日本に運転免許制度が出来たのは戦前、しかし、自動車が一般に普及したのは戦後の1950年代後半。今の自動車台数は全く予想していなかった。一方、運転免許を取得する人の数はうなぎ登りに増え、現在では成人の殆んどが運転免許を取得している。このような状況にも拘らず、運転者に対する事故の刑事罰は昔と大して変らない。自動車が凶器と化するのは事故の多発化でよく現れている。
自動車の性能は抜群に良くなり、スピードも出せるようになった。自動車メーカーは安全性にも力を入れているかもしれないが、車を運転するのはあくまでも人間。制御するのも人間である。大量の人をひき殺すこともできるようになった車を、今のままでいいのだろうか。車の加速を出来るだけ早くするのはいいが、それが凶器となった場合、多くの犠牲者が出てしまう。
もう一つ、運転免許を取得する場合、本人の申告を第一に考えているが、病気など、運転に支障を来すような状態で免許を取得して、事故を起した場合の対応である。若し、申告を重視するというのなら、事故を起した場合には、それなりの責任をつることが必要である。又、事故を起したら免許を取得できないようにするのも必要である。免許を取得できないと仕事に就けなくなる、と云うが、事故を起して死傷者が出ることの方が優先するのではないか。優先順位が逆になっているとしか思えない。人の命が大切だ、といいながら、運転免許不適格者に免許を与えている情況は、将に命を容易く失わせているものである。
日本では、自動車事故を起した場合、諸外国に比べて極めて罪が軽い。特に、自動車運転過失致死傷などは過失に重点が置かれていて、軽すぎる。少なくとも重過失に該当するはずだ。故意でなければ総て過失扱いになること自体問題がある。「未必の故意」と云う言葉があるが、殆んどの自動車事故はこれに該当すると思う。完全な過失など考えられないような事故でも過失とされ、被害者は泣き寝入り状態になってしまう。
日本では、一般的に罪を重くすると犯罪が減少する傾向にある。自動車犯罪は多く発生し、罪を逃れようとする人間がこれほど増えている状況から、罪を一段と重くすべきである。自動車は凶器である。運転者が法律をしっかりと守れば、事故など起きないはずなのだが、守らない人間が多くいる限り、罪を一段と重くしなければならない。居眠り運転だから過失だ、と云うのは如何にも罪を逃れるための言い分に過ぎない。居眠りしない努力をしていなければ、未必の故意、である。これは法律の解釈を拡大しているわけではない。
世の中に自動車がなければ、一般の生活にも支障を来す時代になっている。その半面、事故により多くの被害者が出ていることも事実。自動車社会とどのように付き合っていくのか、国がもっと真剣に取り組まなければならない。
自動車の性能は抜群に良くなり、スピードも出せるようになった。自動車メーカーは安全性にも力を入れているかもしれないが、車を運転するのはあくまでも人間。制御するのも人間である。大量の人をひき殺すこともできるようになった車を、今のままでいいのだろうか。車の加速を出来るだけ早くするのはいいが、それが凶器となった場合、多くの犠牲者が出てしまう。
もう一つ、運転免許を取得する場合、本人の申告を第一に考えているが、病気など、運転に支障を来すような状態で免許を取得して、事故を起した場合の対応である。若し、申告を重視するというのなら、事故を起した場合には、それなりの責任をつることが必要である。又、事故を起したら免許を取得できないようにするのも必要である。免許を取得できないと仕事に就けなくなる、と云うが、事故を起して死傷者が出ることの方が優先するのではないか。優先順位が逆になっているとしか思えない。人の命が大切だ、といいながら、運転免許不適格者に免許を与えている情況は、将に命を容易く失わせているものである。
日本では、自動車事故を起した場合、諸外国に比べて極めて罪が軽い。特に、自動車運転過失致死傷などは過失に重点が置かれていて、軽すぎる。少なくとも重過失に該当するはずだ。故意でなければ総て過失扱いになること自体問題がある。「未必の故意」と云う言葉があるが、殆んどの自動車事故はこれに該当すると思う。完全な過失など考えられないような事故でも過失とされ、被害者は泣き寝入り状態になってしまう。
日本では、一般的に罪を重くすると犯罪が減少する傾向にある。自動車犯罪は多く発生し、罪を逃れようとする人間がこれほど増えている状況から、罪を一段と重くすべきである。自動車は凶器である。運転者が法律をしっかりと守れば、事故など起きないはずなのだが、守らない人間が多くいる限り、罪を一段と重くしなければならない。居眠り運転だから過失だ、と云うのは如何にも罪を逃れるための言い分に過ぎない。居眠りしない努力をしていなければ、未必の故意、である。これは法律の解釈を拡大しているわけではない。
世の中に自動車がなければ、一般の生活にも支障を来す時代になっている。その半面、事故により多くの被害者が出ていることも事実。自動車社会とどのように付き合っていくのか、国がもっと真剣に取り組まなければならない。