一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

今ある河野談話はインチキ

2014-03-31 22:23:02 | 日記

今ある河野談話は造られた偽善のものだ。当然見直すべきである。大体、「従軍慰安婦」なる言葉は何処かの新聞社が造った言葉であり、戦時中には存在しなかった。存在しない言葉を、恰も実際に存在したかのごとく使われるのは歴史の捏造そのものである。朝鮮人たちは言葉ではなく歴史そのものを捏造することがある。竹島がそうである。朝鮮半島の歴史を勝手に作って、昔からあるように伝えているが、その殆どが捏造されたものなのである。従軍慰安婦という捏造されたものに対して
当時の河野官房長官が勝手に談話してしまった結果、日本は迷惑を被っている。アホな政治家がいると国そのものをダメにしてしまう良い例である。

河野談話を見直すことは必要である。このままにしておけば、間違った歴史を作ってしまうことになる。日本の政治家が歴史の捏造を手伝うことはない。河野談話は即座に見直し、正しい談話を発表すべきである。国がもたもたしていると、河野談話が真実のごとく扱われる。朝鮮人たちは河野談話が正しい、と言っているが、その根拠となるデータは存在しない。

日韓首脳会談が韓国の勝手な行動で開かれないが、それでいいなら、今のままにしておけばいいこと。何も無理して日本が頭を下げる必要はない。時期が来れば何時かは(100年後かもしれないが)開催されるだろう。貿易だって韓国が必要ならば向うから頭を下げてくる。日本は韓国がいなくても十分にやって行けるはずだ。なぜ日本が頭を下げる必要があるのか、解らない。

河野談話の見直しは、日本国民の多くが賛成しているはず。反対している人は、韓国と何らかの関係がある人たちだけだ。間違っているものは見直すのが当たり前。日本人の悪い癖は、悪いことを正さないことだ。間違っているものは間違っている、としっかりと主張できる日本人にならなければならない。陰でこそこそ言っていてはだめ。正面から言わなければならない。特に国際関係においては、しっかりと日本の言い分を言うことが大切だ。インチキな河野談話を何時までもこのままほっておく
ことは日本にとってマイナスになる。

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何故防げなかった、冤罪

2014-03-30 09:22:25 | 日記

またもや冤罪が判明した。長い間刑務所に収監されていた死刑囚が裁判所の判決により釈放されることになった。今までに見た冤罪事件と全く同じ姿である。冤罪の発生を完全に防ぐためには、取調室の完全な録画である。これを行わない限り冤罪はこれからも発生するに違いない。これまでに見てきた冤罪は、凡て最初の取り調べで自白がなされている。そして、証拠となる物証が曖昧な点である。

現在は科学が進歩して、証拠となる物証をきめ細かく、科学的に検査することが出来る。特にDNA鑑定はテレビでも紹介されているように昔の鑑定に比べたら数千倍、数万倍の細かさで行うことが出来るようになった。そのほかの鑑定でも科学的に行えるものが多くなった。眼で見る事での鑑定は昔語りになっている。人間が肌で感じるものも、多くが曖昧で、ミスが多い。色の違い、臭いの違い、成分の違い、など多くの異なるものの違いはすべて科学的な分析により行うことが出来るようになった。

ここまで分析力が発達してくると、人間の出番がなくなるように見えるが、そうではない。やはり犯罪捜査の基本は警察官が足を使って情報を得ることが重要になっている。拾ってきた情報、絃倍遺された情報など、あらゆる情報を総合し、現場に残された物的証拠の化学的な分析を加えることで犯人を検挙する。冤罪を防ぐには、あらゆる証拠と犯人の自白の両方が相まって成立するものである。自白だけに頼ってきた昔のやり方は必要な部分があるかもしれないが、もっと科学的に進める必要がある。

冤罪をなくすには捜査機関が情報を公開できるように密室で行われている取調室の記録が必要になる。取調室の公開により、取り調べが厳正に行われていれば、裁判で堂々と戦うことが出来るはずだ。仮令どんなに優秀な弁護士が附こうとも犯人を処罰することが出来るはずだ。冤罪を防ぐことが出来れば、死刑の存続も堂々と訴えることが出来る。死刑廃止論者は冤罪を楯にとって闘っている。多くの人を殺した犯人に死を以って償うのは当然である。それだけの代償を払っても被害者の命は戻ってこない。犯罪者には償わなければならない、と云う覚悟を持ってもらわなければならない。

冤罪は、その人の生命を奪ったのと同じくらい重いものだ。これを防ぐ手立ては取調室の録画と云う記録を残すことである。警察が恐れるのは取調のやり方が外に出ることだけなのか。手の内を見せたくないということなのか。

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現代のマキャベリズム

2014-03-29 09:23:14 | 日記

マキャベリズムがまかり通る現代、それが中国だ。マキャベリズムは権力を楯にすべての反道徳的な手段も許されてしまうことをいう。今の中国は現代のマキャベリズムを邁進しているのだ。このブログを見ている人は、マキャベリズムと云う言葉を昔の言葉だと思っているかもしれないが、そうではない。将に生きている言葉である。マキャベリズムが大手を振って歩いていることに誰も不思議に思わない。何故だろうか。世界の国々が見ている前でマキャベリズムが実行されているのである。

国連と云う機関があるが、もはやこの機関も形だけのものになりかけている。ロシアがクリミア半島を占領したのも同じである。大国と云われている国の権力の横暴が許される背景には、この国に逆らえない状況が造られている。それが貿易と云う魔物である。この魔物、アメリカも引き込まれている。中国の横暴な行動に対して何も手が出せない。貿易の多くが中国に偏っているからだ。このまま行けば、大国の横暴がどこまで続くことになるのか。

マキャベリーは15世紀から16世紀にかけて活躍した人物である。この時代は未だ近代国家が出来上がっていない時期であり、現代とは状況が異なる。世界経済も多角的ではない。情報の伝達も現代とは異なる。しかし、現在において、マキャベリーのような考え方で国と国が争っていけば、その結果がどのようになるであろうか。近代戦争の脅威は、第1次世界大戦、第2次世界大戦で経験済みのはずだ。特にロシアよりも中国の出方が際立っている。周辺諸国に脅威を振りまいているだけでなく、侵略行為をしようとしている。力による行為が将来どのような結果を招くか理解しているのだろうか。

マキャベリズムと云う言葉を使ったのは、今のマスコミが殆ど忘れているように思えたからである。世界史を勉強した人なら殆ど知っているマキャベリズムは、今の中国にそのまま当て嵌まる。まるで世界が400年か500年遡ってしまったかのようである。歴史は繰り返す、と云うが、まさかこれほど遡るとは考えていなかったであろう。マキャベリズムの到来、と云えば大袈裟かもしれないが、今の中国は将にマキャベリズムそのものである。反道徳的なことを近代国家がやるはずはない、と云うのが常識だが、今の中国はそれを公然と実行している。これを食い止める手段は話し合いでは解決できない段階になっているようにも見える。世界が中国をボイコットする事しか方法は見えない。中国は貿易が出来なくなれば必然的に態度を軟化するはずだ。

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アメリカが益々中国寄りに

2014-03-27 09:20:19 | 日記

今のアメリカ、中国に徐々に近づいている、と言うよりも寄り添っているような気がする。中国にすり寄っているアメリカ、それに対してロシアは益々独断と偏見で物事を進めている。ウクライナは取り敢えずこの状況が続くであろうことは間違いないようだ。となると、その次に何を狙っているかだ。ウクライナと同じような小さな国はロシア周辺にはまだ幾つか存在する。これらの小国は、今後ロシアの出方で運命が決まる。ウクライナと同じように国を分断されることになるのか、それとも
国自体をロシアに併合されてしまうのか。

独立国とはいっても、昔のソビエト時代の衛星国だったのが独立国になった、という経緯があるので、ウクライナと同じようにロシア人が多く居住している事実は否定できない。ロシアの意向としては、ロシアに協力的な国は今まで通りに生き長らえることはできるが、少しでも反発する国にとっては生きた心地がしないだろう。ロシアが今後どのような手を使ってくるか、今のところ分からないが、無理難題を押し付けてくることになるかもしれない。そうなった場合、欧米がどのような支援をしてくれるのか、という事になる。

国の経済は、一国ですべて賄っているわけではない。独立独歩で生きていける国など殆どない。となると、ロシアがこれらの小国を手玉にとって自由自在にすることも考えられる。国の命運は、ロシアの出方ひとつに掛っている。アメリカは、このような状況でもロシアには手を出せない事情があるのだろうか。もしあるとしたら、中国との関係かもしれない。この際、中国と仲良くなっていくことを選択しておけば、いざとなったら中国と手をつなげばいい、と思っているかもしれない。しかし、世の中、そんなに甘いものではない。今、中国と対峙している国、日本、フィリピン、ベトナム、インドなどにとってはアメリカをどのように見ていくかになる。別にアメリカを頼るうわけではないが、対峙している国を疎かにすれば、そのしっぺ返しは極めて大きいものになる、という事だ。

アメリカにとって中国は貿易では最大の相手国になっている。そのような理由から中国と手を組もうと考えているのかもしれないが、中国と対峙している国はアメリカを見捨ててロシアに向かっていくことになるかもしれない。小国だって、生きていかなければならないのだから、どこかの国と仲良くなることだって当然ある。中国のような強盗国家と付き合うにはロシアのような国とでも仲良くなる必要が出てくる。背に腹は代えられないから、アメリカを見捨てることになるだろう。今後、アメリカ、中国、ロシアがどのような方向で世界を纏めようとしているのか、という事だ。何処の国に入っても同じなら、その選択権は小国にもある。日本はアメリカと安全保障条約を結んでいるが、アメリカの態度が中国べったりとなれば、話は別である。中国は日本の尖閣諸島が欲しいから、アメリカと取引をすることの可能がある。アメリカもいざとなったら日本を中国に売ることだって考えられるのだ。

アメリカが中国より、中国べったりとなれば、日本はどのように生きていくかである。大国が全て小国を手玉に取ることが出来るが、簡単ではない。日本のような小国だってかまれれば反発する。どのように反発するか、それは解らないが、アメリカは自国の痛みを伴わないと思ったら大間違い。わき腹にドスンというほどのすごい痛みを与えることも可能なのである。

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航空機事故はなぜ起きた

2014-03-25 09:33:25 | 日記

マレーシア航空機の墜落事故が決定的となった。不可解な飛行を続けたことは確かなようだが、何故事故に繋がったのか、その原因の解明は極めて難しい。問題のブラックボックスの引き上げが出来なければ、今回の事故の解明は殆ど不可能なのだ。航空機事故は、その殆どが離着陸時に起きることは、統計上はっきりしている。しかし、今回の事故は飛行中に何らかの原因で起きたものだ。人間が関与しているのか、それとも飛行機自体に何らかのトラブルが発生したのかは、今のところはっきりしない。すべてがブラックボックスの回収に罹っている。

小生も仕事の関係で飛行機に関係していたことがある。ただし、飛行機の機体などではなく、飛行機の切符を売る代理店にいたのである。飛行機には、2ヶ月に1回乗っていた時期がある。2年間で都合12回くらい乗った勘定だ。その時に感じたことは、矢張り安全性であった。強風時に飛んだこともあるし、大雨の時に飛んだこともあるし、霧の中を出発したこともあった。幸い、機体のトラブルには一度もあっていない。天候が悪くて外の飛行場に着陸したこともあった。飛行機が安全に飛べるには、多くの人たちが、夫々の専門の個所を点検している。羽田空港(今の東京国際空港)で飛行機の点検作業の見学をしたことがある。素人には内容が全く分からないが、その細かいことは言葉にできないほどである。

飛行機の事故が発生すると、非常に関心を持って新聞やテレビを見る。自分が乗ったことのある機種の飛行機に事故があった場合、特に関心を持ってしまう。小生が乗った飛行機で最も良かった飛行機はボーイング727ではないだろうか。この飛行機、現在は日本ではすでに飛んでいないが、日本の空を沢山飛んでいた時期がある。最も強烈だったのは、何と言っても東京湾に墜落したことだ。乗客、乗員全員が亡くなっている。札幌から東京に向かっていた飛行機である。事故原因が高度を急激に下げたためだと云われている。飛行機は無理をするとどこかに異常が出てくる。現在の飛行機は特に機器の殆どが電子化されていて、想定外の操作をすると電子機器が言うことを利かなくなることがあるらしい。

今回の飛行機事故に限らず、電子機器と云うものが想定外の操作にどれだけ耐えられるか、ではないだろうか。想定外を如何に少なくするかは、すべて人間が設定するのである。通常だったら、そんなことはしないだろう、と云うのが想定外である。しかし、多くの人の命を預かる飛行機などは、想定外の設定が問題なのではないか。万全を期すのが当たり前なのだが、コンピュータにすべてを任せるのが本当に正しいのか、もう一度考えてみる必要があるように思うのだが。人間はミスを犯す動物である、と云う前提に立って、それをカバーするのがコンピュータの役目であるはず。

今回の事故がミスなのか故意なのか、それは解らない。ミスであってほしい、と思うのは小生だけだろうか。

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