一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

貧困は国や社会だけの責任ではない

2019-09-30 05:23:09 | 日記
貧困問題は深刻だ。国や社会がどのような形で貧困を減らそうかと様々な取り組みをしている。そもそも、貧困はどのように生じてしまうのか。貧困に陥った人はどうしてそのような状況になってしまったのか。それは千差万別で色々あるだろう。しかし、その原因を何時も国や社会のせいで貧困になってしまった、と論じている人たちがいるが、果たしてそうだろうか。貧困に至る道のりは複雑で、それこそ個人ごとに異なるだろう。テレビなどで報じているのはその一部に過ぎないが、個人の責任でそのようになってしまった人も多くいる。

例えば、サラリーマンだった人が将来を見越して独立したが上手く軌道に乗せられないで破綻してしまった人。小さな商売を続けていたが、店を拡大して大きな投資をして失敗してしまった人。夢を見るのはいいが、それがどこまで実現性があったのか、ということだ。個人が独立するには大きな努力と発展性のあるものを見つけること、そしてお金が必要だ。新しく独立しようとしている人たちが描く未来は果たして世の中で発展していくだろうか、という見込みだ。物を売るのであれば多くの人が買ってくれそうなものを販売する。

新しい技術を売り物にするにはそれを活用できるような社会になっているかどうかだ。最近流行しているネット販売などは、売れ筋商品が何か、ということを常に見ていないといけない。社会の隙間を狙った商売が多く見受けられるが、競争は半端なく激しいことは確かだ。様々な商売をしていくには、目を何処に付けるか、ということだ。時流に乗ることも重要だろう。ヒット商品が出ても直ぐに真似をしたものが出回ってしまう。真似をされにくい商品を考えることも必要かもしれない。

以上のような形で商売を始めた人が、果たしてどのくらい成功しているだろうか。商売は失敗をすれば借金が残る。失敗を繰り返すと将来貧困に陥る可能性も出て来る。最初から貧困だった、という人はそれほど多くないのではないか。貧困に至る過程を考えたら、人生で冒険をした方が良いのか、という疑問に突き当たる。生れてからサラリーマンしか経験のない人が殆んどの時代の中で、独立して成功した人は一握りの人しかいないはずだ。そこに人生を掛けて、失敗した人は殆んどだろう。

貧困に陥った人は、自分の人生を振り返って何故貧困になってしまったのかを一度考えたらどうだろうか。責任は国や社会ではないことがよく解るはずだ。責任転嫁をしたところでどうにもならないだろう。
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芸術なら他人の写真を焼いても許されるのか

2019-09-29 07:43:40 | 日記
すべてを「芸術だ」と主張して「何でもあり」と思っている人がいるが、それは間違っている。芸術を拡大解釈していくと基本的人権を無視してしまうことになる。「表現の自由だからすべて許される」という考え方は前にどこかで聞いたことがある。少なくとも公序良俗に反することはやってはいけない。そして、血税を使って自分勝手なことをすることは許されない、ということだ。そんなに自由にやりたいのなら自分のお金を使ってやればいい。韓国の慰安婦(売春婦)像を日本で展示することはどうか。それじゃ、韓国へ行って旭日旗を展示してみたらいい。

人間が「いやだ」と思うことをされると、例えそれが公序良俗に反していなくても嫌なものは嫌のである。そもそも、慰安婦(売春婦)像がなぜ芸術作品なのか。すべてを芸術作品だ、と勝手に定義すればすべて芸術作品になるのか。それなら「カギ十字」も芸術作品になるのか。人を殺しているところが芸術作品になるのか。「皇族の写真を焼いているところを芸術作品だ」と主張したことに対して果たしてそういうことが許されるのか。そんなに写真を燃やしたいのだら自分の写真でも焼いたらどうだ。すべてを芸術に結び付ければすべて芸術作品になる、という解釈なのかもしれないが、それは他人に押し付けることではない。

芸術が万能だと訴えているようだが、世の中は芸術で生きているわけではない。芸術作品なんてあってもなくてもどうでもいいのだ。人に不快な気持ちにさせるものなんて決して芸術作品ではない。世の中でそれを芸術作品だと言っている人間は自己満足にすぎない。慰安婦(売春婦)像を芸術作品だと思うのは世界中を探しても朝鮮人しかいない。別に芸術にランク付けをするわけではないが、もしも韓国の慰安婦(売春婦)像が芸術作品だというなら、そんなものはとても芸術作品とは思えない。要は、政治的な意図をもって作られたものは芸術作品をは言えない。

慰安婦(売春婦)像を芸術作品だと思うなら、世界中の芸術家に問うてみるがいい。果たしてどのような答えが返ってくるだろうか。皇族の写真を勝手に焼いているところも芸術作品だと思っている人にはとても芸術家とは思えない。芸術家と思うのは勝手だが、それを他人に押し付けるのはやめてもらいたいし、公費を使うこともあってはならない。やりたければ自分のお金を投じてやればいいのだ。芸術家気取りでいられるのは自分が訴えていることが受け入れられているからではない。単なる興味本位の人もいるということだ。
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韓国、経済で撃沈間近

2019-09-28 05:10:26 | 日記
韓国経済は軍艦でいえば撃沈間近になっている。船底には穴がそこいら中に開いている状態。穴からは海水が入り込み、船は傾いている。まるでセウォル号と同じ状態になっている。軍艦には、武器が沢山積み込まれているが、殆んど役に立っていない。船員が沢山乗り込んでいるが、船が危機を迎えようとしている事を知っているものは少ない。船長は船が傾いているが、何故傾いているか原因を調べようとしない。多くの船員が甲板に集まっているが、あまりにも集まりすぎて、船の傾きがより大きくなっている。

今の韓国経済は上記に書いた軍艦と同じ状況になっているのだ。船体を大きくしたが、殆んど使い物にならないのだ。基礎を何も考えていなかったために船を上手く動かせないのだ。今の韓国は国民が大統領の言うことを何も考えないでただ聞いているだけで何もしない。デモをしたり、騒いだりしているだけで経済的な活動は何もしない。仕事をしないで食べて行けるような仕組みがあるのだろう。そこには国からの何らかの補助金が出ているのではないか。働かないで食べていければ、誰も働かなくなる。

こんな国が果たして経済発展ができるだろうか。経済を活性化するには、国は勿論のこと企業が活動しやすい形を作らなければならない。若者の失業者が多数出ている、ということは労働者と使用者との間にミスマッチがある、ということだ。これを解消しないで労働生産性を上げることはできないだろう。最低賃金を無条件に大幅にアップさせれば、中小・零細企業は雇用を控えるのは当たり前のことだ。失業者を減らす政策をしないまま最低賃金だけをアップさせるとどのようなことが起きるのかは経済学者でなくとも判らないはずはない。

財閥企業最優先で行ってきた国の政策がここにきて糞詰まり状態になったということだ。国の政策が招いた結果である。経済で世界に立ち向かうには国と産業界が共同で当たらなければならない。韓国の場合、輸出産業をある特定の企業集団に集中させていた。従って、輸出が行き詰まると国の経済は必然的に行き詰まってしまう。経済はバランスを保たなければならないのだ。何処かを優先させることはやっても、それを長く続けるのは危険だ、ということだ。韓国経済の破綻は目の前に迫っている。

韓国丸が何時撃沈するか、時間の問題だろう。IMFが何かしてくれるだろう、という甘い考えがあるのかもしれない。韓国を取り巻く周辺国家は誰も手を差し伸べることはない。自滅を待つだけだ。韓国よ、さようなら。
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韓国のアキレス腱は日本が握っている

2019-09-27 04:38:02 | 日記
韓国は日本に対して様々な言いがかりをつけている。特に最近の文大統領は常識を超えている発言が目立つ。しかし、非常識発言も諸外国へ伝わるとそれが
真実のように広がっているのが事実なのだ。ここで少し考えてみよう。日本は韓国に対して何も出来ないわけではない。韓国のアキレス腱を日本は多く握って
いるのだ。それを必ず使う時が巡ってくる。アキレス腱となるものが多くある中で、どのように使い分けて実行するかである。化学物質の3件については
相当の効果があった。

貿易管理強化によってホワイト国(現在はAクラス)から韓国をBクラスに格下げした。最も大きな効果が期待できるのが経済制裁である。韓国の貿易に
直結している貿易の信用状(LC)である。現在、韓国のLCは日本の銀行が保証している関係で世界に通用している。このLCを日本の保証を厳しくしたら
韓国の貿易が行き詰ってしまうだろう。要はLCの手加減次第で韓国の貿易を押さえることができるのである。韓国にとって貿易は経済の要である。

韓国は貿易で生きている国だ。その貿易を日本がコントロールできるということを知らしめることは簡単である。韓国が幾ら強気に出ようがLCの発行を制限したら韓国は困るはずだ。このLCの発行を握っているのがみずほ銀行と三菱UFJ銀行の2行である。特に三菱UFJ銀行は韓国で行われようとしている元徴用工の財産差し押さえをしている企業が三菱系であることだ。若しも、財産差し押さえしたものを現金化したら、日本政府の制裁と同時に三菱UFJ銀行が行っているLCの保証も実施されなくなるのではないか。

そうなると韓国政府にとっては手痛いものになるはずだ。このような事情で韓国の元徴用工裁判で差し押さえた債権の現金化が進まない原因ではないだろうか。また、同じことがみずほ銀行にも言える。みずほ銀行が支配している企業の債権が徴用工の裁判で現金化したら同じようにみずほ銀行もLCの保証を打ち切ることになるだろう。韓国が最も手痛いのは貿易である。この他にも韓国で輸入している石油はすべて日本が保証しているものだ。石油代金も日本が保証しているので韓国は輸入が出来るのだ。

若しも、日本の保証がなければ韓国は石油の輸入を現金で決済をしなければならなくなる。このように日本は韓国のアキレスけんを握っていることを韓国は認識しているかどうかだ。今の韓国の大統領の一連の発言は自己保身のために行っている、ということだ。日韓GSOMIA破棄も自己保身から国益を捨てたのではないか、ということだ。安全保障という国で最も重要な国益を単に自分を保身するために捨ててしまう、という愚かな行為をしてしまう国の代表、他の国では考えられない行為である。

要は国を任せる人は国民が選ぶということ。日本も同じだろう。今の野党連合に国を任せた韓国と同じことが起きるだろう。自分たちの運命を疎かにしてはいけない。責任ある政党に国を任せないと韓国と同じ道を走ってしまう。再び旧民主党政権と同じ道に走らないようにしたい。
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環境問題から火力発電を今よりも縮小できるのか

2019-09-26 09:30:06 | 日記
環境の事を考えると、電力を今のような形で使用するとしたら、一体どのように電力を確保し当ら良いのか、ということになる。日本では今まで、火力、水力、原子力という三本柱になっていたが、原子力発電が拒絶されている現状から、これに代わるものを探さなければならない。そこに出てきたのが再生可能エネルギーだ。しかし、どのようにあがいても再生可能エネルギーで原子力発電をすべて賄うことは難しい。ここにきて火力発電もやり玉に挙がってしまった。日本のエネルギーを水力発電と再生可能エネルギーだけで賄うことは不可能だ。

火力発電は現在原料としてLNGを使用している。そのようにしているにも拘らず一酸化炭素を排出する、ということで制限をされようとしているのだ。問題は原子力発電である。フランスなどは全エネルギーの70%を原子力発電でカバーしている。日本では福島の事故から行く行くは原子力発電をすべて廃止しようという動きが広まっている。果たしてそのようにすることが正しいのだろうか。日本における再生可能エネルギーの普及は中々進まない。今のまま進むと日本は必ずエネルギー不足に見舞われることになる。

何時かは北海道電力のようなブラックアウトが全国の何処かで起きる可能性が出て来る。電力が絶対的に不足する時代が出た場合、どのように対処するのか。四方を海に囲まれた日本ではヨーロッパの様に他国から電力を購入する事が出来ないのだ。ドイツの様に原子力発電を止めることで電力料金が2倍に跳ね上がっているのである。フランスの電力料金とドイツの電力料金は4倍くらいの価格差があるといわれている。日本はドイツ並みの電力料金になることに誰も異議を唱えないのだろうか。

原子力発電を止めることのデメリットについては、日本のマスコミは殆んど報道しない。野党でさえも原子力発電をすべて廃止にし、火力発電も制限されたら、日本のエネルギーをどうするのか全く回答を見せていない。再生可能エネルギーという奇麗ごとを並べていても電力は何処からも生み出せないのだ。再生可能エネルギーだけで、産業用のエネルギーをすべて賄うことは不可能なのである。日本人の今の生活をすべて30%くらい縮小すれば可能かもしれないが、そんな生活が果たしてできるだろうか。

再生可能エネルギーは絵に描いた餅としか言えないのである。理想を並べ立てても生活はできない。そもそも日本人が今の生活レベルを30%縮小できるだろうか。電気の使用量を30%減らすことが如何に難しいかである。電気料金を挙げればできる、というものではないのだ。電気使用量を減らすことができるか、ということなのだ。火力発電を減らして再生可能エネルギーに転換できれば苦労はいらない。要は出来ないことを幾ら検討しても始まらない。若しも産業活動を縮小する、ということになれば、経済成長も引き下げる、ということだ。まあ、日本の成長を支えた活力がどうなるか、ということだ。
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