砂利が敷き詰められていた。また、発掘では古伊万里も出現し牢を管理していた石出帯刀の豪華な暮らしぶりがわかるという。


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