備忘録として

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淮南子

2012-04-22 22:51:47 | 中国

漢の武帝の時代、淮南王・劉安は高祖・劉邦の孫でありながら、いや孫であるからこそ武帝の政策に従わず謀反の罪を受け自害し、一族は皆処刑された。「淮南子(えなんじ)」21編は劉安が集めた食客たちに作らせた書で、淮南王の書とも呼ばれる。金谷治「淮南子の思想」は劉安の生涯と時代背景を概説し、淮南子の思想を解説したものである。

多様と統一

老荘思想を中心に諸子百家を網羅し、”思想的に統一してとらえることの困難な雑然たる書”なのだが、要略編で、”作者は巧妙極まる理由づけを行い”、雑多な淮南子20編を統一へ導くのである。中国哲学は道徳や政治の問題が中心で、形而上学の問題だけをとりあげたものは少なく、形而下の現実問題に絶えず関心を持ち続けてきた。荘子は、”道はいずくに往くとして存せざらん”と述べ、道が現実(事)の中のどこにでも存在すると言う。淮南子は、道(=統一=哲学=形而上)と事(=多様=現実=形而下)を合わせた思想である。

道家の道

多様な現象を生み出す唯一の根源的存在としての老子の道と、現象に即して多様な現象をつらぬく理法的あるいは原理的な荘子の道がある。淮南子はこの老荘二つの道を統一する。

無為自然の政治

淮南子は無為自然の立場を中心としながら、人間による作為も兼ね合わせて重視する。自然と作為の合一、または天人の合一を特色とする。政治的には、作為を捨て私心を捨てて法度に従う。私的な行動や国家的な事業をはぶいて経費を節約する。民衆のためになる政治をめざす。老荘の因循無為の立場を中心としながら、儒家や法家の思想を折衷して具体的な政治論を展開する。様々な人材を採用し政治に役立てる積力衆智の政治思想である。それは、万人万物にとりえがあるとする斉物思想を根拠に民衆の声・世論に耳を傾け、道に従い大勢に順おうとする因循主義である。これは儒家を中心に中央主権国家を進める武帝の政治とは大きく異なる民主的な政治を目指すものである。

真人と聖人

淮南子の理想とする最高人格である真人と聖人のうち真人は道を体得した仙人のような理想人であるが、聖人は道を守りながら現実の人事を忘れない。

松岡正剛は「千夜千冊」で、金谷治の「淮南子の思想」を取り上げている。http://1000ya.isis.ne.jp/1440.html  松岡の解説は相変わらず難解で、金谷の本を読んでいた方がよっぽど淮南子の思想が理解できるのだから可笑しい。松岡は、淮南が位置するかつての楚にいた屈原の生涯や楚辞にみられる楚の風土が淮南子の根底にあるという。この楚辞と淮南子がつながるという彼の結論を是認するには、彼がその根拠をきちんと説明してないので、楚辞を読むしか確かめようがない。


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