一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

宗教かビジネスか、境界線は何処に

2015-11-30 13:25:25 | 日記

今や、何でもビジネスにしてしまう勢いだ。『都心の納骨堂、宗教かビジネスか 想定外の課税で裁判に』という記事は将にその境界線を問われる裁判になる。何時の時代もそうだが、昔決めた物事が今になると境界線が解らなくなってしまう事がある。その昔電気が物かどうかを問われた裁判があった。刑法には電気が物であることを規定していなかったからだ。裁判では電気は物である、という判決を下したが、その後、刑法の改正があり「電気は物と看做す」という規定が追加された。

今回、裁判になっているのは納骨堂である。納骨堂は書いてある字の如く亡くなった人の骨を納める所だ。最近では犬や猫などのペットの骨を納める所も出来ている。こうなると人間の骨を納める所は税金を掛けなくてペットの骨を納める所は税金が掛る、という事にもなりかねない。それでは人間とペットの両方の骨を納める所はどうするのか、という問題にもなってくる。

物事を決める場合には、あらゆることを想定しないといけない。宗教という考え方を広い意味で捉えれば人間もペットも同じだ、という事になるかもしれない。しかし、納税という事になると簡単ではない。税金は出来るだけ多く取りたい、というのが国や地方自治体の考え方だ。宗教行為をどの範囲まで認めるか、という問題になると中々難しくなる。方や、宗教かビジネスか、という問題も出てくる。

宗教の中に営業活動が加われば宗教行為ではない、と判断したのが今回の地方自治体だ。営業活動は宗教行為ではない、というが、その境目は一体何なのか。仏壇を売る会社が入っているから営業活動が加わった、という解釈のようだが、それでは、この会社を引き離せば宗教行為となるのだろうか。納骨堂に関与しているかどうかを見ているとしたら、もっと難しくなる。税務署の解釈は、一切の営業活動が入らない納骨堂だけなら税金を掛けない、としているのかもしれない。

しかし、そんな形式的なことよりも納骨堂を民間企業が行ったら一体どうなるのか。別に宗教法人が行わなくても出来そうだ。僧侶や牧師は必要の都度呼ぶことが出来るし、特に営業活動をしないでも納骨堂の管理は出来る。納骨堂ビジネスが今後もっと活発になるかもしれない。税金さえ納めれば、形を変えたビジネスに発展しそうな気がする。納骨堂は宗教施設だ、という税務署の考え方そのものも変えなければならないかもしれない。

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中国の尖閣諸島への侵略行為を許しておいていいのだろうか

2015-11-30 06:08:12 | 日記

『中国軍機、東シナ海「防空識別圏のパトロール常態化」』という記事を見て、日本国民として唖然とした。中国は南沙諸島で猛威を振るい、東シナ海でまたまた他国の領空侵犯を繰り返している。狂犬のような振る舞いではないか。日本政府は中国の行為を何もしないで見ているだけなのか。日本の野党は皆中国共産党に近い政党なので、中国の行為を何とも思わないのだろう。

今の中国は、国際法などあってもなくてもいい、という感じだ。中国が考えていることが国際法だ、というのだ。こんな国が隣国にあるというのは何とも悲しい事ではないか。世界の大国だ、と自負している中国に何か打つ手はないのだろうか。何も日本は中国に宣戦布告をしようというのではない。狂犬のような振る舞いをする中国を何とかしないといけないのだが、今のところ打つ手なし、という状況だ。

周辺国家は、中国との貿易の関係から強いことが言えないし行動もとれない。何か第2次世界大戦前のドイツ帝国を相手にしている様な気がする。牙をむき出しにしている国に対して、当時の国際連盟は何も出来ずにただ見ているだけであった。そして第2次世界大戦に突入してしまったのだ。今将にそのような状態が中国である。国際連合は何も手が打てずにただ眺めているだけ。常任理事国という中国のやり放題である。

中国の国際法無視の行動を阻止できる国はアメリカとロシアくらいしかない。しかし、今のアメリカとロシアは中国と対峙したとしても阻止することはしないだろう。特にロシアは中国に近い政策を取っている。また、アメリカにおいても中国との貿易を考えたら中国に強い態度で臨むことは無理。という事は中国のやり放題がこのまま続くことになる。何らかの形で、もし何処かの国が中国と紛争状態になったら、アメリカやロシアはどのような態度をするのだろうか。

ヨーロッパ諸国は東アジアや南アジアで起きていることは他人事に見える。自分たちに火の粉が飛んでくることはない。そんなことを考えているに違いない。しかし、第2次世界大戦前はどうだったのだろうか。今の状態とまるで同じだという事に気が付かないのだろうか。第3次世界大戦にはならない、と思っているのかもしれない。しかし、戦争なんて何時何処で起きるか解らない。現代の戦争になったら核兵器、化学兵器など危険な兵器が多くあるのだからヨーロッパに戦火が及ばないなんてありえないからだ。対岸の火事、と思っていたら何時の間にか背中に火が回っていた、という事になるかもしれない。

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中国のパクリは国家戦略

2015-11-29 06:04:29 | 日記

『パクリ横行の中国自動車市場 トレンドはSUVからEVへ』という記事を見たら、中国が国家戦略でパクリを行っている事がよく解る。元々国際法を守らない、無視する国なのだから、国家戦略にしてもおかしくはない。それにしても近代国家とは程遠い国だ。これが、200年、300年前の事ならともかく、今現在の事なのだ。中国の解釈は、中国が作った法律だけが法律なのだ、という事。

海外で、何処の国が法律を作ろうが、国際法だろうが全く関係ない。南沙諸島においても同じようなことが云われている。国際法を守らない国が現存していることが不思議だ。それもGDP世界第2位の国だ。大人になれないから尚更始末が悪い。それも国連の常任理事国と来ている。欧米や先進国は、こんな国が存在すること自体想定していなかったのではないか。

海外で犯罪を犯しても彼らの言い分は「中国の法律では違法ではない」と言い張る。それを無理に通そうとするから世界がおかしくなる。国が大きいから相手にしないわけにはいかないのだ。とはいえ、この国の通貨が今や世界に飛び出そうとしている。世界通貨になろうというのだ。中国で印刷された人民元のお札が本当に世界通貨になるのだろうか。キツネが造った葉っぱがお札になっているのではないか。

人民元のお札を受け取ったらいつのまにか葉っぱに替わっていた、などという話にならないのか。何故ここで、パクリと葉っぱを搭乗させたのか。パクリは元々他人が造ったものをタダ真似ただけ。葉っぱは人民元という訳の解らない紙幣を国際通貨にする、というインチキな話。小生から見ると、パクリ文化は似非文化、という意味だと理解している。真似から始まってより優れたものに発展していけば本当の文化に変身できる。しかし、中国はパクリに始まってパクリより進歩しない。

真似をするのは上手だが新しいことが出来ない。高速鉄道の技術も日本とドイツの技術を真似して作ったが、そこから先へ進めない。先端技術の開発が中国ではできないのは、パクリしか出来ないのと全く同じ。基礎技術が出来なければ、真似で終わってしまう。新しい技術、先端技術の開発が進まなければ何時まで経っても3流国家だ。金を手に入れても世界の先端に出ることは簡単にできない。

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日本のマスメディアは反捕鯨団体の国内での行動を何故報道しないのか

2015-11-28 13:49:41 | 日記


何処かの新聞社が「報道しない自由がある」と宣言していたことがある。『太地町の妨害を密着ルポ 集う黒い活動家 SNS駆使し、全世界にアピール デンマークでの活動参加組も集結』という記事を見て、ふと思った。この数か月間、太地街に関して日本のマスメディアでは一切報道していない。こんなことが来ていること自体、マスメディアが知らないはずがないのだ。

小生も考えてみた。欧米の反捕鯨団体に関する記事を書けば必然的に賛成か反対かをはっきりさせなければならない。マスメディアにとっては厳しい判断を迫られる。それならばいっその事、何も書かなければいい、という判断になってしまう。一般国民が知ろうが知るまいが知ったことではないのだ。マスメディアにとっては御身が大切である。下手な記事を書くなら書かない方が良い、という選択になったのだろう。

しかし、これでマスメディアの責任を果たしたといえるのだろうか。最初に書いた「報道しない自由がある」という事に遡ると日本のマスコミはマスコミという責任を果たしていないことになる。要は主義主張が全くない状態なのだ。自分たちに都合がよくない記事は書かない。まるで、中国や韓国と同じ。こんなマスメディアが国民にとって必要ないのではないか。安保関連法案の時には一斉に政府を批判した記事を毎日載せていたのに、反捕鯨団体が日本でとんでもないことをやっているのに何も書かない。

政府を批判する時には小枝化になるのにどう言う訳か反捕鯨団体のことになると黙り込んでしまう。マスメディアがこんな状態では彼らが報道している中身は信用することは出来ない。中国や韓国と同じようなことをやっているマスメディアは死んだも同然である。このような状況は少なくとも民主主義国家とは言えない。共産党一党独裁国家と同じだ。マスメディアが何も行動を起こさなければ民衆はどうするか解っているのか。

国民はマスメディアを無視することになるだろう。批判もしなければ同調もしない。その代わりに協力もしない。国民は馬鹿ではない。こんなことをしていると何時かは痛い目に合うことになる。国民がマスメディアに反旗を翻せばマスメディアは完全に死ぬだろう。

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韓国ソウルの駐日本大使館前の慰安婦銅像は国際法違反

2015-11-28 05:48:07 | 日記

韓国は国際法違反をまず是正する必要がある。国際法を守れない国と妥協することはない。日本は国際法を守る国とだけ付き合えばいいのだ。日韓関係をもっと発展させたいのなら国際法をしっかりと守り、それから交渉に入る。この考え方に基づくことがまず第一だろう。日本が何故国際法遵守を上げなければならないのか、韓国は全く解っていない。

民族主義国家となった韓国は、自国の主張だけを正しい、と判断している。これでは妥協点など見つかるわけがない。「条件付き」という事を韓国はよくやる。条件を付けた形では話し合いも何も発展しない。無条件の話し合いこそ未来に向かっての話し合いが出来るのだ。日本が主張することは全く間違っていない。韓国は条件を並べ立てて、それが飲めなければ会談は行わない、という。

アメリカがよく、日韓関係に対して「歴史認識」という言葉を出してくる。アメリカが、韓国が主張している「歴史認識」を本当に理解しているのだろうか。一方的な韓国の主張を何も考えずに日本が受け入れることなど出来るわけがないのだ。アメリカから見たら、日本が受け入れればいいじゃないか、というかもしれないが、アメリカとキューバの問題と似ている。

今回50年ぶりにキューバと国交が再開されることになった。この問題でも50年かかったのだから、日韓関係はもっと時間を必要とするだろう。既に戦後70年経過しているが、今後、少なく見積もっても、まだ100年くらいは続きそうだ。日本と韓国の関係は、一方的に決めることは出来ない。韓国が反日政策を取っている限り関係修復は出来ない、と見る。

日本は反日政策など取っていない。しかし、韓国に全てを妥協することはない。若し、新しい政権が出来て、日本が全面的に妥協するようなことがあれば、それは売国行為になる。日本人は自分の魂を売ってまで韓国に妥協することは望まない。魂を売るなら日本を潰せばいいのだ。韓国は執拗に日本を攻めれば日本は妥協するという考え方が強くある。今まではそう
だったかもしれないが、これからは違う。韓国の間違った考え方に従う必要はない。日本は法治国家、韓国は法治国家ではない。それを日本はきちんと進めればいいこと。

東アジアには野蛮国家(中国、韓国、北朝鮮)が揃っているのも不思議だ。近代国家になるにはあと何年必要なのだろうか。当分期待は出来ないが。日本人としては同じアジア人とは到底考えたくない。

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