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一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

首相「満身創痍、刀折れ、矢尽きるまでやる」、これって戦前の陸軍と同じ

2011-07-06 19:59:54 | 日記
首相「満身創痍、刀折れ、矢尽きるまでやる」。竹やりでも何でももってこい、最後まで戦う、といっていた。戦前の陸軍の考え方と全く同じではないか。菅総理は戦前の教育を全く受けていないが、国民もろとも玉砕する気なのか。国民を道連れにするのは止めてほしい。自分一人と、側近だけ位で済ませて欲しい。
ここまで宣言するということは、まさに玉砕である。すべてを失っても、国土がなくなっても、国民が全滅しても、自分ひとりでも最後まで戦う気なのだ。恐ろしいことを云ったものだ。総理大臣は国民の支持の元に動かなければならない。全権を委任されているわけではない。何か勘違いをしているみたいだ。
今遣っていることが国民の真意なのか、と云うこともある。2年前の選挙で、民主党は圧倒的勝利で勝ち取った政権だが、それは何を遣っても許される、と云うことではない。民主主義を履き違えては困る。日本を混乱に陥れても困る。世界経済を混乱させても困る。何よりも国民の考え方から外れては困るのである。
今の閣僚は何も手が出ない、手が出せない、というが、それはおかしい。本当に間違っている方向に向っているとしたら、閣僚は連帯責任なのである。正しい方向に向っているのなら、すべての閣僚がそのように発言すべきである。反対なら閣僚を辞任すべきである。大臣にしがみ付いているのは総理大臣ではなく閣僚ではないのか。
何回も云うが、国民を道連れに玉砕は止めて欲しい。矢が尽きたらどうする気なのか。ハイさよなら、ではすまない。無責任総理の烙印は間違いない。明治時代から始まった内閣総理大臣で、こんな烙印を押された総理大臣はいなかったと思う。マスコミではないので、発信力は持ち合わせていない。ブログで書いて訴えるしかない。戦前の陸軍省の参謀たちは、国民を犠牲にしてでも降伏をすることを拒んだ。まさか菅総理はそのようなことはしないであろう。犠牲者は自分と側近だけにして欲しい。
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自民党もだらしなかったが、民主党もだらしない

2011-07-06 11:53:08 | 日記
どちらの政党もこんなものなのか、といいたい。2大政党とは名ばかり。看板倒れと云うことになる。いや、看板だけではない、中身も駄目なのだ。政党政治には程遠い日本の政治は、どうしたらいいのだろうか。こんなになったのは誰のせいなのか。それは国民がすべて悪い。
何時まで経っても村社会がなくならない。政治の世界も村社会そのもの。同じ政党の中でも村八分のようなことを平気で遣っている。レベルが低くなった理由の一つとして2世議員、3世議員、4世議員などが上げられる。これ等の政治家は、自分で何も勉強をしないでエスカレータに乗るように政治家になってしまった。政治家とは何か、と云う基本的なことを全く知らないで政治家に祭り上げられたのである。それを選挙で選んだのが国民なのである。だから今回の復興大臣のような人間が生まれてしまったのである。
2世議員、3世議員、4世議員がすべて悪いというのではない。要は勉強をしていない議員が多すぎる。苦労を全く知らない、国民感覚で物を見ない、金銭感覚がない、などないないづくしである。国をリードしていくには、国のことを知らなければならないはず。選挙区の代表であっても国会議員は国の代表である。国を引っ張っていく力がなければ国会議員ではない。自ら身を投じて国を救う気持ちがなければ国会議員とはいえない。国民目線に立てない国会議員は失格である。
絆創膏を張った国会議員を出した自民党は、どのような反省をしてきたのか。「お客様」と自分を高い所に引き上げた民主党は、国民目線で物を見ることを忘れてしまったのか。この2つの政党に共通しているところは、国民を下に見ているという考え方が根底にあるようだ。野党が長かった民主党は、野党で何を学んできたのか。与党になったとたん、過去の苦労を全く忘れてしまったみたいだ。自民党は野党に下って本当の野党を学んだのだろうか。
このまま行くと、次の選挙は2大政党に殆んど期待できなくなる。第3の政党、第4の政党に期待しなければならなくなる。そのくらい民主党も自民党も国民を裏切ったということだ。選挙で棄権が多くなる原因は2大政党にあるのではないか。
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吠えるだけ吠えて終りか

2011-07-06 04:51:38 | 日記
親の七光りで代議士の座を取った人間の成れの果て、と云う感じがする。祖父は解放同盟で財を成し、父はそれを継ぎ、その子供もまたそれを継いだ。今の代議士は一体何をしてきた人なのか、よく解らない。民主党も自民党も2代目、3代目の代議士にろくな人間がいない。
人選を誤った、人材がいない、これも与党、野党、共通している。500人もの衆議院議員がいても皆ただのジャガイモと同じと云うことか。一人くらい男爵芋に相当する人材はいないのか。復興をする、といくら口で言っても行動が伴わなければ前には進まない。被災者や被災地を見殺しにするつもりなのか。暴動が起きないのが不思議なくらいだ。
国が何も遣らないのなら、後は民間しかない。今、民間は、企業、個人を問わず表面には出ない形で多くの被災者の救済を行っている。国がだらしがないと民間しか頼るところがない。国会議員全員歳費を返上して被災者に当てたらどうか。誰も、何処の党からもこんな提案が出ないところを見ると、歳費を丸々懐に入れて自分のためだけに使うつもりなのだ。坊主丸儲け、と云うのは昔の格言、今では国会議員歳費丸儲け、と云うことになる。
ここまでくると、日本の国会はまさに当てにならない、と云うことがよく解った。多額の歳費を懐に入れることしか考えない国会議員たち、どうしたらこの考え方を変えさせることが出来るのか。次の選挙で落選させることである。特に大口を叩いて何もしなかった人間には当然の仕打ちである。それが出来ない国民なら、それは国民の責任であり、民主主義を棄てたも同然なのである。
国民がここまで馬鹿にされても、尚且つ前の代議士といわれている人間が当選する不思議な世界。国民のレベルの低さがここに現れている。若し、選ぶ人がいない、と云うなら白紙で投票すればいい。棄権ではない。若し、過半数の投票者が白紙なら選挙はやり直さなければならない。どのような形で投票するかは国民の選択である。立候補した人間に適当な人がいないのなら反対投票という知恵を使えばいい。
民主主義と云う言葉を使うのは、日本人にとって難しいのかもしれない。明治維新以来、多くの政治家を輩出してきたが、その中には自分の身を投じて戦った代議士もいる。民主主義のお手本ではあるが、今ではとても見ることは出来ない。期待もしていない。人間機関車といわれた浅沼稲次郎、バカヤロー解散をした吉田茂、政治家に求められるものは一体何なのか。「お客様」と自分自身を指差した代議士に庶民の政治などできるわけがない。味噌汁で顔を洗って出直して来い。
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