備忘録として

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八雲

2008-05-19 01:20:57 | 古代
写真は今遷宮中で一般公開された出雲大社本殿の天井画”八雲の図”である。
”同図は、現在の本殿が造営された延享元年(一七四四年)に完成しており、当時の絵師・竹内随流斉甫記によって描かれた。本殿天井に、赤や青、黄、紫などの色とりどりの雲が七つ描かれている。なぜ「八雲」なのに七つの雲が描かれているのかという理由は明らかになっておらず、神魂神社(松江市)の天井の雲が九つあることから、中には、「一つの雲が神魂神社へ飛んでいったのでは」と話す人もいるという。また、よく見ると、一つだけ向きが異なっている雲もあり、そのいわれも判然としていない。” (島根日日新聞)

梅原猛の”黄泉の王-私見・高松塚”では、壁画に描かれた日月にかかる雲が死の国を表す雲であるという説の傍証として、出雲大社の八雲を引用する。
高天原を追放されたスサノオノミコトは、出雲の地に住み着き、
”八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を”
という歌を詠んだが、これを”何重かの雲にかこまれた死の国で私は恋人と二人でとじこめられている”と解釈する。であるから、スサノオの子供(または子孫)であるオオクニヌシノミコトがおかくれになった出雲大社の八雲も死後の世界を表す。八雲は人魂(ひとだま)を思わせるような雲である。本居宣長によると、おかくれになるとは海に入って死に給うこと、すなわち自殺を賜ることである。
雲が死のイメージであることは、”雲隠れ”が天皇の死を意味することからもわかる。聖徳太子鎮魂の法隆寺に雲形斗栱が使われ、山背大兄王一族が雲とともに昇天するイメージでもある。万葉集でも雲は死や魂と関連しており、雲を含む挽歌が多数ある。

天(雲の上)のシンボルがアマテラスを祀る伊勢神宮であり、死の世界、黄泉の国(雲の下)のシンボルがオオクニヌシの鎮魂のための出雲大社である。鎮魂であるがゆえに出雲大社は伊勢神宮よりも壮大である。八雲であるはずの雲が七つしかないことは、黄泉である高松塚壁画に当然なくてはならない北斗七星(天井の星座の中心を成すはずの)や朱雀(玄武、青龍、白虎はある)がないことと同様の意味を持っているのではないかという。

現在では、雲に死のイメージはなく、自由、無常、爽快などを感じる。

ところで、古墳時代の日本人は、もし死体が古墳に手厚く葬られ骨が保存されれば、いつか霊魂は戻ってきて、この世ではなくても別の世界で生きるのではないかという信仰があったという。そのころ行われていた殯(もがり)は、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認することである(Wiki)。天武天皇は2年2か月、持統天皇は1年という長い殯の期間であったが、そのころ出された薄葬令や火葬の広まりで殯は短くなっていったという。現在の通夜は殯の名残であるらしい。

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