今や、何でもビジネスにしてしまう勢いだ。『都心の納骨堂、宗教かビジネスか 想定外の課税で裁判に』という記事は将にその境界線を問われる裁判になる。何時の時代もそうだが、昔決めた物事が今になると境界線が解らなくなってしまう事がある。その昔電気が物かどうかを問われた裁判があった。刑法には電気が物であることを規定していなかったからだ。裁判では電気は物である、という判決を下したが、その後、刑法の改正があり「電気は物と看做す」という規定が追加された。
今回、裁判になっているのは納骨堂である。納骨堂は書いてある字の如く亡くなった人の骨を納める所だ。最近では犬や猫などのペットの骨を納める所も出来ている。こうなると人間の骨を納める所は税金を掛けなくてペットの骨を納める所は税金が掛る、という事にもなりかねない。それでは人間とペットの両方の骨を納める所はどうするのか、という問題にもなってくる。
物事を決める場合には、あらゆることを想定しないといけない。宗教という考え方を広い意味で捉えれば人間もペットも同じだ、という事になるかもしれない。しかし、納税という事になると簡単ではない。税金は出来るだけ多く取りたい、というのが国や地方自治体の考え方だ。宗教行為をどの範囲まで認めるか、という問題になると中々難しくなる。方や、宗教かビジネスか、という問題も出てくる。
宗教の中に営業活動が加われば宗教行為ではない、と判断したのが今回の地方自治体だ。営業活動は宗教行為ではない、というが、その境目は一体何なのか。仏壇を売る会社が入っているから営業活動が加わった、という解釈のようだが、それでは、この会社を引き離せば宗教行為となるのだろうか。納骨堂に関与しているかどうかを見ているとしたら、もっと難しくなる。税務署の解釈は、一切の営業活動が入らない納骨堂だけなら税金を掛けない、としているのかもしれない。
しかし、そんな形式的なことよりも納骨堂を民間企業が行ったら一体どうなるのか。別に宗教法人が行わなくても出来そうだ。僧侶や牧師は必要の都度呼ぶことが出来るし、特に営業活動をしないでも納骨堂の管理は出来る。納骨堂ビジネスが今後もっと活発になるかもしれない。税金さえ納めれば、形を変えたビジネスに発展しそうな気がする。納骨堂は宗教施設だ、という税務署の考え方そのものも変えなければならないかもしれない。