遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

残り火

2005-11-23 17:14:07 | あまってら農園
 今日1日では焼ききれませんでした。この火を落とさなくては帰れません。
 
 火を落とす時、次の日も焚く予定がある時は水をかけてはいけません。
 火の周りに土をかけ、まわりの土の部分に木の葉等の可燃物がないように土をむき出しにしておきます。燃え切らない木は引っ張りだして互いに重ならないようバラバラにし、燻っているものは土をかけるか埋めます。
 燻っている木と木が重なっていると、風が吹いて発火し燃え広がることがありますが、バラバラにしておけば万一発火してもその木が燃えきれば終わりで延焼はしません。(単独でも燃えない方がいいので土をかけるか埋めておくのです。)
 小さな枝などは焼ききり、残った火の上にも火の粉が飛ばないように土をかけます。こうしておけば風が吹いても火の粉が舞い上がることはなく飛び火する心配はありません。土をかけたといっても空気は通るので中で燻っている木は朝までに焼け切って灰になります。
 水をかけるとこうした処理をきちんとしないで済ませてしまいがちです。大量の水で水浸しにしてしまえば別ですが、それでは次の日に困りますし、山の中では大量の水が確保できるとは限りません。
 中途半端に水をかけて消えた気になっていてもその水が蒸発しきってなお発火するだけの余熱が残っていれば周りは着火しやすい炭です。簡単に発火します。その時、燃え残りの木がキチンと処理されていないと燃え広がってしまいかねません。 『水をかけたので消えたはずだ』と言う思い込みが盲点になるのです。

 キチンと処理したつもりでも朝まで心配な焚き火です。風が吹かなければいいのですが・・・。

焚き火が仕事

2005-11-23 15:51:12 | あまってら農園
 今日の仕事は焚き火です。
 先日倒したニセアカシアの枝が畑の真ん中に山のように積み上げられたままになっています。切った木の枝は堆肥場に積み上げて踏み砕き、時間をかけて堆肥にしたいのですが、全部は無理なので太目のものを選んで焼きます。
 焼いても肥料になると言いますが焼くと炭になるだけ。炭を畑に撒くといいと言うのは別の効用であって肥料になるわけではありません。
 山の中で焚き火の跡を見ることがありますが、焼け跡の炭は10年たってもそのままです。炭は腐らないから当たり前のことですが、それが証拠です。
 
 焼くことによって木の葉に貯えられた貴重な栄養分か失われるのはもったいない話しです。出来るだけ葉っぱや小枝は土に還したい。
 林業が肥料を必要としないのは、木質部だけを収奪し葉の部分は現場に放置するからです。木質部には栄養分は少なくて殆んどが炭素なので収奪されたり焼かれることによって失われるものはあまりなく、葉や小枝を置いておくだけで充分と言うわけです。
 植物性の堆肥は熟成に時間がかかるので手っ取り早い動物性の有機肥料に頼りがちですが、天然の無機物は別として植物のみが総ての栄養素をつくることが出来るということを考えれば、木の葉こそが有機肥料の大元であると言うこと。
 せっせと落ち葉を集めるのはそのためなんだけど・・・・・・,時間がないッ!

野沢菜のつけこみ

2005-11-23 13:33:17 | あまってら農園
 畑に向かう途中で矢の沢の長老の1人,Yさんがお菜(野沢菜)を漬ける準備をしておられるところに出くわし、さっそく聞き込み。
 醤油漬けの調味液は、お菜10kgに対して醤油1升,酢3合,ザラメ500gと言うことでした。
 お菜は株の根元に虫がいたり虫の糞があったりするので、切った根元の部分を一晩水につけておくといい・・・とも。
 Yさん夫妻には粕漬けの漬け床も教わりました。一度聞いたらメモしておけばいいものをついつい毎年聞いてしまいますが、その度に新しい知識を授かります。頼りになる矢の沢の漬け物名人です。

融けない氷

2005-11-23 12:59:58 | あまってら農園
 昨日,一輪車にたまった水がぶ厚い氷になっていました。水で車が傷むので放り出しておいたのが融けずにそのまんまです。
 これだから信州では大根を干せないんです・・・って、大根まだ畑の中じゃん! 何もかも遅いわが農園です。

 畑の架(ハザ)に白い大根がずらりと並んで干されている風景っていいですよネ。多摩・八王子を走る京王線沿線では晩秋の風物詩の一つでした。
 そう言えば子どもの頃,『おおね(大根)のおっつぁん首吊ったと!』なんて言って年寄りをからかった記憶があります。『えッ! 誰が首吊ったって?』と見事に引っかかってくれたおばさんの顔を今でも思い出します。

 日野市の満願寺と言う所に畑を借りて野菜をつくっていたのですが、あれをやりたくて大根を育てたりしました。畑にずらり~とは行かなくて、2本づつ葉っぱを縛り、物干し竿に振り分けにして干したものでした。 
 8年も前,国分寺に住んでいた頃のことです。

誰も採らない山里の柿

2005-11-20 21:30:09 | 山行
 先ほど,県道を走っていて迷い込んだ集落で見た柿の木。木の間越しにはアルプスが見えています。今年は柿のなり年ですが、今は誰も柿を食べなくなりました。このまま打ち棄てられ霜や雪で熟んで鳥の餌になるのを待つばかりです。

 時間が押してきているのでここから稜線を離れて下ることにしました。が、何とも凄い斜面です。いかな義経でもこれは無理と思える逆さ落としの絶壁に近い斜面を滑りながら降りたのですが、それでも鹿の足跡だけはしっかりついていました。
 かなり下ってようやく道に出ました。今度は間違いなく山人の道です。一息ついたものの、この道がまた延々と北進するばかりで一向に県道に下る気配がありません。やむなく適当な所から再び谷に向かってダイビングです。やがて左手からガリーが1本入ってきてそれに沿ってどんどん下りましたがその長いこと・・・。
 うんざりするほど下ってようやく傾斜が緩くなったあたり,かつて桑畑だったと思われるやや広い畑が段丘をなして徐々に下っていく場所に出ました。
 出作り小屋があったので県道は近いと思ったのに、そこから先がまたまたうんざりするほど長く半ばやけくそになった頃,ようやく県道にたどり着きました。そこは境界線をすでに越えていて明科町でした。

境界線はどこだ?・・・地図のない山歩き~ウスタビガの繭を見る。

2005-11-20 21:18:39 | 山行
 写真はウスタビガの繭でこれは脱け殻。初冬、木の葉が落ちると目立つようになります。東北地方の一部では『やまびこ』の愛称で火災除けのお守りとして飾る地域があるそうです。

 目の前に2つの小ピークが見えています。その高みを目指し北に向かって歩き始めました。
 はっきり道と言える程の踏み跡があるものの滅多に歩く人がないせいか薮が被っており、しかも山椒の木がやたら多くてトゲにひっかかれながらの薮漕ぎです。そんな中でウスタビガやヤママユの抜け殻をいくつも見かけました。
 1つ目のピークから西方眼下に菅の田のマレットゴルフ場が見えています。そこから下れば難なく車まで行けるはずですが、それでは稜線をいくらも歩いたことにならないので次のピークまで行くことにしました。
 辿る踏み跡はもはや人のそれではなく鹿の歩いたものしかありませんが、鹿の踏み跡こそが頼りになるということはこれまでの境界線調査で経験済みです。
 2つ目のピークに着くと稜線はそこから先も北進していることがわかりました。
このまま行くとどこまでも県道と並走し、やがてはR403にぶつかることになります。境界線はそのどこかから西に下って県道を横切っているはずです。
 とりあえずここで昼食です。

境界線ハイキング最終行程,無期延期します。・・・立峠より

2005-11-20 21:10:24 | 山行
 18日,《じゅんちゃ》から『珍しく土・日に穴が開いたのでどこかに登らないか!』とのお誘いを受け、境界線ハイキング・第8行程の調査に同行して頂くことになりました。ところがこの日は2人とも地図が見つからず、地図なしで歩く羽目になってしまいました。
 
 とりあえず四賀村(旧)・菅の田から明科町(旧)・汐に抜ける県道の境界線付近に下山用の車を停めるつもりで境界線を探したものの標識がなく、やむなく菅の田のマレットゴルフ場付近に1台を置き、もう1台で立峠登り口に移動。立峠の登り口は虚空蔵山西登山口の『うつつの清水』の少し先。そこに車を停めて立峠に登りました。 
 
 立峠は善光寺街道(西道)の中で極めて重要な位置にある~と言うことを以前書きましたが、峠に登って四賀村・刈谷原方面を見、振り返って坂北・麻績方面を望むとそのことがはっきり感じられます。 
 即ち,刈谷原峠と宿,会田宿,西条,青柳宿,麻績宿,聖高原(猿が馬場)がほぼ一直線上にあり、立峠はそれら総てを見通すことが出来る唯一の場所なのです。
立峠の茶屋跡よりも上方150mほど先の送電線鉄塔まで行けば一層それがよく分かります。
 
 さて、地図がないのでそこからは当てずっぽうの稜線歩き,高いところを目指し、藪を漕いで北進しました。
 (写真は麻績方面遠望)

広島フィールドミュージアム

2005-11-19 21:10:55 | 私・あなた・世界&シニア便
 金井塚務さんのHP『広島フィールドミュージアム~宮島・西中国山地は野外博物館』~http://www8.ocn.ne.jp/~miyajima/index.html をご紹介します。
 
 広島フィールドミュージアムは宮島の野生生物の生態学的研究を進め、その成果をもとに教育普及活動を行い、宮島の自然の保全に資することを目的として1992年11月11日に結成された広島フィールドミュージアムが活動の場を西中国山地まで広げるために2003年4月1日に改組されたものです。現在NPO法人格取得の準備をすすめています。

 金井塚務さん
 広島フィールドミュージアム会長 霊長類行動学・生態学専攻・自然教育
1977年から宮島でニホンザルの研究とその成果を生かした野外博物館活動を行ってきた。この間,宮島のサルの餌づけをやめさせたことは特筆に価する。
 かつて餌づけされた宮島のサルは観光客の弁当だけでなくハンドバックや財布まで奪うなどの狼藉の限りをつくすまでに増長していましたが、金井塚さんは10年かかって餌づけをやめさせることに成功した。
 『宮島の植物誌』『すばらしき動物・ニホンザル』『霊長類の進化』等,著書多数。現・山口県立大学講師
 RCCラジオ何でもジョッキー「金井塚務のおもしろ自然講座」に出演等,守備範囲はひろい。
 

残木伐採③

2005-11-16 19:54:44 | あまってら農園
 この木の西側と南側には高い木があり、北側と北東側には物置小屋があります。東側は畑でルッコラが青々と茂っています。
 高い木に掛かるのを避け、これらの建物や畑の野菜を傷めずに倒すためには唯一,南西方向の法面に倒すしかありません。しかし、この木の重心は正反対の北東側に寄っています。
 直径30cmもある木を重心の反対方向に倒すのは、理屈では可能ですが技術的には難しく、熟練を要します。木の重みでチェーンソーが食われるのを防ぐための用具も必要です。
 小月さんはチェーンソーが挟まれないように木片を楔にして慎重に追い切りを進め、楔を右(西側)から左(東側)へと打ち換えながら徐々に切り進めて見事にねらった方向に倒しました。
 畑のルッコラも建物も無事。懸案が一つ解決しました。

残木伐採②

2005-11-16 19:53:45 | あまってら農園
 第2農林園の最上段の畑の奥に幅3.5m,長さ6m程の広場があります。小屋を建てる予定で斜面を均して平らにした場所です。
 その真ん中に大きなニセアカシアの木が立っています。この木は切らずには小屋の中に取り込み、屋根から突き出すようにするつもりでしたが、ニセアカシアは根が浅く大きくなると倒れる危険性があるので切ることにしました。
 周りの建物や畑の野菜に影響ないように倒すのはかなりの技術を要するので小月さんにお願いしました。
 

残木伐採①

2005-11-16 19:16:33 | あまってら農園
 第2農林園の畑地には未だ数本のニセアカシアの木が残っています。いずれも周辺部ばかりで、その殆んどは外(道路)側に傾いています。
 これを山側に倒すのですが、万一道路側に倒れることがないとは言い切れないので見張りが必要です。そこで自分が見張りに立ち、ヴェテランの小月さんに伐採をお願いしました。
 こうして2年がかりで総ての木を切り払いました。これからこれらの木の根を1つ1つ抜根しなくてはなりませんが、この土地は12月下旬になると凍ってしまいます。一旦凍った土はツルハシさえも弾き飛ばしてしまい、歯が立ちません。
 今朝,第1農園の一輪車に溜まった水に氷が張っていました。標高1600m以上の入山,御鷹山,戸谷峰が初冠雪。冬がすぐそこまで来ています。
 雪が来る前に一つでも多くの根を掘らなくてはッ!