菅内閣のときに東北大震災が起きた。日本では地震が起きたからといって普通は殆ど驚かない。しかし、今回の東北大震災は桁が違う。マグニチュード9.0という未曾有の大地震である。この地震の後、菅政権は立ち往生してしまった。震災を受けた被災者を救うこと、被災地の復興すること、よりも自身が考えていたことを実行することを優先してしまったからだ。優先順位の付け方を間違えてしまったということだ。ボタンの掛け違いで済むことではない。
結局、菅政権は震災復興に殆ど手をつけることなく退陣し、野田政権へと移っていった。この一連の動きから、国民は民主党政権をどのように評価しているのか。地震によって起きた東京電力原子力発電所の事故処理も菅政権では余りうまくいっていない。この原子力発電所、もともと自民党の肝入りで建設だれたもの。問題の根源はこれまでのエネルギー政策だったことも国民はすっかり忘れてしまった。
国民は、エネルギー政策の基本を忘れただけでなく、今起きている原発事故のことしか頭に入っていない状態である。現状だけしか見えていない国民が、もっと幅の広い考え方で、原発を考えなければならないのだが、そのようには進んでいない。日本のエネルギーを今後どうするのか、という基本的なことを議論しないで、原発は危険だから危ない、だからすぐに廃止、という短絡的な意見しか出てこない。今すぐに全国の原発を本当にストップしたら、日本のエネルギーはどのようになるのか、国民は全くその姿を描いていない。描こうとしていないのだ。
今盛んに自然エネルギーを推奨している。しかし、この自然エネルギー、本当に産業用エネルギーとして使えるほど沢山の電力を供給できるのだろうか。火力発電所を使えば事が済む、という考え方も環境問題と引き換えになる。原子力エネルギーをやめるには代替エネルギーで賄えるということが条件になる。今の現状ではそれが難しい。原子力エネルギーを段階的に減らし、何年後にはすべて自然エネルギーへ移行する。そのプロセスをしっかりと描けなければ、エネルギーの移行は難しくなる。
国民がもっと冷静に考え方を纏められればいいのだが、それを政争にしてしまいそうである。自民党は原発を造った張本人だから余り触れたくない。民主党も将来のエネルギーがどのように展開するのか見極めているところだ。国民は選択肢を何に求めているのかはっきりしない。化石燃料を今後も続けて使っていくことは間違いないのだが、電気料金の上昇は免れない。自然エネルギーを使うにしても電気料金は下がることは決してない。
国民が求めている理想的な電力は簡単には得られない、ということになる。夢のような代替エネルギーが生まれることを期待しても、それは期待外れになる。現実をしっかりと、捉えることが出来る国民ならいいのだが、それも余り期待できない。八方塞の状態なのだ。
結局、菅政権は震災復興に殆ど手をつけることなく退陣し、野田政権へと移っていった。この一連の動きから、国民は民主党政権をどのように評価しているのか。地震によって起きた東京電力原子力発電所の事故処理も菅政権では余りうまくいっていない。この原子力発電所、もともと自民党の肝入りで建設だれたもの。問題の根源はこれまでのエネルギー政策だったことも国民はすっかり忘れてしまった。
国民は、エネルギー政策の基本を忘れただけでなく、今起きている原発事故のことしか頭に入っていない状態である。現状だけしか見えていない国民が、もっと幅の広い考え方で、原発を考えなければならないのだが、そのようには進んでいない。日本のエネルギーを今後どうするのか、という基本的なことを議論しないで、原発は危険だから危ない、だからすぐに廃止、という短絡的な意見しか出てこない。今すぐに全国の原発を本当にストップしたら、日本のエネルギーはどのようになるのか、国民は全くその姿を描いていない。描こうとしていないのだ。
今盛んに自然エネルギーを推奨している。しかし、この自然エネルギー、本当に産業用エネルギーとして使えるほど沢山の電力を供給できるのだろうか。火力発電所を使えば事が済む、という考え方も環境問題と引き換えになる。原子力エネルギーをやめるには代替エネルギーで賄えるということが条件になる。今の現状ではそれが難しい。原子力エネルギーを段階的に減らし、何年後にはすべて自然エネルギーへ移行する。そのプロセスをしっかりと描けなければ、エネルギーの移行は難しくなる。
国民がもっと冷静に考え方を纏められればいいのだが、それを政争にしてしまいそうである。自民党は原発を造った張本人だから余り触れたくない。民主党も将来のエネルギーがどのように展開するのか見極めているところだ。国民は選択肢を何に求めているのかはっきりしない。化石燃料を今後も続けて使っていくことは間違いないのだが、電気料金の上昇は免れない。自然エネルギーを使うにしても電気料金は下がることは決してない。
国民が求めている理想的な電力は簡単には得られない、ということになる。夢のような代替エネルギーが生まれることを期待しても、それは期待外れになる。現実をしっかりと、捉えることが出来る国民ならいいのだが、それも余り期待できない。八方塞の状態なのだ。