今の法律の欠陥であり、穴である。刑法では、「人を殺害する意思(殺意)があるかどうか」で殺人罪の適用の可否が決まる。この法律は飽く迄も犯罪者の殺意の有無によって刑罰の種類が決められることになっている。しかし、犯罪者は、殺人を犯した後、必ずと言っていいほど殺意を否定している。殺意が否定されれば、殺人罪を適用するには、殺意があったことを検察側が証明しなければならなくなる。特に最近の傾向として、弁護士が決まると必ず殺意を否定し、殺人罪を逃れようとする。
今回の死体遺棄事件、殺人罪を適用できない理由がもう一つある。それは、死体から殺人であるという証拠が見つからないからだ。死体が時間の経過によって殺されたのかどうかが確定できないのである。コンクリート詰めになったものや、白骨化した死体は死因を確定するには極めて困難なことになる。殺人者は、若しも捕まったとしても殺した証拠が見つからなければ、殺す意思がなかったと主張すれば殺人罪の適用は殆どできないことになる。
小生は、状況証拠から殺されたと看做していい状況にあれば、すべて殺人罪を適用することにすればいいのではないかと考える。例え、殺す意思がなかったとしても、死体を遺棄したことが殺人罪を隠すために行ったと看做すべきではないか。殺意がなくとも死体遺棄をしたら殺人罪を適用するという考え方である。誤って人を殺めたというなら、即座に自首すべきであり、死体遺棄をしたことによって過失致死罪を認めない、ということにすればいい。特に時間の経過で、検死をしても死因が確定できないことになった場合は、全て殺人罪とするということである。
殺人罪に対して厳しくしなければ、益々悪いことをする人間が増えてくる。また、証拠を隠すために死体を埋めて発見を遅らせる、殺人を隠ぺいするなど、犯罪者が有利に働くことを許すわけにはいかないのである。法律が死体遺棄罪ということしか適用できないのは刑法の欠陥である。合理的な考え方に基づいた法律改正をすべきである。犯罪者が有利に働くような法律は許せない。人を殺すことは殺される人の人権を無視することである。