今オリンピックがロンドンbで開催されている。スポーツの祭典も審判のやり方ひとつで全く興味を削がれることがある。総ての審判が平等に行われていることが基本なのだが、それが実行されていないとスポーツを見る目が違ってくる。今回柔道がそのもっとも注目を浴びた競技である。この競技では、「審判」とは何か、という基本が問われている。適正に審判を行うため、と称して場外で別の審判員(ジュリー?とかいう)が競技の審判を行っていたからだ。
サッカーでは、審判の判定がすべてである。ときは時には微妙な判定を下されることはあるが、、基本的に一度下された判定は覆ることは殆どない。問題があれば競技終了後に協会で異議を受け付けることはあるが、それでも判定は覆らない。運動競技を進めるうえで、その場で一つづつ検証することが果たして正しいことなのだろうか。
柔道の場合を想定してみると、競技の途中で審判が判定を下し、競技を一時中断している。選手たちは、中断している間、判定を待って結果が出た後に競技を続けている。これでは、選手の力の入れようが削がれてしまうし、見ている方も面白味が半減してしまう。競技を中断しないで、最後まで続けることができないのだろうか。柔道の場合は、一本勝ちを除いて総て最後まで自由に競技を続け、終了後にビデオで全ての工程をチェックして判定をする。
また、審判員の技術の問題がある。審判員が、その競技のすべてを頭の中に入れて置かないと判定の下しようがないではないか。柔道の審判員は、果たしてどの程度の技術を理解しているのか。経験年数や段位の取得だけでは解決できないかもしれない。もともと日本で生まれた柔道、外国人がその精神をどこまで習得しているか。国際柔道連盟に日本柔道会の人が支援できる体制になっているのか。もし、日本人が関与できなくなった国際柔道連盟だとしたら、果たして柔道の審判が完全にできるのだろうか。
例え競技では外国人に負けたとしても、柔道そのものの考え方は日本人の中に潜んでいる。国際化しているとはいえ、その精神は日本に存在すると思う。今回の奇妙な審判の在り方は、競技そのものをダメにしてしまいそうである。国際柔道連盟が、民主的な方法だと確信をして今の方法になったかもしれないが、小生が見る限り、今の方法は止めた方がいいと思う。畳の上に立っている審判員はまさに操り人形である。北京オリンピックで話題になった口パクと全く同じ。公平な審判を求めているにしてはお粗末の一言。