国会で、余剰電力を使えば原子力発電は必要ない、と即断している人がいるが、日本の電力事情から、そんなに簡単に電力を外から融通して使える訳がない。一番大きな問題は、現在の電力会社は、発電と送電を両方共に同じ電力会社が所有していることである。例え、発電機で発電したとしても、それを何処に送るにも送電線が必要となる。送電線を借りなければ電気は何処にも送れない。
また、もう一つの問題は東日本と西日本では周波数が異なり、そのやりくりが簡単にはできない。周波数返還には装置が必要であり、そのコストは馬鹿に出来ない。今の電力事情を考えると、国会議員が考えているほど簡単に電気をあちこちに送電したり出来ない事情があるのである。
それでは、 発電と送電を会社を分けたらどうか、と云うことになるが、現在のシステムが出来上がったものを無理やり分けることが出来るかどうかである。国鉄の民営化と違って単純に地域に分割すれば言いと云うものではない。それでは、郵政民営化のようにできないか、と云うことである。これは、取り扱っている商品を3~4に分割したということであり、電力会社とは性格が異なる。
送電と発電を分ける事は可能かもしれないが、果たしてそれが最善の方法になるのかどうかである。送電を独占にすれば、結局今と余り変らないように思うのだが。日本のように狭い国で、敢えて送電と発電を分けるメリットが生れるかどうか。既に送電網が出来上がっている現状を見ると、新しく送電事業に参入するメリットが生れないように思うのだが。
外国のシステムをそのまま日本に移行するのは危険があると考える。そもそも、国情が異なり、国土の形態も異なる。既に送電網が出来上がっている。この段階で送電会社と発電会社に分割するメリットは出て来るのだろうか。
あるいは、電力会社の国有化が囁かれている。国鉄や郵政を解体して民営化にしたのと全く逆のことを今何故遣らなければならないのか。原子力発電があるから、そのリスクを国が負わなければならないから、だろうか。これは少し違っているのではないか。リスクが高いなら、リスクを低くするために何をしなければならないかを考えればいいのではないか。原子力発電を若し止めるのであれば、計画をしっかり立て、期限をつけて止める方向にもっていく。原子力発電を継続させるのであれば、より安全性を高め、危険を回避するような方策を行う。
余剰電力を討議している人たちは、理論だけしか考えていない。深海底にあるレアアースの存在と全く同じである。レアアースの存在が確認できてもそれを採掘できる技術が伴わなければ、それは絵に描いた餅である。余剰電力も同じような絵に描いた餅のように思える。
また、もう一つの問題は東日本と西日本では周波数が異なり、そのやりくりが簡単にはできない。周波数返還には装置が必要であり、そのコストは馬鹿に出来ない。今の電力事情を考えると、国会議員が考えているほど簡単に電気をあちこちに送電したり出来ない事情があるのである。
それでは、 発電と送電を会社を分けたらどうか、と云うことになるが、現在のシステムが出来上がったものを無理やり分けることが出来るかどうかである。国鉄の民営化と違って単純に地域に分割すれば言いと云うものではない。それでは、郵政民営化のようにできないか、と云うことである。これは、取り扱っている商品を3~4に分割したということであり、電力会社とは性格が異なる。
送電と発電を分ける事は可能かもしれないが、果たしてそれが最善の方法になるのかどうかである。送電を独占にすれば、結局今と余り変らないように思うのだが。日本のように狭い国で、敢えて送電と発電を分けるメリットが生れるかどうか。既に送電網が出来上がっている現状を見ると、新しく送電事業に参入するメリットが生れないように思うのだが。
外国のシステムをそのまま日本に移行するのは危険があると考える。そもそも、国情が異なり、国土の形態も異なる。既に送電網が出来上がっている。この段階で送電会社と発電会社に分割するメリットは出て来るのだろうか。
あるいは、電力会社の国有化が囁かれている。国鉄や郵政を解体して民営化にしたのと全く逆のことを今何故遣らなければならないのか。原子力発電があるから、そのリスクを国が負わなければならないから、だろうか。これは少し違っているのではないか。リスクが高いなら、リスクを低くするために何をしなければならないかを考えればいいのではないか。原子力発電を若し止めるのであれば、計画をしっかり立て、期限をつけて止める方向にもっていく。原子力発電を継続させるのであれば、より安全性を高め、危険を回避するような方策を行う。
余剰電力を討議している人たちは、理論だけしか考えていない。深海底にあるレアアースの存在と全く同じである。レアアースの存在が確認できてもそれを採掘できる技術が伴わなければ、それは絵に描いた餅である。余剰電力も同じような絵に描いた餅のように思える。