一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

香港は中国共産党によって地獄へ行ってしまった

2024-01-26 09:20:23 | 日記
英国から返還される前の香港には夢があったし自由もあった。それが中国へ返還してからは夢も自由の失われ、地獄への道をまっしぐらに進むことになった。今の香港には何も残っていない。まるで抜け殻のようになっている。香港へ観光旅行へ行くことなど考えも及ばない。香港へ一歩踏み込むと同時に秘密警察や公安警察が目を見張っていて自由な行動などできなくなってしまった。国家安全維持法なる法律が香港の自由を完全に奪ってしまったのだ。景色や街の風景の写真は殆どとることができなくなった。要は、スマホやカメラで写真を撮ることができなくなったのだ。


香港は今や中国大陸と全く同じ扱いになったということだ。その昔、香港は一国二制度という形のものがあった。今では言葉だけが独り歩きしていて、内容は全く伴わないものになっている。共産党に都合が悪いことはすべて排除する、という政策がとられている。日光の東照宮に行くと見ざる、言わざる、聞かざる、という三猿が有名だ。見ない、聞かない、言わない、と云う事なのだが、共産主義国家の場合は、そのまま政府に対してこの言葉が使われる。今の中国(香港も含む)では将にこの言葉がそのまま適用できる。今の中国人は、中国共産党政権に対しては、この三猿そのものなのである。


即ち、中国人民は、三猿を実行していれば生活そのものは出来ることになる。不満があろうがなかろうが共産党の云う事を聞いていれば生活は出来る、と云う事だ。恐らくストレスはたまる一方かもしれないが、それを我慢するのも生きていくための知恵なのかもせれない。中国で生きていくためには三猿の実行が不可欠なのである。中国人は海外旅行をすると、何故緊張の糸が切れるような行動をするのか、よく解る。海外旅行へ行くと彼等は声が大きいだけではない。行動そのものが大胆になる。ある程度の自由な行動ができるからだ。


監視から逃れられる、と云う事もあるかもしれない。監視カメラから逃れられるということは、自分たちを附け狙っているものがなくなる、ということだ。中国人が何故、海外旅行へ
行くと自由を楽しむしかないのがよく解る。彼等は、家の中でも、外に出ても、外出先でも、職場の中でも、仲間と一緒にいても、すべて監視されているのである。中国国内ではなにもしていなくても必ず監視をされている。旅行に行けば少なくとも監視カメラは無くなる。仲間の監視はあるかもしれないが、それもうまくやれば避けることができる。団体で海外旅行へ行くときは、必ず監視員が同行しているという。


それが添乗員だけなのか、その外にもいるのか、よく解らないが、監視員がゼロと云う事はないという。香港が監視社会になったということは確かだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国共産党、台湾総統の選挙は民意を反映していないという

2024-01-20 09:50:04 | 日記
中国共産党は「民意」という言葉の意味を知らないのだろうか。中国共産党の解釈は、共産党の支配を賛成する人間を民意として認めているようだ。そもそも、中華人民共和国の共産党政権は民意を反映していない。その事をしっかりと理解しないといけないのではないか。現在の中国の共産党政権は選挙で選出された人間が支配しているわけではない。共産党政権が発足以来、共産党員の選挙など見たことも聞いたこともないのだ。そして、選挙の行なわれない共産党政権には民意など反映するわけがないのだ。民意が反映されるのは、しっかりとした選挙制度の下に公正な形で選挙が行われ、そこで選出された人によって議会が成立する場合、民意が反映されたとみなすわけである。中華人民共和国は政権発足当初からあらゆる形での選挙が一度も実行されたことなないのである。


共産主義、社会主義においても、選挙制度の下に公平に民主的な選挙が実施されれば、そこには国民の民意が反映されるのである。現在の中華人民共和国には公正な選挙を行うための選挙法などが整っているのだろうか。社会主義だから、共産主義だから、と言って民意が反映されないわけではない。中国共産党は、何を以て民意と見るかである。現在の中国共産党が民意という言葉を使うことは全く適正ではない。台湾で行われた選挙に対して民意が反映していない、と云う事を中国共産党が発表してみると、何か頓珍漢なことを言っているようにしか見えないのだ。


今回の台湾の選挙結果を見てみると、中国共産党にとっては極めて面白くない結果である。何故このような結果になってしまったのだろうか。色々な理由があるが、これまで中国が台湾に対して大きな嫌がらせを何回も行っていることもある。これだけ嫌がらせを行って、なおかつ中国を支持しろ、と言われれば幾ら何でも中国の云う事を聞くわけがない。また、中国が香港と同じような方式で台湾の行政を行う、といっても、今の香港を見てみると、このような形で台湾が支配されたら、台湾の自由と人権は全く拒否されてしまうだろう。


台湾の人たちにとって、未来の姿がどのようになるのか、ということが一番心配になることだ。現在の香港の姿が未来の台湾の姿になることを想像したら、台湾の人々は誰も中国共産党の言う通りにはなりたくない、と考えるのが普通ではないか。自由と人権が蔑ろになってしまう国の姿など誰も想像したくない、というのが正直な話である。現在、香港ではどのようなことが起きているのか、公表された状況しかわからないが、国家安全維持法という法律により、100%自由と人権は無くなってしまったようだ。ここまで押さえつけられてしまうと、未来は絶望的である。


今の香港が嘗ての東ドイツのようになってしまうのも時間の問題だろう。それでは現在の中国国内は一体どのようになっているのだろうか。恐らくだが、現在の中国国内は香港と殆んど同じ状況になっているのではないだろうか。小生も3回ばかり中国旅行をしたことがある。最初に訪れたのは28年前になる。そして、その後、20年前にも西安から新疆ウイグル地区まで訪れている。3回目は今から10年くらい前に雲南省に行っている。今後は中国を訪れることは全くない。このようなブログを書いてしまうと、国家安全維持法に完全に抵触するからだ。


もしも、今、香港や中国大陸を旅行したら中国国内へ入国する時点でビザが拒否されるか、入国と同事の拘束されてしまうだろう。中国や香港以外の場所で中国や香港の批判をネットで書いた場合には国家安全維持法で拘束することができると規定されているからだ。こんな怖い国にもう一度、観光旅行に行こうなどと言う考えは全くない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「北風と太陽」の話を知らない習近平主席

2024-01-16 09:13:07 | 日記
殆んどの日本人なら「北風と太陽」の話を知っている。勿論内容も理解している。若しかすると幼稚園生でも知っているかもしれないほど有名な話だ。何故この話をもち出したか、殆んどの人は理解できるだろう。今、習近平は台湾に対して将に北風の施策を実行している。習近平は台湾に対する自分の実績を作るために一所懸命になって行っているのである。習近平が如何なる強風を台湾に対してぶつけ様とも現在の台湾はびくともしない。台湾人の多くが現在の自由や人権を求めているからである。香港が中国に返還されてから20年になる。


その香港の政治体制を見てみると自由や人権は全く失われ、香港人を完全な監視下に置いてしまった。国家安全維持法なる法律を施行し、香港人を奴隷のような統治をしようとしている。自由や人権を香港人から剥脱してしまった現在、香港の魅力は何もなくなってしまった。嘗て、金融で栄えた香港は完全に凋落をしてしまった。今の香港は中国本土の完全な単なる出先機関であり、中国大陸の単なる一部分である。今、外国人が香港を訪れると国家安全維持法によって拘束される度合いが極めて強い。何しろ、海外で中国を批判したら、香港へ足を一歩踏み入れるだけで国家安全維持法違反により拘束できるようになっているからだ。


まあ、香港に特に用事がなければ行く必要はないし、観光で訪れることもない。それこそ、観光旅行の騒ぎではないのだ。最早、香港は観光地の一つから外れてしまった。単なる中国の一部なのだ。現在の香港は、監視カメラが立ち並んでいるという。そして、すべての通信も監視されている。歩いている人も、レストランに入っている人も、観光地を訪れている人も、ホテルの部屋にいる人も、全ての人が監視カメラによって行動が捉えられているという。香港に生活している人たちも、家族、友人、隣人、勤め先の人間などすべての行動が監視されているという。


勿論、パソコンもスマホも情報機器は、受発信がすべて傍聴されているという。このような監視下の中で果たして普通の生活ができるのだろうか。何時も北風を人民に向けて吹かせている共産党政権は人民をここまで拘束して一体何を求めているのか。恐らく、香港だけでなく中国大陸の人民たちも何時も北風を浴びせられていて太陽を真面に見ることができないのではないか。スモッグで太陽が霞んでみえるのはいつものことだというが。人民をとことん拘束をし、雁字搦めにしていると人間は通常の考え方ができなくなってしまう。中国人が海外旅行へ団体で出かける時は、必ずその中に監視員が含まれているという。


従って、監視員の目が届かないところで色々なことをやってしまうのだという。ある意味、可哀そうな人たちである。監視の中で生活をする、と云う事は一般の日本人は経験をしたことがないはずだ。勿論、小生もそのような生活をしたことはない。精神を正常に保つことは極めて難しいと思うのだが。監視下の生活も馴れてしまえば結構普通にやり過ごすことができるのかもしれない。香港の人達は20年前までは比較的自由に過ごしてきたはずだ。それが、中国に返還されて20年経ったら自由や人権が完全に失われてしまった。今の50歳代以上の人達は昔の香港を思い出して懐かしんでいるのではないだろうか。


今、台湾で選挙が行われている。その結果は、民進党の勝利となった。そして、その結果の感想として中国共産党が奇妙なことを言った。「この選挙は台湾の民意を反映していない」と。そもそも、現在の中国共産党の政権、民意を反映していないではないか。自分たちの足元が民意を反映していないのに、台湾の事が言えたものか。どうやら中国共産党は民意という言葉の意味を理解していないようだ。国語の勉強の基礎をしっかりとしていないからだと思う。台湾の選挙の結果から北風が益々強く吹くことになるだろう。太陽は当分見ることは出来ない。それでも台湾の人達は自由と人権を選択したのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能登半島地震で問う事

2024-01-13 09:08:13 | 日記
令和6年1月1日に起きた能登半島地震、大きな被害をもたらした。多くの人達が地震の現状をネットに投稿しているのを見た。その中で沢山気になったのだが、気が付いたことが一つあった。それは地震により電源が失われたことで緊急地震速報が地元民に報道されていない地区があった、と云う事だ。小生が見たネットの報道では、大きな地震が終了し、津波が既に到達しているのにも関わらず津波に関する緊急放送が流されていないことだった。ネットに投稿している人は、津波が現在、到達しているのにもかかわらず、放送されないことを指摘していた。


これは大きな問題である。市内に居住する市民に対する緊急放送はどのようなことがあっても放送されなければならないはずだ。小生が見ていたのは港町。移動しながら撮影していろいろと発言をしている。その際、緊急放送は一切流されていなかった。東日本大震災の際には、各方面で緊急地震速報の放送がされていたことを記憶している。今回の能登半島地震においても当然、東日本大震災と同じように緊急地震速報が市民に対して放送されなければならないはずだが、どうしたことだろうか。この緊急地震速報は、電源を失っても放送される仕組みになっているはずではないか。


今回の能登半島地震は、地割れが多く発生したために電柱が多く倒れてしまっている。従って地震と同時に電源も放送施設もは失われてしまったかもしれない。しかし、緊急地震速報を放送する機械は電源を失っても蓄電池などで放送できる装置になっているのではないか。そのようになっていなければ、緊急時に放送することは出来なくなってしまう。通常は電気で充電をし、電源が切断された場合には即座に蓄電池に切り替わるようになっているのではないか。そうしないと緊急時には役に立たないからだ。また、緊急放送をするスピーカーは一つづつ独立していることが重要だ。


今回、ネットでしか確認できなかったが、このようなことが本当に起きたことなのかどうか、中央官庁は確認する必要がある。日本では災害は何時、何処で、どのように発生するか分からない。緊急時に役に立たなければ何にもならない。緊急時の放送は、国民の命を守るための一手段でもある。緊急事態の時に、電源が失われて、何もできなくなったら多くの国民の命を守ることができなくなる。市民に対する緊急時の報道は確実に役に立つことが最小限必要である。何時も放送しているのは、電源があるという前提で行われているものだ。緊急時は電源が失われていることが前提になる。


今回、ネットで見ていて、自分が生活している場所は大丈夫なのか、という疑問が出てきた。お役所仕事といわれないためにも、是非、再度の点検をしてもらいたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代はどんどん進化している

2024-01-08 09:09:36 | 日記
有史から〇〇年、第一次世界大戦から××年、第二次世界大戦終了から△△年、というような形で書かれている時代。これからはこのような形で表現しないように考えたい。今、現在から新しい時代を考えてみようではないか。その昔、人間が空を飛べるようになることは夢であった。そして、空飛ぶ自動車も夢であった。人間が月へ行くことも夢であった。これからは、どのようなものを
夢で見ることにすればいいのだろうか。夢は見るものであるが、現実になることはないかもしれない。その昔、コンピュータが生まれたころ、まだ半導体もトランジスターも生まれていなかった。


真空管しかない時代にコンピュータが日本へ入ってきたころは電子計算機と称していた。電子計算機が日本へ輸入され使い出した時、そこで使われる周辺機器の名前は日本語にうまく訳せないこともしばしばあった。プリンターが最もいい例だ。印刷機という名前の前に「自動」または「高速」という名前を付けることもあった。日本人は横文字を日本語に直すことが昔から得意だったのかもしれない。様々な横文字の名前が付いた機械が奇妙な日本名の名前を付けたものもあったが、それらは何時の間にか淘汰されていって自然に横文字に戻された。コンピュータの歴史を辿っていくととても面白い。


人間は常に進歩をしている。今では生成AIなるものまで生れてしまった。あと10年もたつと、若しかしたら現在では想像もできないようなものが生まれた時代に変遷しているかもしれない。そんな今では考えられない時代に突入したら世の中がどのように変わってしまうだろうか。そこで問題になるのは法律や規則ではないだろうか。日本の基本的な法律は殆どが明治時代に制定されている。ものの考え方も、日本人の行動も殆どは基本的に明治時代に決められたことが多い。そのような時代背景が、若しかしたら10年後には殆ど考えられないような姿に変身しているかもしれないのだ。


そうなると、今、存在する法律や規則は一体どうなってしまうのか。若しかすると憲法も変更しないといけなくなるかもしれない。そして、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法など基本的は法律のすべてを考え直さないといけないかもしれなくなる。社会の方式も今とは異なったものに返還しないといけないかもしれない。社会が複雑化するのか、単純化するのかも解らない。生活の基本は同じでも世の中が変化して行ったら、それに合わせるしかなくなるのではないか。情報化社会がもっと進んで、人間が働く環境が一変してしまうのではないか。


今行われている働き方改革などでは済まなくなるだろう。技術の進歩が速すぎることにより社会の進歩が追い付かなくなってしまう。問題は、人間が働く場所が確実に確保できるかどうか、であろう。情報化が進み、機械化が進み、すべてが自動化され、人間が関与する所が殆どなくなってしまう。労働力の自動化、簡素化で働く場所の確保が難しくなる。現在より人口減少が進むので、失業者はそれほど多くはならないかもしれないが、能力の伴わない人間にとっては重大な問題となるだろう。その反対に能力を備えた人間にとっては仕事の選択肢は広がるのではないか。


人間が人間を使うのではなく、情報化された装置が人間を使う、そのような今よりもっと進んだ時代が来るのではないか。高度化された機械装置が人間を使うことになれば、人間の立場はどのようになるのか。その昔、チャップリンの映画で機械に使われている人間の姿を面白く描いていたものがあった。人間は情報化された高度な機械を発明したが、そこで使われる人間は生きてはいるが
完全に機械に使われることになる。今でも、オートメーション工場では、ある意味で人間が機械に使われている姿である。それがもっと進歩してしまう、と云う事だ。時代に追い付けない人にとっては住みずらい、生きずらい世界になるだろう。


小生は、その昔、第2世代のコンピュータによる情報処理の仕事をしていたことがある。まだメモリーがトランジスターの時代である。マシン室には記憶処理装置が並べられていて、空調が常時行われていた。もしも空調が切れるとマシンは即座にダウンしてしまう。その後、トランジスターの出現でメモリーは縮小化された。そして、手のひらサイズの電卓が出現したのだ。小生が当初使っていたコンピュータが手のひらに乗るサイズになった時は驚きでいっぱいだった。その後のメモリーの縮小化はますます進んでギガサイズに迄小さくなってしまった。あと10年経ったらどんなサイズになってしまうのだろうか。


時代が変わってもコンピュータにはプログラムが必要なのは今でも変わらない。若い人たちがプログラミングを実際に作ってコンピュータがどのように作業するかをしっかりと学んでほしい。そして未来のある素晴らしい世界を作ってほしい。時代の進化に乗って素晴らしい生活ができるようにしていって欲しい。情報処理が進化して戦争がなくなればいいのだが、今の状況を見ていると平和利用は進まないかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする