宝塚仁川/山田歯科エクセレンスクリニック 歯科医師・山田忠生
実のところ、私が離れるのを嫌がったのはアンナだった。私たちはすでに結婚について真剣に話し合う状況にいた。しかし、私がニューキャッスルで歯科医業を続けていかないこと、またDr.ハミルトンのフロリダにおける話をすると、彼女はしぶしぶ承知し、ニューキャッスルでの彼女の教職の契約が終了するまで、コーラル・ゲイブルには私一人で行けばいいだろうと話した。
私はニューキャッスルでの診療を、始めたときと同様の公判日に終えることにした。1925年12月の最初の月曜日、午前8時30分に最終日の診療所に着いた。午後2時に去るまでに、12人の患者から1歯1ドルで81本の抜歯をした。長年にわたってカミタバコで固くなった歯を抜くのは決して容易ではない。骨はまるでテネシー産の大理石のようだった。骨ノミの後部をマレットで打ち続ける力の強い女性スタッフがいなかったら、まったく1本の歯も抜けなかっただろう。抜歯を終えるころには、ほとんどの場合は歯根尖に到達するまで骨の頬側壁を除去していた。そのような歯を抜くということは、患者にとってそうであるように、私にとっても精神的にショックなことだった。