備忘録として

タイトルのまま

黒田官兵衛

2014-12-23 03:26:27 | 中世

先日行った愛知県の出張先の受付の女性は蜂須賀さんだった。徳島出身の自分にとって藩主筋のお方であらせられるので恭しく接した。黒田長政に離縁された糸(蜂須賀小六の娘)は、その後の余生を徳島で過ごした。長政は徳川方につくことを鮮明にするため関ヶ原の戦いの直前に糸を離縁し、家康の養女を正室に迎えた。長政は目的達成のためには妻をさえ捨てる冷徹な男である。そのため、蜂須賀家と黒田家は江戸中期まで仲が悪かったらしい。今度、帰省したときには弔いに糸の墓所である臨江寺(眉山の麓)に行ってみよう。

21日の日曜日、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」は、藤の花の下に佇む黒田如水の面影に光(てる)が縁側から微笑みかける場面で終わった。官兵衛が荒木村重によって幽閉された土牢の中から眺めて生きる望みをつないだのが藤の花で、黒田家の家紋である。NHK大河ドラマを終わりまで観たのは2010年の「龍馬伝」以来だ。司馬遼太郎の『播磨灘物語』や同時代の時代小説からの知識をもとにドラマで語られるエピソードの品定めに飽きなかったことと、思い入れのある戦国武将の一人だったからだ。「平清盛」や「八重の桜」を途中で断念したのは、もともと人物に魅力を感じてなかったからで、ドラマの出来不出来とはあまり関係ないように思う。

劉邦の軍師だった張良と同じように、軍師官兵衛は智謀と軍略をもって主人を助け戦国の世を生き抜いた。ある時期、官兵衛と同じ立場、同じ条件にあった小寺政職や荒木村重や安国寺恵瓊や小西行長や石田三成らは皆滅んでしまった。その時々のターニングポイントでの選択が運命を分けたということである。荒木村重謀反のときは、主人の小寺は村重につくが、官兵衛は家老でありながら主人に反する選択をし恩顧や情に流されなかった。それは勝ち馬に乗るといった単純で消極的な選択ではなく、自分の力で選択を正解にしようという極めて積極的・能動的なものだった。官兵衛は秀吉を選び、戦略家として秀吉を動かし、そして勝たせた。最終回で如水が一度も戦いに負けたことがないと言ったとおり、負け戦はしなかった。また、キリスト教信者仲間の高山右近や茶道仲間の千利休が失脚する中で保身できたのも、小さな領地に甘んじ秀吉の顔色をうかがい的確に身を処したからだと思う。ここも張良に通じる。

息子の長政も官兵衛と同じで、石田三成や小西行長が豊臣恩顧を貫き反徳川に動いたのに対し、長政はいち早く豊臣に見切りをつけ徳川方についた。石田三成と仲が悪かったからだとされているが、長政の場合は加藤清正や福島正則とは異なり、冷静に天下の情勢を見定め、積極的に徳川を選択したと思う。そうでなければ関ヶ原の直前に正室を取り替えることまではしなかったはずだ。さらに長政は、関ヶ原の戦いを勝利に導くために小早川と吉川を調略し戦闘でも際立った活躍をし、自分で自分の運命を切り開いた。息子長政が徳川にすり寄ったのとは異なり、官兵衛は関ヶ原の動乱に乗じて九州で版図を広げ、関ヶ原で疲弊した相手と天下を争うつもりだったという。しかし、関ヶ原の戦いはわずか1日で終了し、あっという間に天下の大勢は徳川に決したため、官兵衛は征服した九州の地を徳川に返上する。この天下を狙う場面は、官兵衛が何度も戦乱の世を終わらせる大義を言っていたのと矛盾する。官兵衛は結局、大義に生きたのではなく野心を秘めた合理主義を貫いたのだと思う。その点、伊達政宗も官兵衛と似ていて、隙あらば天下を狙っていたと思う。それこそ乱世の英雄というものである。そして、彼らを抑え込んだ家康が一枚上だったともいえる。Hillary Clintonは6年前、”Bloom where you are planted”と言ったが、それは現状に甘んじるという意味ではなく、時期が来れば花を咲かせるために大統領選に打って出るということだったのである。ただし、ひとたび立てば必ず勝つ、負け戦はしない、でなければならない。

出家し仏門に入り如水を号したはずの官兵衛の葬儀はキリスト教式だったという。官兵衛は秀吉が禁教令を出したときに棄教したので、秀吉の死後、キリスト教徒に復帰したということである。禁教令のときにキリスト教信仰を貫いた高山右近とは対照的で、官兵衛の合理主義がうかがえる。この合理主義は、官兵衛の祖父が利で動く商人あがりだったことに由来しているのかもしれない。

信州の真田家は、関ヶ原以前に、兄・信幸が徳川方、父・正幸と弟・幸村(信繁)が豊臣方につき、一族滅亡のリスクを分散する賢い選択をしたように言われている。しかし、昌幸の反徳川の選択は、元の主人で恩顧ある信玄のかつての敵だった家康を嫌ったという情に流されたものとも言われ、客観的な情勢判断を軽視し賢い選択とは言い難い。個人的、心情的には昌幸・幸村親子のような信義に殉じた生き方に共感する。だから、石田三成に殉じた友人の大谷刑部や家臣の島左近も好きである。ただし、滅びの美学に憧れるのはドラマの中や他人事の場合だけであって、実社会においては黒田父子の合理的な生き方を選択するのではと思う。

以下、ドラマを見ていて感じた疑問である。

  • 晩年は警戒され、ほんとうに秀吉と微妙な関係になったのか
  • なぜ荒木村重は官兵衛を殺さず幽閉したのか
  • 長政と後藤又兵衛の仲違いの理由はなんだったのか
  • 官兵衛に側室はいなかったのか
  • 官兵衛のキリスト教信心の深さはどれほどだったのか
  • 光秀の謀反の理由も判然としない

 来年の大河ドラマは、吉田松陰の妹で久坂玄瑞の妻となる文(ふみ)が主人公である。松陰は好きだが、視聴しつづけられるだろうか。 


最新の画像もっと見る