一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

日本の仮想敵国は中国

2014-07-31 14:29:01 | 日記

中国がそのように言っているが、当たり前ではないか。尖閣諸島を平然と侵略しようとしている中国を何故仲間にできないか。幾ら仲良くしようとしても、他国の領土の侵略をたくらむ国を信頼できる気に似は出来ないのだ。日本が今仮想敵国にする国が何処の国になるのか、言わなくても解る。

それでは中国はどこの国が仮想敵国なのか。中国自身発表をしていないが、恐らく日本であろう。自分の国が日本を仮想敵国にしているなら、相手国である日本が仮想敵国にしても何ら不思議ではない。それではなぜこのような関係になってしまったのか。世界2次世界大戦が終わって、中国は独立を果たした。そして、若い人たちの教育の仮名で、反日を徹底的に教え込んだ。そういう歴史教育をしておきながら、日本を信頼することなどできるわけがない。

ただし、日本は太平洋戦争後、反中教育を一切行っていない。それにも拘らず現時点で日本人の多くが反中に傾いてきたのは何故なのか。中国の執拗な他国の領土侵略が進められているからではないか。南シナ海でも中国の侵略が進められている。少なくとも中国は侵略国家そのものである。国連の常任理事国でありながら、公然と侵略行為を続けている、と云う現実を見ると、国連もかつての国際連盟と同じようになってきたように見受けられる。国連改革を早急にしなければ、国連は唯の団体に過ぎなくなる。同でもいい団体に成り下がれば、次に来るものは何か。それは第3次世界大戦である。

大袈裟に書いているが、中国の軍事力が強大になればなるほど戦争の脅威は高まってくる。世界制覇を狙っている中国のナチス・習近平が、嘗てのナチス・ヒトラーやスターリンに段々近付いてきているからだ。粛清が大きくなれば場るほどスターリンの姿が浮き彫りになる。第2のスターリンの誕生が間近になっているように見える。それは習近平の側近がどのようになるか、である程度判断できるはずだ。

このような状況で、日本が仮想敵国に中国が該当することに全然不思議でもなんでもない。それどころか、いつ尖閣諸島に似非中国軍(民兵と称する)が乗り込んでくるか、である。侵略に見られないように如何に誤魔化すか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の汚職摘発、矢張り最初に習近平ではないか

2014-07-16 08:07:54 | 日記

中国で汚職摘発が行われている。相当上級の人物も対象になっている。しかし、最も不思議なことは国家主席・習近平が摘発されないことだ。この人が摘発されない限り、中国の汚職摘発は全くウソであるといえる。幾ら下っ端を摘発しても最も最上位にいる習近平が摘発されないのはおかしいことだ。また、総書記を取り巻く上層部からは一人も摘発されないのも不自然である。

共産党一党独裁は、制度としては理想的なのかもしれないが、一旦悪が蔓延ると、それを食い止めるものがなくなってしまう、という欠点がある。民主主義にも多くの欠点がある。特に過半数で物事を決められるのは正しいようで正しくない。まあ、どんな制度を作っても100点満点はない。70点取れればいい方かもしれない。中国の制度、近代化が出来ない一つの原因が元々
抱いている民族性にあるかもしれない。これは如何ともしがたいもので、お隣の朝鮮民族にも言えることだ。

中国は古来から、特定の民族が国を支配してきた。それは他民族が新たに国を支配しても同じことになってしまった。支配者が入れ替わったら、新しい制度が出来るか、と言えばそうではない。支配者の意識、考え方だけで国の方向が決まってしまう。中国に未だかつて民主主義国家が生まれたことはない。王朝国家からすぐに共産国家に成ってしまった。この国にとって民主主義を議論する余地は全くない。従って、今の中華民族には現在の制度でしか物事を考えることしか出来ないのだ。

汚職の構図は、今の中国に始まったわけではない。400年や500年前に既に同じようなことが行われている。勿論共産国家ではなく王朝国家である。国の制度が異なっても同じように汚職が蔓延する要素を持っている民族なのだ。指導者に王様がなろうと習近平がなろうとも汚職と言う悪い構図はなくならない。これは制度の問題ではなく民族の問題なのかもしれない、と小生は思う。

この国がこのまま世界のトップになり、指導することになったら、世界はどうなってしまうのだろうか。中国の夢の実現は、即ち世界の暗黒時代の到来だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の汚職の構図、既に16世紀からあった

2014-07-15 14:25:32 | 日記

小生が読んでいる書物「十六世紀華南事物誌」(ガスパール・ダ・クルス著、明石書店)には、汚職の構図が事細かに書かれている。読んでいて、いや~、現在の中国共産党幹部の汚職と瓜二つだ。何故こうも似ているのだろうか。現在は21世紀である。400年前と中華民族は考え方が全く同じ、進歩していない、という事だ。ここまで似てしまうと、何故、と言う言葉での定義付は難しい。民族性と言った方が良いのかもしれない。

しかし、時代は変わっているのである。近代文明が発達し、機械化が進み、科学技術も一段と進歩しているのである。なのに、16世紀と同じ構図で汚職が行われている姿は、とても不思議でならない。16世紀は日本では徳川幕府ができて間もない頃だ。未だ文明と言っても室町時代の尾を引いているくらいである。勿論、ヨーロッパでは日本や中国などよりもいっそう進歩していた。朝鮮半島などは中国の支配下にあり、属国としてあった程度である。

そのような時代背景の中、中国はこの時代でも巨大な国として成り立っていた。所謂、明王朝である。日本よりも文化的には進んでいた部分も多くあったはず。しかし、国としての内容では、汚職に塗れていて、その構図は現在と変わらない。現在と個々に比較する材料は持っていないが、少なくとも、この本を読む限り汚職が蔓延っていたことは確かだ。それでは、400年前の汚職の構図がどうして現在も引き続いて行われているのだろうか。

これは、主義主張だけの問題ではないような気がする。明王朝時代は現在と異なり王政である。徳川幕府や天皇家と同じように血筋のものが継続して国を治める、と言う形であった。現在の中国は共産党と言う主義主張に基づいて成り立っている国家である。但し、その内容な王朝国家と殆ど変わらないような構図になっている。政府要人の親族で政府中枢が固められているからだ。現在の中国の共産党一党独裁国家は似非共産主義の象徴でもある。汚職の構図が400年も続くという事は取りも直さず民族性のなせる業である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

韓国の先生方、自国に都合が悪いことは「過去のこと」で無視

2014-07-15 09:22:21 | 日記

朝鮮人て不思議な民族だ。70年以上前の所謂「従軍慰安婦」という事に関しては何年経っても忘れないでイチャモンを付けてくる。しかし、太平洋戦争後に起きたベトナム戦争での韓国兵の虐殺行為やアメリカ軍に対する慰安婦については「過去のこと」だから問題ない、と片付けようとしている。日本に対する従軍慰安婦に関しては極めて曖昧な点が多く残っている。事実と異なる部分も相当含まれている。日本では、この問題に対しては援助という形で相当なお金を既に支払っている。ところが同じ問題を吹き返してまた金をせびろうという魂胆だ。

朝鮮人たちは、金になることなら何でもあり、と言う考え方だ。彼らは過去に何をしてきたのか。自分たちが犯した犯罪は上記に書いた2つのことは国家犯罪なのである。それを日本にいる韓国人学者は「過去のこと」という事で口を濁している。おかしな(御用)学者先生である。他国のことを言う前に自国が太平洋戦争後に一体何をしてきたのか、はっきりと言えばいいのだが、それが言えない。

今の韓国、朝鮮人たちはそれほど権威があるとでも思っているのだろうか。日本などは一部の人を除いて韓国などどうでもいい、と思っている。勝手に反日でもやっていればいいのだ。日本人は冷め切っていて、韓国などあってもなくてもどうでもいいと思っている。確かに貿易面ではある程度影響があるかもしれないが、韓国から何も貰わなくても困ることはないのではないか。隣の国だから仲良くしなければならない、という事はない。中国は確かに同じことが言えるかもしれないが、中国とて日本との貿易が今よりももっと少なくなれば大きな痛手になるはずだ。韓国など中国よりももっと痛手が大きいはず。

「過去のこと」しか出てこない韓国や中国には未来など語ることはできないだろう。中国などは日本が頭を下げるのを待っているという。しかし、それは甘いよ。日本は中国がなくても一向に構わない。世界は広い。アホな中国など構っていられない。バ韓国なども同じ。そのうちに中国も困るはずだ。アホな政府中枢たちが手を拱いてすり寄ってくるはずだ。「過去」しか頭に浮かばない中国や
韓国は過去の国。未来を夢見ることが出来ない国だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死亡轢逃げ犯は全て殺人罪に

2014-07-14 09:06:08 | 日記

今の法律は極めて矛盾している。自動車によって人を引いてしまった。そこまでは様々な理由があるので犯罪になるかどうか解らない。しかし、その後、被害者を何もしないで、そのままにして逃げてしまう。これは完全な犯罪である。しかも、被害者がその後どうなるのか、一番知っているのは自動車を運転していた人間だ。そのような状況の下で敢えて逃げてしまう、と言う行為は「未必の故意」による殺人なのである。最もおかしいのが「過失」と云う罪になる事だ。轢逃げは過失じゃないだろう。

法律の適用を実際に行うのは検察庁である。警察は、その事実に従って事故処理をするだけで、基本的には検察庁の責任で正しい罪名で起訴するのである。何故轢逃げによる死亡事故が殺人罪にならないのか。また、事故を起こしてなぜ逃げてしまうのか。それは逃げ得になっているからだ。現在の法律の規定では、逃げた方が罪が軽い。例えどのような状況であろうと、まず逃げる。そしてほとぼりの覚めたころ自首する。

結果として逃げ徳になるように法律が出来ているからだ。逃げたら罰則を重くする、という法律にしなければ、今後もひき逃げによる死亡事故は減ることはないだろう。若しかするともっと増えるかもしれない。犯罪に対する罰則がどのように決まるのか、は法制審議会でも問題となることがあるという。轢逃げによる死亡事故を無くすためには今の罰則を全て殺人罪にすれば絶対に減らすことが出来る。

現に、薬物使用による事故に対しては罪を重くしたではないか。昔「教育刑」と言う言葉が使われることがあったが、轢逃げや薬物などによる事故は教育をしても無くなることはない。重い刑罰を科すことで事故を未然に防ぐことに繋がるのである。轢逃げによる死亡事故が全て殺人罪が適用されれば、恐らく逃げる人が減ると考える。過失致死罪と殺人罪では刑罰に格段の差があるからだ。逃げた方が得だから逃げる。これは人間の心理であろう。事故を起こしたら誰でも慌てる。死亡事故だったらもっと慌てる。しかし、若し逃げたら殺人罪が適用される、と言うことが解っていたら逃げるだろうか。状況から判断して過失致死という事であれば、罪はそれほど重くはない。

運転者に重大な過失或いは飲酒、薬物などであれば運転者に相当の罪が科せられることは致し方ない。それでも殺人罪と比較すれば、どうなのか。何度でも書くが轢逃げが何故過失なのか、理解できない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする