おいおいそれは違うだろ。お隣の中華人民共和国には日本を含めた資本主義国よりももっと大きな所得格差があるじゃないか。この政党、一体どこを見て言っているのだろうか。中国の所得格差は、日本と比べたら天と地の大きさ位あるではないか。日本共産党はもう一つ誤りを言っていた。それは身分格差だ。少なくとも日本には身分格差はない。あるという人もいるが基本的には身分格差は存在していない。中国には歴然とした身分格差が存在する。それは共産党員であるかないかの差である。中国では共産党員は、エリートの存在であり、共産党員であれば処遇が異なるという。
日本では、何処の団体に属していようが、何処の学校を出ようが、その団体で役職についていようが、身分上の格差は存在しない。中国の格差は半端ないくらい大きい。そもそも、中国では共産党員になっていないと省庁の役職、政府の役職に就くことはできない。この身分上の格差は計り知れないほど大きい。民主主義国家ではすべての人民は平等である。共産主義国家、社会主義国家との違いは将にここにある。民主主義とは、どういうものかはここを見ればよく分かる。ロシアにおいても同じことが云える。要は、共産主義国家、社会主義国家は平等な社会ではない、ということだ。日本にある政党のうち、少なくとも日本共産党、社民党などは民主主義政党とは言えないのではないか。
中国という国家は、共産党一党独裁国家である。香港は長い間、民主主義を確保していたが、中国に返還されて20年経過したら、完全に中国本土と同じになってしまった。国家安全維持法なる法律を作り、自由と民主主義を完全に捨て去ってしまったのだ。香港はもはや昔の香港ではない。単なる中国の出先機関の一つである。話を元に戻すと、格差という言葉、共産党員たちは、身分
格差をどのように考えているのだろうか。また、現在の中国における所得格差をどのように考えているのだろうか。もう一つ、現在の共産党国家は、完全に見張り社会、密告社会である。若しも、このような見張り社会、密告社会が世界中に広がったら、人間は完全に自由な考え方、自由な行動を行うことはできなくなるだろう。
今の中国を見ていると、共産党員だけが富裕層になり、それ以外の人間は貧民層になってしまう。この格差を日本共産党はどのように説明するのだろうか。今の日本は格差が存在しないとは言えないが、共産主義国家の格差と比較したら決して大きいとは言えない。人間社会は全て自由で平等にしたいという希望、願望を持っているが、それを実現している国は存在しない。理想の社会を夢見ているのはいいが、現実の社会は理想に近づけようと努力するが、理想通りにはならない。その昔、理想郷なる集団生活を実行していた人たちがいたが、理想通りにはいかなかった。理想はあくまでも理想なのだ。
日本では、何処の団体に属していようが、何処の学校を出ようが、その団体で役職についていようが、身分上の格差は存在しない。中国の格差は半端ないくらい大きい。そもそも、中国では共産党員になっていないと省庁の役職、政府の役職に就くことはできない。この身分上の格差は計り知れないほど大きい。民主主義国家ではすべての人民は平等である。共産主義国家、社会主義国家との違いは将にここにある。民主主義とは、どういうものかはここを見ればよく分かる。ロシアにおいても同じことが云える。要は、共産主義国家、社会主義国家は平等な社会ではない、ということだ。日本にある政党のうち、少なくとも日本共産党、社民党などは民主主義政党とは言えないのではないか。
中国という国家は、共産党一党独裁国家である。香港は長い間、民主主義を確保していたが、中国に返還されて20年経過したら、完全に中国本土と同じになってしまった。国家安全維持法なる法律を作り、自由と民主主義を完全に捨て去ってしまったのだ。香港はもはや昔の香港ではない。単なる中国の出先機関の一つである。話を元に戻すと、格差という言葉、共産党員たちは、身分
格差をどのように考えているのだろうか。また、現在の中国における所得格差をどのように考えているのだろうか。もう一つ、現在の共産党国家は、完全に見張り社会、密告社会である。若しも、このような見張り社会、密告社会が世界中に広がったら、人間は完全に自由な考え方、自由な行動を行うことはできなくなるだろう。
今の中国を見ていると、共産党員だけが富裕層になり、それ以外の人間は貧民層になってしまう。この格差を日本共産党はどのように説明するのだろうか。今の日本は格差が存在しないとは言えないが、共産主義国家の格差と比較したら決して大きいとは言えない。人間社会は全て自由で平等にしたいという希望、願望を持っているが、それを実現している国は存在しない。理想の社会を夢見ているのはいいが、現実の社会は理想に近づけようと努力するが、理想通りにはならない。その昔、理想郷なる集団生活を実行していた人たちがいたが、理想通りにはいかなかった。理想はあくまでも理想なのだ。