備忘録として

タイトルのまま

阿波十郎兵衛屋敷

2008-03-05 22:34:02 | 徳島
35年ぶりに十郎兵衛屋敷へ行った。上の写真の古い建物と下の写真の”お鶴とお弓”の銅像は昔のままのような気がするのだが定かではない。鶴亀の庭も昔のままなのだろうが記憶にない。

今の十郎兵衛屋敷は人形浄瑠璃の展示館のようになっているが、昔は江戸時代の藍商人の屋敷の調度品の展示が主体だったような気がする。35年前、なぜ十郎兵衛屋敷だったのか、何を見ようと思ったのか、何を見たのかは何一つ憶えてなくて、ただ自転車に乗って吉野川大橋を渡ったことと屋敷内には他に入場者がおらずやけに静かだったことだけを鮮明に憶えている。

屋敷では人形浄瑠璃の実演があった。演題はもちろん”傾城阿波の鳴門”の巡礼歌の段である。
「あ~~い~~、ととさまの名は、じゅうろうべぇともうしますぅ~」
「あ~~い~~、かかさまの名は、おゆみともうしますぅ~」
おつるのこの有名なセリフは物心ついたときから耳にしていた。


”傾城阿波の鳴門”
作者: 近松半二ら 18世紀後半
あらすじ: 阿波の十郎兵衛・お弓の夫婦は主君の盗まれた刀を取り戻すため娘お鶴を阿波に残し大阪で盗賊に身をやつし住んでいる。父母会いたさにお鶴は巡礼しながら大阪に出てきて、たまたまお弓の家に立ち寄る。お弓は我が子と分かるが、娘が盗賊の子となることを憂い母親と名乗らずに涙を飲んでお鶴と別れる。しかし、あきらめ切れずに、思い直して娘を連れ戻そうと家を飛び出す。
十郎兵衛は追い剥ぎに狙われていた巡礼の娘を助けて、家に連れて帰ってくる。十郎兵衛は小判をたくさん持っていると言う巡礼の子に金を貸してくれと頼むが、娘は恐がって大声を出す。慌てた十郎兵衛は思わず娘の口を押さえ誤って窒息死させてしまう。家にもどってきたお弓がお鶴が巡礼姿で尋ねてきた、と告げる。その時、十郎兵衛は自分で我が子を殺してしまったことに気付くのだった。



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