今ある河野談話は造られた偽善のものだ。当然見直すべきである。大体、「従軍慰安婦」なる言葉は何処かの新聞社が造った言葉であり、戦時中には存在しなかった。存在しない言葉を、恰も実際に存在したかのごとく使われるのは歴史の捏造そのものである。朝鮮人たちは言葉ではなく歴史そのものを捏造することがある。竹島がそうである。朝鮮半島の歴史を勝手に作って、昔からあるように伝えているが、その殆どが捏造されたものなのである。従軍慰安婦という捏造されたものに対して
当時の河野官房長官が勝手に談話してしまった結果、日本は迷惑を被っている。アホな政治家がいると国そのものをダメにしてしまう良い例である。
河野談話を見直すことは必要である。このままにしておけば、間違った歴史を作ってしまうことになる。日本の政治家が歴史の捏造を手伝うことはない。河野談話は即座に見直し、正しい談話を発表すべきである。国がもたもたしていると、河野談話が真実のごとく扱われる。朝鮮人たちは河野談話が正しい、と言っているが、その根拠となるデータは存在しない。
日韓首脳会談が韓国の勝手な行動で開かれないが、それでいいなら、今のままにしておけばいいこと。何も無理して日本が頭を下げる必要はない。時期が来れば何時かは(100年後かもしれないが)開催されるだろう。貿易だって韓国が必要ならば向うから頭を下げてくる。日本は韓国がいなくても十分にやって行けるはずだ。なぜ日本が頭を下げる必要があるのか、解らない。
河野談話の見直しは、日本国民の多くが賛成しているはず。反対している人は、韓国と何らかの関係がある人たちだけだ。間違っているものは見直すのが当たり前。日本人の悪い癖は、悪いことを正さないことだ。間違っているものは間違っている、としっかりと主張できる日本人にならなければならない。陰でこそこそ言っていてはだめ。正面から言わなければならない。特に国際関係においては、しっかりと日本の言い分を言うことが大切だ。インチキな河野談話を何時までもこのままほっておく
ことは日本にとってマイナスになる。