備忘録として

タイトルのまま

三無主義

2013-10-12 13:08:36 | 徳島

1950年代半ばに生まれ、1970年代前半に高校生だった我々の世代は、しらけ世代と呼ばれた。少し上の団塊の世代や全共闘世代とは異なり、政治に対する関心が薄れ個人主義になり、無気力、無関心、無責任の三無主義世代とも呼ばれた。高校生だった1970年から1973年は、大阪万博が開かれ経済成長まっさかり、沖縄が返還されもう戦後ではないと言われる時代だった。自衛隊員の決起を促す三島由紀夫の演説が世間から浮いて見える時代だった。ヒッピーと呼ばれる若者が世界中にあふれ、男は誰もが長髪でベルボトムのジーパンをはいてムサイ恰好をしていた。

ふとしたことで見つけた森田健作の青春ドラマ「おれは男だ」の吉川操役の早瀬久美のブログに写る姿があまりに若々しいことに驚き、当時大人気の青春ドラマと、それをリアルタイムで観ていた高校生の自分と時代を思い出した。

写真は早瀬久美ブログより転載

しらけ世代と言われたが、当事者たちは、個人主義ではあっても無気力、無関心、無責任とは無縁だったように思う。級友たちはそれぞれがそれぞれの方法で高校生活を謳歌していた。ビートルズの解散はオノ・ヨーコの所為だとまじに思っていたし、ホームルームの時間には差別や愛国心やクラスのあり方をまじめに議論した。文化祭の準備に夜遅くまで熱中した。級友と「おれは男だ」の吉川操と丹下竜子(小川ひろみ)のどちらが好みかを熱く語った。早瀬久美には悪いけど丹下竜子派が圧倒的に多かった。クラスの女子の横顔がオリビア・ハッセイに似ているという級友に、それは恋愛感情が入っているからだと冷やかしたこともあった。庄司薫の「かおるくん」シリーズや柴田翔の「されど我らが日々」の感想を披露しあったり、「ある愛の詩・ラブストーリー」を回し読みした。皆、受験勉強の重圧にあがいてはいたが、若者らしく体力と気力にあふれていた。それでいて精神的には未成熟で繊細で、泣いたり笑ったり、些細なことで激怒したり、劣等感にさいなまれたりした。何かに反発し試験の答案を白紙で出した級友もいた。傷つきやすく登校拒否になった仲間も一人だけじゃなかった。早瀬久美がブログで語っているとおりだったのである。

本当の青春時代って十代の頃?明るくって将来の夢に向かってキラキラしてるってイメージだよね。

でもさ~
実際の青春時代は傷つきやすく、繊細で、それでいて無神経だった。

私もその頃は、こんな写真で表紙飾って・・そりゃ人様には楽しそうに見えるかもしれないけど・・
やっぱり胸に突き刺す事多かったよ。

「おれは男だ」の断片をYoutubeで振り返ると、高校生の自分は丹下竜子派だったけど、今の自分なら吉川操派かもしれない。

おまけの話として、早瀬久美、本名・物集久美子(もづめくみこ)の曽祖父は国学者の物集高見(もづめたかみ)、大伯父は国文学者の物集高量(もづめたかかず)で、他にも物集家は多くの学者や文人を輩出している。物集高量は文学者でありながら博打や女遊びで身を持ち崩し留置所に入ったこともある。106歳まで生きたが100歳のとき「百歳は人生の折り返し点」という本を出している。wikiによると死去する前日、若い看護婦のスカートに手を入れて婦長に叱責されたという逸話が残っている。死ぬまで青春のまま奔放に人生を生きた人だったようだ。60歳になろうかという早瀬久美のブログは、自分の生年を多分わざと書いてないように、大伯父同様に好奇心にあふれ、今、青春を生きているぞっていう様子が満載なのである。そう言う自分はあと1年あまりで還暦を迎える。還暦を文字通り訳すと、「こよみが戻る」、すなわち人生の再出発点である。早瀬久美には負けられない。


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