一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

政治家は政治活動費をすべて公表すべき

2014-10-31 05:47:14 | 日記

『1万円以下の政活費「開示を」…最高裁が初判断』という事が決まった以上、政治家は全ての経費の明細を請求があった場合、公表すべきである。通常、企業では例え100円の支払いがあった場合でも領収書の添付が必要になる。当たり前のことが政治家には何故当たり前ではないのか。政治家の世界は別世界だと言いたいのか。こんなことをやっていては何時まで経っても政治家を全面的に信用できない。

国会議員の政治活動費でも問題が起きている。大臣になったから政治活動費の詳細を調べたら、おかしな使い方をしていた、という事が判明している。これをみると、大臣になっていない国会議員は一体どうなっているのだろうか、と言う疑問が出てくる。大臣以外は本当に経費の明細を記帳しているのだろうか。入出金がはっきりしない経理は、小学生が作るただの小遣い帳と同じだ。

何故経費の明細をインチキするのか。出したくないお金だったのか。入金を記帳することで何か不利なことが起きるのか。要は、お金の明細を書かなかった理由は何だったのか、という事だ。通常、金銭の入出金は全て記帳することになっているはず。出入りがはっきりしているのに記帳できない。そこに何か裏取引があったとしか思えない。過去の政治家で、金の切れ目が政治生命を絶ったことが幾つかあった。政治家と金の関係は複雑怪奇なのは今も昔も変わらない。

政治家には多くのお金が掛ることは解る。しかし、政治資金規正法と言う法律があり、それに乗っ取ってお金の使い方が決められている。決められた内容でお金を使い、それに対する金銭の記帳は当然行わなければならないはずだ。それが真面にできない政治家は政治家になるべきではない。幾ら政治的な信条が立派でもお金にふしだらでは政治家として失格である。何時の時代になっても政治と金の問題が浮上するようでは政治に対しての不信感は消えない。そろそろ政治と金の問題が綺麗になるようにもっと努力をすべきであろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小説・韓国歴史教科書

2014-10-30 05:55:06 | 日記

現在、韓国で使用されている歴史教科書は全てが小説そのものである。作品としては面白くもないし、おかしくもないし、楽しくもない、つまらない内容だ。三文小説と言えるほどの内容でもない。若しも、書店にこの小説が並んでいたら誰も見向きもしないであろう。そんなつまらない内容であることよりも、これを教科書として国民に歴史を教えていることが滑稽である。

恐らくこのような教科書を使っている国は世界でこの国だけではないだろうか。勿論、発展途上国でもこのレベルの教科書を見つけるのは難しい。小説として読むにもお粗末と言える内容だ。日本で発行されている歴史小説の方が格段素晴らしい。何しろ、日本の歴史小説は真実の歴史を元にして作られているからだ。ところが、韓国の歴史教科書は、歴史そのものが捏造されたものであり、小説の題材にもならないほど低劣なものだ。

何故このような教科書が出来てしまったのだろうか。この民族が持つ特質ではないか。ウソと捏造をしてでも、それを歴史としたいという願望が強く働いている。そのために、ウソと捏造した筋書きを歴史に仕立ててしまった。小説を歴史にしてしまう民族は聞いたことがない。神話や童話であればそれはそれで立派な小説になり得るのだが、小説ではなく歴史にするという神経が普通ではない。

文章を書いた学者は小説のつもりで書いたのか歴史書のつもりで書いたのか、解らない。現時点で歴史を新しく作る、と言う快挙をしてしまった朝鮮人学者の能力はどうなっているのだろう。それを生徒が真実だと思ってしまった国民はどうなるのか。当然自国の歴史が小説だとは思っていないだろう。他国に向かって捏造された歴史小説を「これが歴史だ」と叫んでも、あっけにとられてしまう。狂気に走っているようにも見える。歴史を作る、という事を平気でやってしまう朝鮮人は、世界の笑いものになること請け合いだ。自国の歴史も真面に解らない民族に明日はない。

小節なら小説らしく書いてほしいし、教科書なら教科書らしく書くのが常識。常識も解らない朝鮮人は、これが通常の考え方なのかもしれない。掃いて捨てるしか処理の使用が無い民族だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国会議員は何故法律を守らない

2014-10-29 05:51:14 | 日記

全ての国会議員が、という事では決してない。昔から法律や規則をしっかりと守っている国会議員もいることは確かだ。しかし、大臣に新しく就任した国会議員の中には当然守らなければいけない法律を守っていない人もいる。今回、その幾人かについては基本的なことが守れなかった国会議員もいた。国会議員は忙しいかもしれないが、その側近にいる秘書たちは国会議員本人に代わって仕事を引き受けているのだから、法律や規則を守らなけれなばらないのは当然のことだ。

国会議員自身は秘書がやっていることについて100%チェックしているわけではなく、多くの仕事を秘書たちに任せているのは企業と同じだ。秘書と言ってもベテランもいれば新人もいる。ベテラン秘書は新人をしっかりと教育することが必要だ。今回の件ではどの秘書が全ての書類の点検やチェックをしていたのだろうか。どんな仕事でもいえることだが、チームワークを組んで仕事をする場合、全てに関してチェックできる人が一人は必要なのだ。

仕事の分担が上手くいっている時はいいが、どこかに穴が出来ると仕事におけるミスが起きやすい。それはチームワークを組んで仕事をするときの最も注意しなければならないことだ。国会議員と言う一つのプロジェクトチームがある場合、勿論国会議員はプロジェクトリーダではあるが、実際には秘書チームが総責任を持って仕事を進めることになるだろう。但し、何かがあった場合には、その責任はすべて国会議員になる、という事だ。

法律を守る、と言うことは単純なことかもしれないが、国会議員にとっては命の次に大切なものなのである。これをきっちりと遂行できない国会議員は、何時かはその綻びにより議員資格を失ってしまう運命にある。そうならないためには、秘書たちは普段から法律を頭の中に入れておかなければならないはず。それが出来ない秘書は秘書失格である。国会議員の片腕になっている秘書は両腕になっているケースもあるはずだ。国会議員が悪いのか、それとも国会議員が秘書の教育を怠っていたために起きたのか、判断は難しいが、少なくとも国会議員の命取りになるようなことをしてしまったら、それこそ秘書失格である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高速鉄道の輸出競争、日本が勝つか

2014-10-28 06:16:27 | 日記

高速鉄道の輸出競争が一段と激しくなってきた。現在進行形の高速鉄道は時速300キロを中心にした鉄道である。現在、この高速鉄道は日本、中国、フランス、ドイツの技術を中心にして動いている。しかし、高速鉄道の進歩はこのスピードで終わりではない。今、日本で進行中の高速鉄道は時速500キロである。所謂、リニア新幹線が日本では直ぐ目の前に完成しようとしている。東京と大阪を結ぶリニア新幹線はおよそ570キロの距離を僅か1時間くらいで到着できるようになる。

このリニア新幹線は、世界で日本だけが最新技術を持っている。技術開発において日本が先導しているわけだ。若し、中央リニア新幹線が完成したら、この分野においては日本しか製造技術は持っていないことになる。中国は先進国が開発した新幹線技術を盗作して現在に至っている。リニア新幹線は、中国には絶対に負けない技術を持っており、これを中国に売り込む場合には絶対に真似のできない方法を考えなければならない。

中国との共同開発は、絶対にやってはいけないことなのだ。リニア新幹線の技術は日本が守らなければならない技術なのである。このリニア新幹線はアメリカでも注目を集めており、いずれアメリカ大陸を走ることになるかもしれない。また、ロシアやヨーロッパ、鉄道王国インドにも輸出されれば中国としても黙った見ているわけにはいかなくなるだろう。但し、日本が開発した技術は絶対に中国ではまねのできないものにしなければならない。

現在、航空機で結ばれている路線のうち、1000キロくらいの距離までについてはリニア新幹線に取って代わることになるかもしれない。航空機の場合には事故が心配されているが、新幹線は線路の上を走るものだから安全性を厳しくチェックできれば飛行機に勝てることになるだろう。高速鉄道の時代がもっと華々しくなれば、世界各地でリニア新幹線が走ることになるかもしれない。そうなれば日本の先端技術が世界の華になることだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法治国家に成れない中国と韓国

2014-10-27 07:56:49 | 日記

この二つの国、政治制度は大きく異なるが、法治国家としての最低限度のこともできないという事。法治国家は、字で書いた通り法律を守ること、が第一である。法律の良し悪しもあるが、取り敢えず自国で成立した法律さえ守れない、という事なのだ。そして、法治国家として守らなければならないことは民主主義を守ることだ。共産党一党独裁であっても民主主義国家であることは可能なのである。また、韓国の場合は、自ら民主義国家と言っているにも拘らず、遣っていることは民主主義に反することをやっている。

国内の法律が守れなければ当然のことだが国際法も守れない。また、人権に反することを平然と法律として制定されることをやっているのが韓国である。この国は、ある意味、中国よりも質が悪いかもしれない。中国も並大抵の国歌ではない。チベットやウイグル地区での行為は人権を阻害した政策を取っている。人種差別だけでなく信教の自由も認められない。そして報道の自由も殆どない状態だ。

幾ら立派な法律を制定しても、それを守れなければ何にもならない。法律は作っただけでは役に立たない。それが人民のための法律でなければならない。民族を弾圧したり人権を無視したり、信教の自由を認めなかったり、では法理国家とは到底言えない。韓国の場合は、民族的に大きな欠陥があるように思えてならない。法律云々の問題ではないようだ。感情が走っていて真面に判断が出来ない状況だ。

この二つの国家に言える共通なことは、共存共栄は難しいという事。人類の平和を築くためには、このような国が存在することは極めて悲しいことと言える。人種差別を平然と行ったりする国は余り例を見ない。国際法を全く無視する国も外の国では殆ど見られない。どうすればいいのだろうか。特に日本はこの二つの国と海を境に接している。隣に変人がいる、と言う程度ではない。まるで気違い国家なのだ。いや気狂い国家である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする